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碧い恋  作者: 水瀬 瑞希
1/3

初恋

「先生が好きです。」


気づいた時には、先生の目の前でそんな事を言っていた。


(何言ってんだろう、私……。この気持ちは言わないって決めたのに……。)


もう衝動的に口からこぼれていた。ずっと隠してきた気持ちのハズなのに……。

私は耳まで熱を帯びていくのがわかった。きっと顔はリンゴみたいに真っ赤になっていることだろう。

顔をあげて先生を見ることができなかった。さっきから、先生は一言も言葉を発さない。


(ほらっ、やっぱりそうなるよね。きっと、……嫌われたんだ。)


そう思い、私は何も言わず、その場を立ち去ろうとした。


「待ちなさい、なぎ。」


私が後ろを向いた途端、少し震えた先生の声が聞こえた。その声に私は振り返らずに答える。


「もう先生に近づきませんから、答えなくてもいいです。」


私はそれだけ言って、その場から逃げた。廊下を走って、走って、走った。その途中から、涙が止まらなくなっても、私は走り続けた。先生から早く遠ざかりたかった。


拒絶の言葉なんて、絶対に、聞きたくないから。


(バカ、バカ、私のバカ。)


走りついた場所は、本来立ち入り禁止の屋上だった。禁止区域なので、もちろん誰もいない。私は窓からいつものように屋上に出た。ドアを背もたれにして、ペタンと座る。


もう、涙は止まっていた。でも、胸には悲しみと後悔が残っていた。


私は、もう高校三年だ。もう少し、もう少ししか先生といられない。そんな焦りが最悪の状況を生み出してしまったのだ。言ってしまったことは、もう取り消すことはできない。逃げてしまったから、冗談だと笑い飛ばすことも。


どんなに後悔しても、もう遅い。手遅れだ。


「はぁー。」


深いため息をつき、私は空を見上げた。どこまでも高い空。今は12月、少し肌寒いけれど、空はとても綺麗だった。



先生との出会いは、高2の春。先生は私のクラス、2-Bの担任だった。そして、不運にもクラスじゃんけんの結果、私はクラス委員になってしまっていた。先生の印象は、初めは冷たい感じがして、少し怖かった。厳しそうっていうか。


でも、ある日を境に私の見方は変わった。あの日、私は放課後、先生に呼び出され、二人っきりで明日の授業に使うプリントの手伝いをさせられていた。(ただ順番通りにプリントをホチキスで留めるという作業だ。)


私はこの状況が大変気まずく、無言で黙々と作業をしていた。


「さ、佐倉さん、高校楽しい?」

「へっ?」


(えっ?今、先生なんか言った?)


とても小さいつぶやきで、うまく私は聞き取ることができなかった。先生は手元から視線を外さず、そのまま作業を続けている。


(あれ?空耳だったのかな?)


そう思い、私が作業に戻ろうとすると、


「さ、佐倉さんは、高校楽しい?」


やっぱり空耳じゃない。私は再び先生の方を見た。先生は少し顔をあげていたが、なんというか、チラチラと私を盗み見るような感じで私の様子をうかがっていた。


(な、なに?)


よく見れば、頬も少し赤い気がする。


「佐倉さん?」


何も言わない私に、先生は不安そうに眉を下げ、尋ねてきた。その表情が大人な先生を子供っぽく思わせた。私はなんだか急に親近感がわき、さっきまでの緊張も気づけばどこかに行っている。


「えっと、はい、楽しいです。」


私はなぜか頬が緩むのを感じた。なんだか先生のこんな一面をみれたことに少しだけ優越感を覚える。


「そう、よかった。」


先生はほっとしたかのようにうなずき、優しげに目を細めた。その表情に私は目がそらせなくなる。

だって、とてもとても可愛かったから。だから、私はもっと知りたくなった、先生のことを。


「先生は楽しいですか?」

「えっ、私?」

「はい、そうです。私だけに聞くのは不平等ですよ。」


今度は先生が驚く番だった。ふふふと苦笑を浮かべ、答える。


「うーん、そんなこと聞かれたの初めてだから、どう答えたらいいのか。」

「楽しくないんですか?」


私がそう聞くと、先生はゆっくりと首を振った。


「ううん、楽しい、かな。大変なことも多いけどね。」


先生の瞳はただ、まっすぐに私を見ていた。その瞳は吸い込まれそうなほど、綺麗で……。


(先生って、よくみると、すごく美人なんだな……。)


いつもは怒ったように眉にしわを寄せていて、めったに笑うことも、生徒と談笑しているところもほとんどみたことがない。でも、今、私の目の前にいるのは優しくほほ笑む、とても綺麗な人だった。


「先生、いつもそんな顔してればいいのに……。」


ぽつりと私は無意識のうちに、そんなことを言ってしまっていた。


(しまった!!つい、心の声が口から出ちゃった。)


私はあわてて先生の顔色をうかがうと、先生はさっと顔を赤らめていた。


(な、なんか、可愛いかも……。)


