真夏の飛沫
楽しんでいただけると嬉しいです。
刺激的な登校の余韻を心の片隅に残したまま一日が終わり、慌ただしい放課後がやってきた。
帰りの集会が終わって早々、早い者勝ちと急かす斎木達に背中を押されて教室を出発。
駅から電車で揺られることしばらく、午後四時半を回った頃に俺達は件のドリンクショップがある駅へ到着した。
店は改札を出てすぐのところにあるようで、そこへ行くと……
「うっわ、もう結構並んでんじゃん」
「ちょくちょくSNSでも出回ってたもんなー」
「マジでイッコクイチジョーな感じじゃん」
「一刻一秒、か?」
「それ。ほら、行こ聡人」
陽奈に腕を引かれるまま、列の最後尾に並ぶ。
軽く見ても、ざっと十人以上は並んでる。ほとんどが中学生、あるいは同級生くらいの女子で、俺とヒロだけが浮いているような気がした。
隣で谷川達の交わすたわいもない会話が、どうにかこの空間に繋ぎ止めてくれる。
「何系にするよ?」
「それ。悩むわー」
「フルーツ系とー、アイス系とー、あとチョコ系までは学校で絞ったんだけどなー」
「俺はフルーツ系かなぁ。甘すぎんの得意じゃねーし」
「ウチはやっぱ夏らしくー……」
ヒロの一言を皮切りに、各々が自分の希望を出していく。
谷川がフルーツ系、斎木がアイス系、小澤がチョコ系。そうして最後に残った俺達に矛先が向く。
「あんたらは?」
「そうだな。俺は──」
「アイスとチョコ。で、半分ずつシェアしよっかな」
「おー、いんじゃね?」
「うし、全員出たなー」
あっという間の出来事に、一瞬理解が遅れた。
頭が追いついてから隣を見ると、陽奈はイタズラが成功した子供のような表情で手を合わせてくる。
「ごめんね、どっちもおんなじくらい飲んでみたくって。いい?」
「……なんだ、先を越されちまったな」
「マジ? あんたもそのつもりだった感じ?」
「ある程度は。フレーバーは一緒に決めさせてくれるだろ?」
「モチ。アイスは爽やか系がいいんだけどさー、ほら、これとか」
「だったらチョコの方はビターめにしてバランス取るか」
陽奈がスマホで開いたメニュー表を覗き込んだ。
……しかし、なるほど。こういうのもあるのか。
あっちにするか、こっちにするかと吟味しているうちにも列は進んでいく。
ちょうど内容が固まった頃に俺達の番がやってきて、矢継ぎ早に繰り出す注文を店員のお姉さんはテキパキと捌いた。
数分後、色とりどりのドリンクが六人分手元に揃う。
「うし、どうせなら浜の方で飲むべ。その方が雰囲気あるし」
「えー、着くまでに溶けない?」
「いけるいける、地図見たら歩いて5分くらいだし。急げばセーフっしょ」
「ならこうしちゃいられねえな、早いとこ行こうぜ」
そう言っていの一番に足を踏み出したヒロが、何歩かいってすぐに足を止めた。
呆然とした様子に首を傾げる。一体どうしたっていうんだ?
「城島……先、輩………」
「お、前……」
不意に、ヒロの背中越しに知らない声がした。
少し体を傾け、向こう側を見ると、制服を着た中学生くらいの女の子が立っている。
ドリンクショップに来たのだろうか。あどけなさが残る顔立ちは……お世辞にも良いとは言えない表情で彩られていた。
「なんで、こんなとこで……」
「先輩こそ、どうし、て……」
動揺に揺れる女の子の瞳が、こちらに流れる。
俺や陽奈、美人トリオを順繰りに見ていくうちに少しずつ見開かれていき、その眼差しがヒロに戻った時──怒りが、そこに宿った。
「……そうですか。お友達と遊んでるんですね」
「いや、これは……」
「高校生活、充実してるんですね。良かったですね、楽しそうで」
鋭く尖った棘を彷彿とさせる声音で、小刻みに肩を振るわせ。全身で激情を堪えながら、まなじりを吊り上げた女の子は、ヒロを睨みつけて。
「私達に、あんなことをしたくせに」
「ッ、待っ──」
「良いご身分ですね、先輩」
決して声は大きくはないはずなのに、どうしてか耳に残る言葉を投げかけ、彼女は駅の方に踵を返した。
後に残されたのは、ショップに並んでいる客達の好奇の目線と、立ち尽くすヒロ。
一歩踏み出したまま、そこから動かない親友の姿から目を離せない。
普段は茶化されても軽口を叩いてもけろりとしてるのに。今はなんだか、ひどく脆くなってるように見える。
下手に叩けば、割れてしまいそうな予感がするほどに。
「………」
「聡人?」
「悪い、陽奈」
握っていた手を離し、ヒロに歩み寄る。
足音にさえ気づかず、背を向けているあいつの肩に手を置いた。
「よ、色男」
「……おー、アキか?」
ようやく振り向いた顔には、貼り付けたような笑みが浮かんでいた。
「わりー、変なもん見せたわ」
「気にすんな。ドリンク、溶けちまうぞ」
「そだな。せっかくのクーポンが勿体ねえわ」
張り詰めていた表情がへらりと柔らかくなる。少しは持ち直したっぽい。
