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碧い恋  作者: 水瀬 瑞希
3/3

お嬢様とボディガード

大きな家の大きな庭に立つ、大きな木の前に、赤茶色の長い髪を風にそよそよとなびかせながら、立っているまだ幼さを残しているが凛とした顔立ちの一人の少女。その後ろの方から、ピシッとスーツを着こなしている黒髪の肩くらいの長さで、見た目は若いが、少女というよりは、大人な雰囲気の女性が少し不機嫌そうに歩いてきた。


「お嬢様、一人で行動するのはおやめくださいと何度も申したはずですが。」

「ええ、何度も聞いたわ。」

「…覚えておられるなら、やめていただきたいものですね。」


ボディガード、伊田沙羅いださらは呆れたように、ふぅと溜息をついた。それを見て、古くから名家と名高い、流河家の三女、流河奈央するがなおはふふふと楽しそうに笑った。


「何がそんなに楽しいのですか?」

「いいえ、なんでも。」


奈央はくるっと翻り、沙羅に背を向け、空を見上げた。


「こんなにいい天気なんですもの、家の中にいるのはもったいないわ。」

「庭に出るのは構いません、お一人にならないでくださいと言っているのです。」

「ええ、わかったわ。」

「何度もその言葉を信じるほど、私は能天気ではありませんよ。もうこれからは片時も目を離さないようにします。」

「今までだって、あなたはほとんど私から離れないじゃない。これ以上、くっつきようがないと思うけど?」

「これからは、トイレにさえ行きません。」


子供のようなことをいう目の前のボディガードに今度は奈央のほうが少し呆れ顔になる。


「そんなこと、無理だと思うけれど。」

「やってみなければ、わかりません。何事もチャレンジあるのみですから。」

「まぁ、私は止めないわ。」

「ええ。ところで、早く家の中に入っていただけませんか?そろそろ、家庭教師の方がお見えになる時間です。」


腕時計を見ながら、沙羅が奈央の腕をつかんだ。それを見た奈央は、


「どうせ腕をひかれるのなら、こういう感じがいいわ。」


といいながら、沙羅の腕に自分の腕をからませた。いわゆる、恋人のように腕を組んでいる形になる。


「まあ、おとなしく戻っていただけるならなんでもいいです。」


あまり関心なさげに、沙羅はそのまま歩き始めた。そんな様子のボディガードにどこか奈央は不満を感じながら家の中に戻って行った。



ある日の朝、奈央はサァーとカーテンを開ける音と瞼を通して感じるまぶしい光にうーんと目を開いた。


「おはよう、奈央。」


目の前にいたのは、奈央の母親、流河奈美だった。


「あ、お母様!」


奈央は飛び起き、身なりを整える。


「ふふふ、別にそのままでも構わないわ。」


奈美はやさしく笑いながら、ベットの端に腰かけた。


「あ、あのお母様、沙羅は、じゃなくて、沙羅さんはどうしたのですか?」


いつもなら、奈央を起こすのは、母親のである奈美ではなく、四六時中一緒にいるボディガードの沙羅だった。その沙羅が部屋に見当たらないのを不思議に思い、そう聞いた。


「ああ、彼女なら部屋の前で待っててもらっているわ。」

「え?」

「ちょっとあなたに二人だけで話をしたかったのよ。」

「話、ですか?」

「ええ、お父様がね、あなたにもそろそろ結婚を考える時期じゃないかって言うのよ。」

