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第二十一話


ざざ、と音がして体重が前にかかる感覚。


飛行船が着陸したのだ。コンクリートの道路上で船体をこすりながら、百メートル以上もかけて止まる。


夜の六沙学園。か細い月明かりと、飛行船の放つわずかな信号灯の明かりではあるけど、やはり何もかも黄金にしか見えない。


「あはは……はは、ああ、楽しかった」


乎曳神おびきがみ部長は飛ぶように飛行船を降りる。葉巻型の船体は膨らんだまま、高低差は数メートルあるはずなのに。あっさりと視界から消えた。

最後に、歌うような言葉だけが。


「良い夜を、さかしらの水を舐めた子猫さん」


私はその場に膝をつく。体から力が抜けていくのを感じる。


この黄金の街。黄金の像に変えられた怪盗。あまりにも常識を超えている。


「あ……」


だけど、もしこれが真実なら。


「た、助けてください」


行動しなければ、これが悪夢でないなら。

私は這い回るように振り向き、背後にいた二人に呼びかける。


「か、怪盗さんが、黄金に、こ、これ生きてるんですか。元に戻らないと、し、死んで……」


二人とは少し距離があり、シルエットがぼんやり見えるだけだ。刀法部の榊部長に生徒会長の酒舟さん。二人は困惑したように顔を見合わせる。


「そうだな、俺たちだって人殺しは好きじゃない。できれば助けてやりたいし、その力もあるよ。スートの座に座ってるからね」

「ですが……私達には何もできません。街に降り注いだ黄金の呪いを解くことも、その方にふたたびの命を注ぐことも」

「どうして!」

「そういうルールだからです。四つのスートは互いのやることに干渉しない。互いに部活バトルを行わない。そうやって独立を維持している」


酒舟会長はつと脇を見る。つられて見れば濃い夜闇。黄金の町。垂れ下がった雨どい。


そこで気づく。この街は六沙学園に見えるけれど、どこか荒れ果ててる。建材は割れて外灯は歪み、植物の多くは育ちすぎていて、コンクリートを割って根が隆起している。


「ここって……」

「あまり考えないほうがいいぞ」


榊部長が言う。


「魔法が存在するか否か、部活バトルとは何か、黒騎士とは、スートとは、実にくだらん。部活バトルは楽しく刺激的、それで十分だ。余計な思考はその楽しみを阻害する不純物だな。なぜあの試合が部活バトルと呼ばれるか知ってるか?」

「……た、確か、その呼び方が一番真実から遠いから」

「そうだ。真実など不要。だから俺たちスートが生徒を遠ざけている。俺たちは支配者であると同時に門番でもあるのさ。本当に賢いやつは何も考えないこともできるか? うーむ、命題だな」


……わからない。

彼らが何を言おうとしているのか。私の見ているものは何なのか。この世界は私の思っていた姿と同じなのか。


「じゃあな」


と、二人もまた飛行船から飛び降りる。着地の音もしない。私は広大な砂漠に放り出されたような不安を覚える。本当に、ただ見物に来ただけなのか。何もしてくれないのか。


「ま、待って……」


打ちのめされている。

心が混乱のスプーンでかき混ぜられる。


何をすれば。海ちゃん。それに怪盗さん。こ、この学園は。どうなって。


気配が。


「!」


振り向く。そこにいたのは見覚えのある顔。

結ばれた口元に感情は見えず、金属の鎧は強い拒絶を感じさせる。兜の隙間から流れ出す黒髪の川だけが女性らしさを残している。


「し……雫先輩」


御国雫、黒騎士。

どうしてここに。もしかして、私や海ちゃんを粛清に。


「スートの離脱を確認。現状回帰を開始する」


起伏のない声。黒騎士は黄金になっていた怪盗に手を触れる。

すると、その肉が血の通った色に戻り、マントも髪も柔らかさを取り戻す。


「え……な、治してくれるんですか」


黒騎士は海ちゃんの方に静かに歩く。鎧の重さとか、足場の不安定さを感じさせない滑るような動き。うずくまったままの海ちゃんに触れると、その小さな体がぶるぶると震えて、ごろりと寝返りを打つ。


