⑦ 小さな勇気 一歩前へ (セシリア視点)
セシリア編は完結です。
舞踏会から四日が経った頃、セシリアは屋敷の中の空気がいつもと違うことに気づいた。
廊下を歩く侍女たちの足取りがどこか落ち着かず、父と母の視線には妙な遠慮があった。いつもなら食卓につけばあれこれ指示が飛び、話し方や姿勢まで注意されるのに、今日は誰も口を開かなかった。
舞踏会の騒動が尾を引いているのだろう。あれほどの醜聞の中心に自分が立っていたのだから。
平手打ちをした瞬間のことは、思い出すたびに胸がざわつく。でも、後悔はなかった。
あの経験は過去の自分と決別をする良いきっかけを作ってくれたのだから。
食事が終わる頃、母が静かに切り出した。
「セシリア。今日の刺繍教室のことなのだけれど……無理なら、休んでもいいのよ」
胸の奥に、ぽつりと何かが落ちる。こんなふうに選択肢を与えられたことは、ほとんどなかった。
父も新聞を畳み、落ち着かない手つきで咳払いをした。
「今日ぐらい、ゆっくりしたらどうだ」
いつもなら伯爵家の娘として恥じないようにと言われるはずなのに。
二人とも、まるで壊れ物に触れるような態度だった。
セシリアは少しだけ息を吸った。
「……ええ。じゃあ今日はお言葉に甘えて」
ほんの一言なのに、喉から出るまでがとても長かった。
母は驚いたように瞬きをし、そしてゆっくり頷いた。父も静かに「そうか」と返した。
叱られなかった。
廊下に出ると、侍女のメアリーが見守るように立っていた。
「お嬢様、本当に……休まれるんですね」
セシリアはわずかに笑った。
「うん。今日はそうする」
「では、お部屋にお茶を用意しますね」
自室に戻ると、窓辺の椅子に腰を下ろした。外の庭園では風に揺れる木々が見える。
しばらくぼんやりと景色を眺めていた。何も考えない時間が、こんなにも穏やかだとは思わなかった。
やがて扉がノックされた。メアリーがお茶と共に銀盆に封筒を載せて入ってきた。
「お嬢様、手紙が二通届いております」
セシリアは思わず目を瞬いた。自分に手紙が二通も届くなんて珍しい。
差出人は、エリザベートとロザリンデ。
舞踏会の夜、一緒に歩いた二人だった。
「どちらも……お茶会のお誘いです」
セシリアは胸が少しだけきゅっと縮むのを感じた。あの夜、一緒に戦った戦友とはいえ、三人は親しい友人というわけではない。
封筒を開くと、丁寧な筆跡で綴られた言葉が目に入った。どちらの文面も似ていて、「あなたともう少しお話ししたい」「よければお越しください」とあった。
メアリーがそっと尋ねる。
「……お返事、どうなさいますか?」
セシリアは少しだけ迷った。お茶会は得意ではない。けれど、あの夜の二人の顔を思い出す。自分 自身は泣きそうで、それでも2人は前へと進もうとしていた姿。
ゆっくりと頷いた。
「……行くわ」
窓から差し込む光がカーテンを揺らす。風が少しだけ強く吹き込み、手紙の端が小さく揺れた。
それを押さえながら、セシリアは思った。
――また、少しだけ変われるかもしれない、と。
次話からはロザリンデ編です。