「ええ!?け、結婚ですか?で、でも、私はまだ17ですよ。」

「ああ、すぐに結婚ってわけじゃあないの。まあ、いいなずけってところかしら。」

「い、いいなずけ……。」

「そう、そろそろ必要でしょ?姉の奈津なつ奈由なゆもあなたの年にはいたわ。」

「それは……、そうですけど……。」

「もうお父様と何人かに絞ってあるの。その中からあなたが気に入る相手を選べばいいわ。」

「ちょ、ちょっと、待ってください!」

「?、どうしたの、奈央?」

「そ、そのあまりに話が急すぎて。頭がついていきません。」

「なにを考える必要があるの。お父様と選んだ殿方はみな、名家の跡取りばかりよ。気に入る気に入らないは会ってみて決めればいいことじゃない。」

「その、そういうことではなくて。」


奈美はしどろもどろな娘の様子に、少しいぶかしむような顔をしたが、落ち着くまで待てばいいと思い、ベットから立ち上がった。


「わかったわ。じゃあ、あなたがいい時にお父様のところに行きなさい。」

「は、はい。わかりました。」


そのまま奈美は出て行き、代わりに沙羅が入ってくる。


「おはようございます、お嬢様。」


いつもと変わらない様子の沙羅に奈央はどこかほっとした。なんとなく、ちょいちょいと手招きをした。


「はい。」


不思議そうに首をかしげながら、沙羅がベットのわきまでやってくる。


「ちょっとしゃがんで。」

「わかりました。」


沙羅がしゃがむと、ちょうと奈央と目線が合う位置になった。すると、奈央はいきなり沙羅に抱きつき、ぎゅっと力を込める。


「ど、どうなされました、お嬢様?」


めったに動揺しない沙羅が珍しくどもった声を出した。それが奈央には嬉しくて、さらに腕に力を込め、体重もほとんどを沙羅に預ける。それでも、さすがはボディガードである沙羅は、ぐらりともせずに、しっかりと奈央を抱きとめた。


すぅっと沙羅のにおいをかぐ。奈央は昔から沙羅の匂い、というか、空気というのか。その雰囲気が好きだった。そばにいると、安心した。奈央は沙羅に会うまで、誰に対してもある程度の緊張感を持って接していた。それは、例え、使用人や家族に対してでも。流河家の名に恥じないように、そういう風に育てられたのだ。だが、沙羅は違った。沙羅に対してだけは、何も背負うことなく自分でいられた。奈央にとって沙羅は特別だ。他の誰とも違う。


「ふふふ、びっくりした?」


奈央がふざけたように笑うと、沙羅はそのままの体勢で溜息をついた。


「また、何かのいたずらですか?」

「んー、そんな感じ。」

「では、そろそろ離れていただけますか?」

「いや。」

「お願いします。」

「いやよ。」


奈央はさらに抱きつく力を強くし、絶対にはなれないという意思表示をしてみせる。


「お嬢様から離れていただかないと、無理やり引っぺがすことになりますが、よろしいですか?」


沙羅は、慌てることなく冷静にそう告げる。


「ふん、やれるものならやってみなさい。」


あくまで、強気に奈央は言う。ボディガードとして雇われている沙羅は、奈央に乱暴できるはずなどないのだ。傷つけるなんて、もってのほか。それを分かっている奈央は強気だ。


「はい、では、お覚悟を。」

「きゃ!?」


ひょっいっと、軽々と沙羅は奈央を持ち上げる。その姿は、どう見てもお姫さまだっこをしているようにしか見えない。そして、なぜか沙羅はそのまま自分の体ごと奈央をベットに横たえた。


