第70話 弔い
俺は必死に穴を掘っていた。
何も喋らず、ただひたすら掘り続けた。
使っていた小人族用のシャベルは、人間の力で扱うにはあまりにも細く、素材も粗悪だったためすぐに折れてしまい、今は木の棒で地面を削り、土を手で掬い出す様にして掘り進めている。
掘っている穴は一つだけ、ただし大きく深い穴だ。
殺された小人族の人達は、遺体の損傷が激しく、どれが誰の部位なのか判別が出来ない状態だ。
本当なら1人ずつ埋葬してあげたいところだが、この世界ではDNA鑑定など出来るはずもなく、仮にあったとしても鑑定結果が出るまでにどれだけの時間が掛かるのかもわからない。
時間が掛かれば、それだけ腐敗も進むし、野生の動物達に食い荒らされてしまう可能性もあるだろう。
周囲にはまだ遺体から流れ出た血と糞尿の匂いが立ち込め、鼻で息をする事さえ困難だが、そんな事を気にしている場合ではない。
「アキラ、お前はそろそろ休め・・・もう半日近く水も飲んでいないだろう?」
俺と同じく、木の棒で地面を削っていたアギーラが俺を気遣い、心配そうに見ている。
アギーラの言う通り、掘り始めて半日が過ぎ、すでに日は傾いてはいるが、休まず掘っていてもまだ埋葬出来るほどの深さではない。
出来れば夜までには終わらせ、今夜は焼け残った軒下で休みたい。
進んで来た森の中には、休めるスペースが無かったのだ。
ここで休むためには、レイアの家族や仲間達の遺体を埋葬し、地面を染めている大量の血と糞尿を流さなければいけない。
休んでいる暇など1分たりともないのだ。
「いえ、休んでいる暇はありません・・・」
俺は振り返る事なく頑なに休憩を拒んだ。
「ダメだ、休んで来い。
気づいていないのか?お前の手はマメが潰れて血塗れだ。
そのままでは、お前まで危険だ・・・休みたくないのなら、せめて傷の手当てだけでもして来い」
アギーラは頑として譲らない。
少し気が立っていた俺は、しばらくアギーラと睨み合う。
普段の俺なら、アギーラに睨まれただけでガタガタと震え上がるだろうが、今日はそんな精神的余裕はない。
だが、最初に折れたのは俺だった。
アギーラは俺を睨んではいたが、その瞳に怒気は無く、ただ俺を心配しているのが感じられたからだ。
「わかりました・・・ちょっと行ってきます。
しばらくお願い出来ますか?」
「あぁ、行って来い。
俺は戦時中に何度も塹壕堀りをしたから慣れている。
お前が戻るまでには終わっているかもしれないぞ?」
アギーラは冗談めかして俺を見送り、再び穴を掘り始めた。
「ラフィ、いるかい?」
俺は森に入り、ラフィ達から少し離れた場所で彼女を呼んだ。
俺の服や身体は血と土で汚れている。
レイアにその姿を見せたくなかったのだ。
「アキラ、もう終わったの?」
名前を呼ばれたラフィは、立ち上がって俺を確認すると、ゆっくりと近づき小声で聞いて来た。
「いや、まだ掛かりそうだよ・・・あの子は今どうしてる?」
「さっきまでは暴れてたけど、今は泣き疲れてララさんに抱かれて寝てるわ・・・。
こんな言い方は好きじゃないけど、小人族って本当にか弱い種族なのね・・・あの子がいくら子供とは言え、必死に抵抗されても難なく抑えられたわ。
そんな人達を子供も含めて皆殺しなんて、許せないわね・・・。
で、どうなの?手伝いが必要?」
ラフィはレイアとララの居る方向を見て、怒りに拳を震わせている。
「いや、手伝いは要らないよ・・・さっきララさんに忠告されたけど、あれは見ない方が良い。
俺も、見た瞬間後悔したよ・・・。
取り敢えず、手の治療をお願い出来るかな?