さて、後は他のメンツがどんな反応をするか、少しだけ心配だが……
「ん、終わったん?」
「まあ、な」
「ういー、ほんじゃーしゅっぱーつ」
「やべーって、先っちょもう溶けてるわ」
「行こ、二人とも」
そんな不安とは裏腹に、拍子抜けするほどあっさりした様子で四人とも歩き出した。
ヒロ自身も憮然とした顔になってる。それがなんだかおかしくて、軽く背中を叩いてから後を追いかけた。
「おー! すげー、綺麗じゃん!」
「こっちまで来て正解だったなぁ」
「おぉ……いいな」
「ね。めちゃ良い」
道路下の地下道を抜けた先に広がっていた光景に、思わず声が漏れる。
真っ青な空に負けじと淡く煌めく海原、鼻先をくすぐる潮の香り。ここまで届く、寄せては返す波の音。
カップの表面を伝い指に落ちた水滴の冷たささえ、心を揺さぶった。
「海バックで写真撮ろーぜ!」
「え、大耶天才? そんなんやるっきゃねえっしょ」
「いきなり走ったら足取られんぞー」
「なーにスカしてんだよ、お前がカメラマンすんだって」
「おー、マジか」
適度に力の抜けた顔で、小澤達に付いていくヒロ。
強張った感じがいくらか抜けた後ろ姿にさっきとは別の意味で息をつくと、いきなり頬をひんやりとした感触に襲われた。
「つめたっ!?」
「どう? 目ぇ冴えたっしょ」
「それは……いや、そうだな。もう大丈夫だ」
当の本人がしまい込もうとしてるんだ、俺が辛気臭い顔してたら意味がない。
気付けしてくれたことに礼を言おうとして、その手に持ったドリンクに目がとまった。
「はい」
「お? ここでくれる感じ?」
「あっちに行くとまた揶揄われそうだからな。むしろ都合がいいだろ」
「そういうことなら、遠慮なくもらっちゃお」
差し出したチョコフラッペのストローを桜色の唇が咥える。
少し重い音を立てて中身が吸われ、顔を離した陽奈は飲み込みながら黄色い声を喉から上げた。
「結構ビターめで頼んだけど、大丈夫か?」
「んっ。やば、うま。これは流行るわ」
「そりゃ楽しみだ」
「はい、こっちもどーぞ」
「いただきます」
ひとくち分吸い出し、舌の上で転がしてみる。
時間が経って溶け出したアイスとサイダー味が混じり合い、甘さとパチパチが同時にやってきて美味い。
「こっちもバッチリだ」
「毒見大義である、とか言って?」
「お褒めにあずかり光栄奉る、ってか」
シェア前提で頼んだのは成功だったと笑い合い、口にしたストローは、チョコとは別の甘さが少し混じっていた。
「ん、あれ見て。海の家建てられてる」
「本当だ。もう準備始めてるもんなんだな」
「大体7月に海開きだしねー。去年は全然外出らんなかったし、なんか新鮮」
「俺も夏祭り行ったくらいだなぁ」
本格的に受験勉強に腰を入れる前の息抜きとして、近所の神社でやってたやつに足を運んだっけ。
めちゃくちゃ勇気を振り絞って小百合を誘い、了承されて飛び跳ねるくらい喜んだことを覚えてる。
あの時射的で取った、百合の花を模した髪飾りを、あいつはまだ持ってるだろうか。
小百合のことだから捨てはしないだろうけど、今となっちゃ引き出しの隅で埃をかぶってるかもな。
「それこそ海なんて、2年ぐらい前に美玲とあいつの友達を引率した以来だ」
「マジ? 超久しぶりじゃん。てことは、家族以外で最初に来たのがあたしってことになるのか。ふふっ、なんか嬉しい」
「……谷川達もいるけどな」
その声色があまりに甘いものだから、咄嗟にいつもの照れ隠しをしてしまう。
しかしここ数ヶ月交際してきたこいつに通じるはずもなく、すかさずこう言ってきた。
「じゃ、次は二人で来よ? 水着とかも用意してさ、夏休みになったら海デートしようよ」
「それは、今から俄然海開きが楽しみになったわ」
「海の家でかき氷食べてー、あ、ビーチバレーとかも良くない? 砂のお城とかも鉄板だし」
「それにはまず、期末試験を乗り越えないとな」
「ほんそれー……また勉強教えてくれる?」
「勿論」
幸い中間試験後も勉強にはついていけてるし、陽奈に教えられるくらいには理解してる。
万が一にも補習で高校最初の夏休みが圧迫される、なんてことにならないよう頑張ろう。
「バーベキューもやりたい。スポーツもしたいし、また水族館もいいかも」
「全部付き合うよ。スポーツって言うなら、アスレチックとかいいかもな」
「それあり。海だけじゃなくって、プールだって……あ、そだ」
「ん?」
「夏祭りも行こうね。浴衣着てくからさ」
「……ああ」
一つ、一つと。したいこと、2人で楽しみたいことを挙げては重ねる。
それはまるで、互いの心を結ぶように。目には見えないものの代わりに、言葉という糸で絡め合い、解けないように。
楽しさと、温かさと、その裏に潜む同じくらいの不安。
両極端な気持ちは、こいつに告白さえすれば幸せ一辺倒になるんだろうか?