沙羅に抱きつく手を離しても二人の体は離れない。それはどう見ても沙羅が奈央を押し倒してるようにしか見えない。体全体が密着し、お互いの息が顔にかかるくらい近い。


「ち、ちょっと、沙羅。ち、近いよ………。」


奈央の鼓動は否応なく早くなる。このドキドキが沙羅に聞こえてしまうんじゃないかと心配になってしまう。


「ですから、お覚悟を、と言いましたでしょう。」


沙羅の息が奈央の耳をくすぐる。


「っう、お、お願い離れて。」


意識しだしたら、ものすごく恥ずかしくなって、今度は沙羅をはがすために、沙羅の体を押した。だが、力では全然かなわない。


「だめです。少しは反省していただかないと。」

「んっ!」


沙羅はわざとなのか、奈央の耳に吹きかけるように声を発した。もう恥ずかしさに耐えきれず、奈央はただ沙羅の服をぎゅっと握った。


それから何分たったのか奈央にはわからないが、たぶんそろそろ朝ごはんを食べに行く時間になるので、広間に行かなくてはいけなかった。それが沙羅に分からないはずない。


「さ、沙羅?そろそろ、どいてくれない?」

「…………。」


何も反応がない。まるで沙羅は石になってしまったようだ。


「沙羅?」

「お嬢様。」

「え?」


いきなり放たれた声があまりにも切なく聞こえて、奈央はだんだん心配になってきた。こんなのいつもの沙羅らしくない。おかしいとはっきり奈央は思った。沙羅に何かあったのかもしれない。


「どうかしたの?」

「………いえ、なんでもありません。」


そうつぶやくと、沙羅はゆっくりと奈央から体を離し、起き上った。


「申し訳ありません、お嬢様。」


そう言って、深々と頭を下げた。


「本当に申し訳ありません。ご無礼をお許しください。」

「沙羅………、別に私のほうが最初にふざけたのが悪いのだから、あなたが謝ることなんてないわ。」

「いえ、お嬢様がお優しい方だと知っていた上でつい調子に乗ってしまいました。このようなことは二度といたしませんので、どうぞお許しください。」


奈央はなんだかその言葉が悲しかった。さっきまであんなに近かった沙羅がずっと遠くに離れてしまったように感じたのだ。


「わかったから、もういいわ。私は朝食に行くから。」


なぜだかわからない。今の沙羅を見ていると、イライラした。憤りを感じずにはいられなかった。


(謝らないでほしい。ただいつもみたいに軽く流してほしいのに。ただなんでもない涼しい顔して。私の冗談なんていつもまともにうけとらないくせに。)


そのまま奈央は一人で部屋をでで、広間へと向かった。遅れて、沙羅がついてくる気配がしたがそのまま振り向くことはなかった。


あの日から、奈央と沙羅の関係はなんだかギクシャクしたままだ。奈央はほとんど沙羅に話しかけることはなかった。沙羅はいつも通り無駄話なんてせず、奈央の後ろをただ黙って歩く。


「ちょっとやりたいことがあるの。私の部屋に行くから、一人にしてくれないかしら。」

「………はい、かしこまりました。」


奈央は沙羅を扉の前に残し、一人で部屋の中に入っていた。最後にちらっと沙羅の顔を見たが、沙羅はいつも通りの無表情で、そこになんの感情も読み取ることできない。


「はあ~。」


ばたんとドアをしめ、溜息をひとつ。


「沙羅のバカ。」


奈央は沙羅との関係をどうしていいのか分からなかった。どうしたいのかもわからない。

ただ奈央はいつも沙羅を困らせようとしていたように思う。彼女がいつも追いかけてきてくれる、探してくれることを知っているから。だから、沙羅の目を盗むようにしていつも逃げていた。沙羅がいつも自分のほうを向いてくれるように、自分のことを考えてくれるようにしたかった。


子供みたいだと奈央は思う。ただ沙羅に甘えているだけの子供だ。沙羅は優しい。冷静な顔してるけど、奈央がいなくなるといつも真剣に探してくれた。心配してくれているからこそ、いつも奈央をたしなめた。自分のそばを離れるなといつもいつも奈央に言い聞かせていた。


奈央はそれが嬉しかった。たとえ、彼女にとってはそれが仕事だったとしても。奈央を見つめる瞳はいつも優しかった。いつも温かかった。


「沙羅………、大好き。」


奈央は今初めて自覚する。


「私は、沙羅が好き。」


涙が頬を伝う。どうすることもできない恋心抱きながら。


「どうしようもないわね、今頃、こんな気持ちに気づくなんて。私ってなんてバカなの………。」



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