「な、何したんですか」

「内臓に少しダメージが認められた。それを回復させた」

「助けてくれたんですか……? 雫先輩」

「私は可能な限り恒常性と現状回帰に努めている」

「……」


スートは、支配者であると同時に番人でもある。

黒騎士も似たようなものと感じる。「没収」を与えるけど、管理したり守ったりする存在でもある。


ここから、黒騎士が何をやるかはだいたい分かる。私達を眠らせて、正常な・・・六沙学園へ連れて行くこと。


あまりにも無機質だけど、私の問いかけを完全に無視するわけではない。質問のしようによっては言葉を引き出すことも可能なんだ。


黒騎士は海ちゃんの額に手をあてる。思った通り海ちゃんの全身から力が抜け、寝息は静かになって、かなり深い眠りに落ちたらしい。


時間がない、何を問えば。

何か、直感でいい、黒騎士が答えざるを得ないようなヒトコトを……。


「【金貨】のスートは」


ぴく、と。

ほとんど、あるかなしかの揺らぎが見えた。黒騎士の瞳が私に向く。


「正常な人だと、思いますか」

「……」


黒騎士が、物言わぬ意志を返す。

ほんの数秒だが、明らかに黒騎士は答えを探している。無視もできず、偽りも言えない、そんな雰囲気。


この世界は何かが狂っている。

意図的に狂わせたのか、それとも誰かの仕業なのか。


この異常さはどこか計算を外れてると感じる。システムが異常なのではなく、その運用と管理に問題が生まれてるような感覚。


【金貨】のスート。乎曳神おびきがみティアラ。

あのふるまいが、哄笑が、この黄金の町並みが、本来あるべき姿とはとても思えない。


黒騎士は、どんな感情であのスートに従ってるのか……。


「私はスートを評価しない」


ややあって、唇の先を震わせるように言う。


「スートは部活バトルの支配者である。私は彼らに従属するのみ」

「でも、今のスートは本当は望ましくない。生徒を真実から遠ざけているから」


先ほどの榊先輩の言葉だ。事情は何もわからないが、それは会話に接続できると思った。思いつくままに言葉を並べる。


「そう……システムは本来の役割を果たしてない。スートは意図的にシステムを遅滞させてる。部長が……白釘ケイが「没収」されたのもスートの命令なんですか? 今まで何人を「没収」したんですか? あのスートは本当に支配者にふさわしいと思っているんですか? もしかして、そんな状態が何年も……」

「言問ひなた」


呼ばれ慣れていない名前。黒騎士は私の額に指を押し付ける。


「あなたは混乱している。今日は休息したほうがいい」


何か、振動のようなものが送り込まれる。思考が乱れて気が遠くなる。眠らされようとしているのか。


「やめて……ま、まだ、聞きたいことが」

「スートに挑むならば」


耐えられない。まぶたが鉛のように重い。全身から力が抜けていく。意識が沈んでいく。


「いずれまた会える……」


最後に聞こえたのは黒騎士の声なのか。雫先輩の声なのか。


私の意識は夢を見る領域よりも深くへ、無の中へと落ちていった。





数日後。


私は秋エリアの部室棟に来ていた。


ここは部の中でも規模の小さいものがあてがわれる場所らしく、部員は一人から五人程度、部費は月に三万円程度までの部が多いらしい。


ちなみに……みにのべ部の部費は月に五千円だ。掃除用具を補充したら終わっちゃう。


中は4階建て、どの階にもずらりとドアが並んでる。

リリアン編み同好会、創作かるた部、野菜アート研究会、よく分からない部も多い。


その一つ、古典奇術部。


中に入ると四畳半ほどの部室。中央にテーブルがあってカップとボールが置いてある。看板の通り古典的な手品の練習中だったみたい。


「……何の用?」


古典奇術部部長、矢束やづか音々ネオン

ぼさぼさの髪に太いフレームの眼鏡。制服の上から毛糸のカーディガンを着込んで体のラインを隠している。化粧すらしておらず、あの怪盗と同一人物だとは思えない。


「怪盗ならやめたわよ。盗んだものなら全部返した、もういいでしょ」


ここ数日、学内ではそれがニュースになっていた。


様々な部から盗み出された10あまりの物品、それが夜中のうちに部室に戻されていたという。

あの飛行船のスタッフはどうなったのか、プラネタリウム部と空木部長との関係は。気になるけど今はそれどころではない。

私は深く息を吸う。これは交渉なのだ。ヒトコトしか言えないようではやれない。落ち着いて、話すべきことをゆっくり話そう。


「どうして返したんですか」

「身柄が割れてる状態で怪盗やるわけないでしょ。欲しい物はたくさんあるけど、別の手段で手に入れるわ」

「盗まれたものの価値はせいぜい三千万円でした」

「……」

「あなたは【金貨】のスートに挑むためにお金を貯めてたはずです。でもとても10億円には足りませんよね。「あと仕事を一つか二つ」と言ってたはずです。どういうことですか」

「……まだあるはず、とでも言いたいの」


毛糸のカーディガンを着た怪盗はため息を付き、立ち上がって脇のファイル棚を開ける。


「部活バトルで稼いだのよ。これは私と戦った人のデータ」


それは人物や部活動についてのファイルのようだった。政治家の家系であり前衛派書道部の部長。学生ながら起業している皮革装飾部の部長。画期的な特許を得ており莫大な収入がある創薬部部長……。


「えっ……この部、年間収入が一億円……?」

「この学園なら上の下ってとこね。しょせん学生だから、アブク銭を扱いきれてないのよ。だから大金をかけた部活バトルに乗ってくる」


そういう人たちを倒して大金を得てきたわけか。


「そのお金で飛行船を作って、怪盗に……?」

「そうよ。市場価値なんか大した問題じゃない。この学園では本当に唯一無二のお宝が生まれる。切り絵細工部のレベルは世界最高と言っていい。バザーに出されてるバッグは最高の縫製と彫金。一流ブランドが作れば500万でも飛ぶように売れるわね」


超一流の人材。唯一無二の作品。


この六沙学園が芸術の殿堂とは言っても、あまりにも綺羅星の輝きが強すぎる気もする。

そこに何か意味があるのか、考えるべき時も来るだろう。


「よかった、じゃあいちおう合意の上で集めたお金なわけですね。賭博ではあるけど」

「そんなこと気にして部活バトルなんかやれないわ。だいたい創作AIだって違法でしょ」


それはその通り。

みにのべ部と怪盗にそんなに差はない。今回の件でも、一歩間違えればお縄になることはたくさんやった。


「でもさすがに、盗んだものを賭けてほしいとは言えなかった、だから確認したかったんです」

「賭ける?」

「【金貨】のスートに挑みます」


ばん、と机に手をついて、相手の顔を真正面から見る。



「だからあなたの財産、すべて賭けて勝負してください」


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