「あ。飲み終わっちゃった」
「暑いし、色々話してたからな」
「そっちのも空じゃん。んー、美味しかった!」
突発的に訪れた2人きりの時間を引き延ばすため、鈍らせた足取りに合わせていたドリンクも切れた。
谷川達を探せば、何メートルか先の波打ち際の方で駄弁ってる。
「そろそろ合流するか……って、何してんだ?」
「んー? 靴脱いでるけど?」
一瞬見ないうちにローファーを脱いでいたかと思えば、今度は靴下を下ろしだす。
すっかり素足になると、砂浜の熱さを確かめるように足踏みした。
「もう一個、今すぐやりたいこと思いついたんだよね」
「それって……?」
「波打ち際まで競争!」
「え──」
「それじゃ、よーいどん!」
言うや否や、陽奈は飛び出していった。
視界の端に靡いて消えた金髪を追いかければ、あいつは走りながら手を振ってくる。
「ほらー! 早く追いかけてよー!」
「……ったく、本当に驚かされてばっかだな」
呆れとも、感心とも付かない笑いが漏れる。
けれど、その次に口元で描いたのは好戦的な笑みで。
荷物を手放し、可能な限り素早く靴を脱ぎ捨てると、勢いよく走り出した。
「んー、良い感じの貝殻あっかなー。木村の土産になるようなやつー」
「いや、普通にいらんだろ」
「待て!」
「あははっ、遅いっつーの!」
「どわっ!?」
立ち並ぶ作りかけの海の家を超え、谷川達の横をすり抜けて、華奢な背中に迫る。
足元の感触が湿ったものに変わり、大きく開けた口の中に濃い潮の香りが充満する。
陽奈は海の中まで入っていき、脛が半分まで海に浸かるくらいのところで、後ろに振られた手を掴み取った。
「取ったっ、とぉっ!?」
「わぁっ!?」
波に足を取られ、バランスが崩れる。
咄嗟に陽奈を胸の中に引っ張り込み、2人揃って尻から倒れた。
「あっぶねぇ……」
「あはは、ビックリしたー」
「こっちのセリフだよ。ていうか尻が冷てぇ……」
そこそこの深さだったからズボンがびしょ濡れだ。むしろこれくらいで済んでラッキーと思うべきか。
「また風邪でも引いたらどうするんだよ」
「その時はお見舞い来てくれるっしょ?」
「……なら、次は最初に連絡してくれ」
「ん、そーする」
「それと、さ。俺も一つ、やりたいこと思いついたんだけど」
「ん? なになに、聞かせてよ」
「明日の朝も、駅まで迎えに行っていいか?」
思い切って聞いてみると、触れた肩越しにぴくりと震えたのが伝わってくる。
少しの間波の音だけが聞こえて、ふいに陽奈が下から顔を見上げてきた。
「いいの? 大変じゃない?」
「大体出る時間は分かったからな。寝るのをちょっと早くすれば大丈夫だ」
「ふーん。そんなに朝からあたしに会いたいんだ?」
「悪いか?」
「んーん、悪くない」
俺の問いかけに、陽奈はにっと歯を見せて笑うことで返事をした。
「それって明日だけ?」
「……お前が嫌じゃないなら、これからずっと、かな」
「じゃ、決まりね」
「おーい、あんたらいつまでそうしてんのー」
「っと、そろそろ戻るか」
「だね」
「立てるか?」
「うん」
互いの手を貸しあいながら立ち上がると、それぞれズボンとスカートから海水が大量に滴り落ちる。
それがなんだか可笑しくて、思わずくすりと笑いを漏らしながら。今度は転ばないよう、手を繋いで谷川達のところへ戻るのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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