年上をこんなに可愛いと思うのどうかと思うが、そういえば、先生ってまだ若いんだ。いまさらそんな事を思った。確か20代半ばか後半くらいだった気がする。


私がじーっと見つめていると、先生ははっと気がつき、少しだけ言葉がつっかえながら答える。


「や、やっぱり、普段の私って恐い?」


おずおずとそんなことを聞いてくる。


「えっ、えっと、まぁ、ちょっと。」


さすがに面と向かって、「はい、恐いです。」とは言えない。それにこんな先生を見てしまったら、自分は先生の何をみていたのだろうと少しの罪悪感もある。


「そう、だよね。なんとなくそう思われているだろうなーと感じてた。」


少し寂しそうな顔して、手もとの資料に向かって言うようにつぶやく。


「先生はわざとああいう顔にしてるんですか?」

「ははは、それが恥ずかしい話なんだけど……、」


私をちらりと見てから、笑みを浮かべているが、その顔は本当に恥ずかしそうだった。


「大勢の生徒の前にでると、その、緊張しちゃって……。」

「はっ?」

「お、おかしいよね、……教師なのに。」


私は確かにと思ったが、先生のどこか悲しげな瞳に私はうなずくことができなかった。


「誰だって、人の前に立つのは緊張しちゃいますよ。」


自分でも安っぽい慰めだと、分かっていた。でも、そんな私に先生は優しい微笑みを向けてくれる。


「ありがとう、佐倉さん。」

「あっ、いいえ、べ、別にお礼を言われるようなことは言ってないです。」

「ふふふ。」

「な、なんですか?」

「意外と照れ屋ね。」

「なっ!!」


先生の言葉に今度は私が真っ赤になる番だった。


それから、私はちょくちょく先生の手伝いをするようになった。なんだか、あまりに不器用な先生が放っておくことができなかったのだ。二人っきりで、プリントを用意したり、それをまとめたり。


なんだかとても充実した時間だった。先生といることがとても楽しかった。いつのまにか、私は学校に来るのがすごく楽しみになっていて、休日が逆に寂しいくらいだった。


そんな先生との日々に慣れたころ、今日も私は放課後の教室に残り、プリントの整理をしていた。先生は今は会議中で席をはずしている。


カサカサと紙のこすれる音と鉛筆を走らせる音だけが教室に響いている。


「先生、早く来ないかな……。」


じゃないと、つまらない。私は、窓の外をみた。暗く重い雨雲が空を覆っている。だが、まだ雨は降ってこない。


「今日、傘持ってくるの忘れちゃった……。」


なんか私、独り言が多くなっちゃている。だって、先生が早く来てくれないんだもん。

ふぅーっとため息をつき、作業を再開した。


その時、ガラッと教室の前のドアが開く。


「ごめんなさい、佐倉さん。一人でさせてしまって。」


先生だ。少しだけ息を切らせて、教室に入ってくる。きっと急いできてくれたんだと思い、私の暗くなっていた気持ちはあっという間に、どこかに吹き飛んでいた。


「もー、先生遅いよ。」


少しだけ、唇を尖らせ、不機嫌をアピールする。まぁ、演技だけど。でも、そんな私の様子に先生は申し訳なさそうに、眉毛を下げた。


「ご、ごめんなさい。今から頑張って手伝うから許して?」


両手を合わせて、ごめんなさいのポーズ。うん、少し可愛いから許す。


先生と一緒にいるようになって、可愛いところを私は一杯見つけることができたと思う。これは絶対他のクラスメイトには負けないことだと結構自信を持っていたりする。


「じゃあ、いつもの倍は頑張ってください。」


にやりと笑いながら、私はそう返した。


「ハイハイ。」

「ハイは一回です。」

「ハイ。これでいい、佐倉さん?」

「たいへんよろしい。二重マルあげちゃいます。」

「ふふふ、ありがと。」


そんな風に軽い冗談もかわしながら、先生は私の前の席の椅子を借り、対面に座る。机一つをはさんでいるだけなので、先生の整った顔がよく見える。


(こうしてみると、本当に美人なんだよなー。)


なのに、よくよく話してみると、すごい人見知りだったり、照れ屋だったりするから普段は可愛いと思うことの方が断然多い気がする。


「んっ?どうしたの?」


何も言わず、じっと見ていた私に首を傾げながら聞いてくる。


「あ、い、いや、別に……。」

「そう?」

「うん……。」


私は頷き、視線を手元に戻した。


「先生ってさ、……恋人、いるの?」

「こ、恋人!?い、いません!というか、そんなこと生徒と話せません。」

「えー、ちょっとくらいいいじゃん。」

「ダメです。たく、そんなこと聞いてどうするの?」

「いや、なんとなくだけど。」


私は口ごもってしまう。すると、今度は先生が聞いてきた。


「そういうあなたは、どうなの?」

「うっ、わ、私は、そういうのよく分かんないし。」


恋人か……、もう高校生だし、私にだっていてもおかしくない。でも、私にはいない。いたこともない。


「ねえ、先生。」

「ん?何?」

「恋愛ってさ、そんなにいいものなのかな?友達とか小学生のころから恋とかしているけど、私って疎いのか、全然そんな気持ちになったことも、たぶん誰かになられたこともないと思う。

