44.どうなってもかまいません
「樹里が……いなくなった?」
神木邸の玄関先。陽菜は肩で息をする葉月たちに怪訝な目を向けた。
「と、とりあえずあがってください」
胸の鼓動が速くなるのを感じながらも、陽菜は葉月と昌、咲良、マコトを部屋へ案内した。
「い、いったいどういうことですか? 樹里がいなくなったって……」
「それが、まったくわかんないんだよ。家を出たのは間違いないんだけど、いつまで待っても来ないし……!」
「樹里が待ちあわせの時間に遅れるなんてこと、まずないし……」
樹里が時間に正確なのは陽菜もよく理解している。それゆえに、この状況がとても不可思議なことであることにも気づいていた。
「電話はかけてみましたか?」
「うん。呼び出し音は鳴ってるんだけど、全然出ない」
沈痛な面持ちの葉月と昌を目にし、陽菜の心臓はますます鼓動を速めた。何か、とてつもなくよくないことが起きているような気がした。
陽菜はおもむろに立ちあがると、学習机の上に置いてあったノートパソコンを開き起動した。
「ど、どうしたの陽菜ちゃん?」
怪訝そうに声をかける咲良を無視し、陽菜はカタカタと凄まじい速さでキーボードを叩いていく。顔を見あわせた葉月たちが、陽菜の背後にまわってノートパソコンの画面を覗き込んだ。
「ひ、陽菜ちゃん、これは……?」
「相生駅の近くに設置されている防犯カメラの映像です」
「えっ!? そ、そんなの見れるの?」
「街なかの防犯カメラは基本的にネットワークで接続されていますから。アクセスさえできれば見られます」
「い、いやいや……それって、不正アクセスなんじゃ……」
咲良の言葉に、葉月と昌、マコトがぎょっとしたような表情を浮かべる。
「まあ、そうですね。そんなことより……駅前に設置された防犯カメラの映像データに樹里の姿は映っていません。つまり、樹里は相生駅に行っていない、ということです」
「え!? で、でも、家を出たのは間違いないよ? マンションの前で撮った猫の画像送ってきてたし」
「ええ。家を出たのが間違いないとすれば、相生駅へ行くまでの道中で何かあったのかもしれません」
陽菜がイスを回転させて背後を振りかえる。と、咲良がただごとではない険しい表情を浮かべているのが目に映った。
「まさか……」
咲良がぼそりと呟く。
「どうしたんですか、咲良さん?」
「まさか……あいつの仕業なんじゃ……」
「あいつ……?」
咲良が顔をしかめる。言うべきか言わずにおくべきか、少しのあいだ悩んだ咲良だったが、意を決したように口を開いた。
「……樹里は、中学生のころストーカーの被害に遭ってたんだ」
「ス、ストーカー? 樹里が……?」
葉月と昌が顔を伏せる。詳しくは聞いていないものの、二人もその話は以前聞いていた。
「ああ。影浦っていう大学生の男にしつこくつきまとわれて……警察沙汰にもなった」
そのとき、あることを陽菜は思いだした。
「も、もしかして、樹里が暗いところが苦手というのは……」
咲良が小さく頷くのを見て、陽菜は愕然とした。今まで、不思議に思っていたいろいろなことが、線になってつながった気がした。
セキュリティが堅牢なマンションに、神経質なほど確認していた日没時間。それに、一緒に勉強をしているとき、私が背後に立つと急に顔色が悪くなることもあった。
「警察沙汰になったあと、そいつは父親に連れられて弟と一緒に外国へ行った。警察から樹里に近づくことも禁止されている。でも、夏にあいつの弟に似たヤツを街で見かけたんだ。もしかすると、戻ってきているのかもしれない……」
「……その人の名前は?」
「影浦……影浦恭平だったと思う」
咲良から名前を聞いた陽菜は、弾けるようにノートパソコンへ向き直ると、再びキーボードをカタカタと叩き始めた。
「な、何するの陽菜ちゃん……?」
「もし、その人が戻ってきていて、樹里が攫われたのだとしたら、一刻を争います」
「そ、それはそうだけど……攫われるなんてこと、本当にあるかな……?」
「変質者の思考や行動なんて理解できません。それに、今朝樹里は『glamorous』に「今から三時間くらいでメイクを終わらせる」と投稿していました。もし、その影浦という人が樹里の自宅を知っていたとしたら。家を出る時間を予測して待ち伏せし攫った可能性も考えられます」
葉月たちがハッとした表情を浮かべる。その隣では、マコトも難しい顔をしていた。
「そ、それで、今陽菜ちゃんは何をしようとしているの……?」
陽菜から不穏な様子を読み取った咲良が声をかける。
「警察のデータベースへ侵入します。以前警察沙汰になっているのなら、自宅などのデータもあるはずですから」
想像の斜め上を行く回答に、全員がギョッとした表情を浮かべた。
「ダ、ダメだよ陽菜ちゃん! 犯罪だよ!?」
厳密に言えば、防犯カメラへの不正アクセスも犯罪なのだが。
「ええ、そうですね」
顔色一つ変えずキーボードを叩き続ける陽菜を見て、全員が唖然とする。
「ダメだって! そんなことしたら――」
咲良が口を開いた瞬間、陽菜が両手を学習机の上にバンッ、と叩きつけた。今まで一度も見たことがない、陽菜の感情的な行動に全員が呆気にとられた。
「……樹里は、私にとって、何より大切な人なんです……樹里を助けられるのなら、私なんてどうなってもいいんです!」
「ひ、陽菜ちゃん……」
陽菜の悲壮な覚悟を知り、咲良が思わず唇を噛む。と、そのとき――
部屋の扉が開き、全員が弾けるように顔を向けた。入ってきたのは、陽菜の母親葉子。
「……途中からだけど、話は聞かせてもらったわ」
「お母さん……」
葉子が陽菜の顔をじっと見つめる。
「お母さん、止めないで。樹里は私の――」
「陽菜、やってちょうだい」
思いもよらぬ母の言葉に、陽菜は目をぱちくりとさせた。唖然としたのは咲良や葉月たちも同様である。
「あなたには言ってなかったけど……樹里ちゃんのお母さん、香澄さんは、私たちの命の恩人なの」
「命の……恩人?」
「ええ。詳しいことはまた今度話すわ。陽菜、樹里ちゃんを助けてあげて。もしあとから警察に追及されたら、私に命令されてやらされたってことにすればいい」
「お母さん……!」
小さく頷いた陽菜は、再びノートパソコンへ向かうと一心不乱にキーボードを叩き始めた。そして――
「あった。咲良さん、この人で間違いありませんか?」
咲良がノートパソコンの画面を覗き込む。
「う、うん。間違いない。影浦だ」
「……日本にいるみたいですね。住所は……新池袋の二丁目……記憶しました。咲良さん、行きましょう」
「うん! って、今さらだけど、これ警察に通報するのはどう?」
「証拠がなければ警察は動きません。それに、樹里はあの通りギャルな見た目ですから。警察がまともに捜査してくれるとは思えません」
同意を示すようにマコトが頷く。
「お母さん、ちょっと行ってくる」
「あ、う、うん!」
陽菜はノートパソコンを抱えると、咲良たちと一緒にバタバタと慌ただしく部屋を出て行った。一方、葉子は眉間にシワを寄せたまま何やら考え込んでいた。
影浦……? まさか……。いや、たしか、キャシーも言っていた。キャシーの会社で見た初老の日本人。その息子は、以前中学生へのストーカー行為で警察沙汰になったと。
葉子はポケットからスマホを取りだすと、アドレス帳からキャシーを呼び出し電話をかけはじめた。