だから、分かんないんだ。みんながなんであんなに一喜一憂できるのか。私にはその感情が理解できないよ。」


私は、先生を見ることなく、ただ独り言のように今まで心の中で渦巻いていた疑問を呟いていた。

先生は少しだけ間を開けて答えた。


「うーん、それはきっと経験しないと分からないことなんだと思う。誰かを想って嬉しくなったり切なくったり。それはしようと思ってもできることじゃないから。

でも、きっといつかあなたにもそう言う人に出会える。あなたが心から好きだって思える人に。だって、人生は長いから。焦ることなんてない、気長に待てばいいと私は思う。」

「ふーん、そういうものなのかな。」

「ええ、きっとね。」


先生は微笑みながら、私をみつめた。まるで、成長を見守る母親のように。その瞳をなぜか私は気に入らなかったけれど。


「先生はそう言う人に会ったの?」

「ふふふ、それは秘密。」


夕日に照らされた先生の横顔はとても大人に見えた。実際大人だけれど。



私は今もこの話を思い出す。もう出会っていたのだ、心から好きと思える人に。誰よりも側でみてたいと願うほどに。この頃は全然そんな事考えてなかったけど。でも、すでに私は先生に惹かれていたんだ。まるで、磁石のように。強力に。


先生、私は恋愛なんてバカバカしいってあの頃は思ってた。でも、先生の言うとおりだよね。この気持は経験しないと分からない。先生を想うとこんなにも苦しいよ、恋しいよ。初恋って叶わないって言うけど、本当のことだよね。私の初恋は叶うはずなんてないんだもん。


先生に失恋を癒す方法も聞いておけばよかったな……。


その時、私の腕に冷たい結晶が舞い落ち、すぐに溶けて消えた。


「あっ、雪だ……。」


上を見上げれば、チラチラと氷の結晶が降ってきた。


「初雪、かな。初恋がやぶれた私にはぴったり。」


そんな風に言って、ひとり苦笑する。


「そんな所にいると風邪ひくよ。」

「え?」


不意に聞こえた声に私はビクッと反応して振り向く。


「こんなに手を焼かせる生徒は、あとにも先にもきっとあなた一人ね。」


そんな事を言って、先生は屋上に入ってきて、私と視線を合わせるように座った。


「な、なんで?」

「それは、待ってって言ったのに、あなたが待ってくれなかったから。」

「だって、もう話すことなんてないし。」

「なぎになくとも私にはある。」

「……そんなの聞きたくない。」


私がそう言うと、先生は悲しそうな顔をする。


「本当に、手がかかるわ。」


先生が私の手を掴み、自分の胸へと引き寄せた。なんともいえない、柔らかさと温かさを感じる。

そして……、


「……ドキドキしてるでしょ?これでも緊張してるのよ。」

「えっ?」


先生の顔見ると心なしか頬が赤い。それが寒いせいではなく、……私のせい?


「先生?」

「私は教師、そして、あなたは生徒。」

「……うん。」


なんだやっぱり振るために来たんだ。そんなこと言われなくても、もう十分わかってるのに。

先生はただ単にけじめをつけにきただけなんだ。


「そんなの、分かってるよ。そうでなくても女同士なんて無理だもん。そんな、こと、分かってる。」


そう思うと、また涙が溢れてきた。どうしようもなく、みっともなくても、止めることができない。

うっ、うっと涙をこらえようとすればするほど、嗚咽が漏れてしまう。


「私が言いたいのは、そう言うことじゃない。」


先生の温かい掌が私の頬を優しく包んだ。強制的に私の視線を自分に向かせる。


「聞いて、なぎ。」


その真剣な瞳に私はただ頷いた。


「私たちは教師と生徒だけれど、もう少しであなたは生徒ではなくなる。そうしたら、そうなったら…………。」


私はただ先生の言葉を黙って待った。何を言いたいのか全く分からなかった。


「なぎが卒業したら、また告白してほしい。」

「え……?ど、どういう意味?」

「だ、だから、生徒には手を出せないでしょってこと。」


最後の言葉は少し早口になっていた。先生、もしかして照れてる?顔、すごく赤い。

私は思考回路がうまく働かず、そんな事をぼんやりと思ってしまった。


「そ、その、あなたの気持ちが変わってしまったのなら、しょうがないんだけど……。」

「ううん、変わらない。私の気持ちはきっとずっと変わらない。先生が好き。」

「だ、だから、そういうことは、その、もう少ししてから、聞くから。」


これってもしかして……?私の初恋はどうやら叶ってしまうみたいだ。あくまで未来にだけどね。

それでもまた泣いてしまうぐらい、嬉しいことだった。


「先生、きっと私が幸せにするからね。」


さらに頬を染めた先生に私は泣きながらも笑ったのだった。


とりあえず、短編のように完結しています。

読んで頂きありがとうございました。自分としてはもっと百合百合させたかったというのが本音なので、できれば続きを書きたいなと思っています。


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