マメが潰れちゃってさ・・・」
俺はラフィに手の平を見せる。
すると、それを見た彼女は顔をしかめた。
「血塗れじゃないの!こんなになるまでほっとくなんて・・・。
ちょっと待ってて、今薬と包帯を持ってくるわ」
ラフィは慌てて荷物を取りに戻る。
「お待たせ、先に血で湿った土を洗い流すわね、滲みるけど我慢しなさいよ?」
水筒の水で土を洗い流し、その後消毒液を傷口にかける。
泣きそうな程滲みたが、俺は歯を食いしばって我慢した。
この程度で痛がっていてはいけないと思ったからだ。
殺された小人族の人達は、皆苦悶の表情を浮かべていた・・・彼等の受けた恐怖と苦痛に比べれば、この程度の痛みなどあって無い様なものだ。
「ありがとう、助かるよ」
「私は他に何もしてないしね・・・この位しか出来ない自分が歯痒いわ」
ラフィは寂しそうに俯く。
「ラフィ、それは違うよ・・・君があの子を見てくれているから、俺もアギーラさんも穴を掘るのに集中出来るんだ。
もし君があの子を見てくれていなかったら、あの子は家族や仲間達の変わり果てた姿を見てしまったかもしれない・・・。
陽が沈むまでには終わらせるから、もうちょっとだけあの子の事頼めるかな?」
「そんなのお安い御用よ。
あの子の事は私に任せて頑張りなさい・・・でも、無理だけはしないでね?」
ラフィはそう言うと、俺の身体を反転させる。
「あぁ、行ってくるよ」
俺が手を振ってアギーラの元に向かうと、ラフィは小さく「頑張ってね」と言いながら手を振り返してくれた。
「戻ったか・・・少しは頭が冷えたか?」
俺が穴の側に近づくと、気配に気付いたアギーラが俺を見る。
「はい、ありがとうございました・・・早速続きを始めましょう」
俺はそう言って穴の中に降りてある事に気付いた。
俺が治療を受けに行く前より、かなり深くなっていたのだ。
「さっきよりかなり進んでますね・・・」
「穴掘りは得意だと言っただろう?
これなら日暮れまでには遺体を埋葬出来るだろう」
アギーラは両手でズボンを叩きながら手に付いた土を払う。
「ありがとうございます・・・。
アギーラさんは、いつから冷静になれてたんですか?
正直、遺体の山を見た時には、今すぐ犯人を捜し出して殺しそうな勢いでしたよね?」
「そうだな・・・涙を流すお前が、彼等の遺体を埋葬しようと言った辺りからだな。
俺は、お前がさっき言った通り、あの時は頭に血が上っていた・・・。
だが、赤の他人のために涙を流し、弔おうとするお前の姿を見て、犯人を捜すより先にやるべき事を思い出す事が出来た。
彼等は家族や仲間のために勇敢に戦い、そして殺された・・・彼等は決して強い種族ではないが、その在り方は偉大な戦士だ。
彼等の小さな身体に宿る魂は、俺が今まで出逢ってきた数多の戦士達に勝るとも劣らない。
俺は戦さ場を離れて久しいが、竜人族の戦士の血を受け継ぐ者としては、勇敢に戦った小さくも偉大な名も無き戦士達の魂を弔ってやりたくなった。
だからこそ冷静になれた・・・。
アキラ、お前とはまだ出逢って間もないが、大事な事を思い出させて貰った・・・ありがとう」
アギーラはそう言って頭を下げた。
俺は別にそんな大層な理由で彼等を弔おうとしていた訳ではない。
ただ、そうしなければならない・・・そう思っただけだ。
確かに俺は涙を流した。
無惨に殺された彼等を不憫に思ったのも事実だ。
だが何よりも、自分と同じ血の流れた人間が、他者に対してここまで残酷になれると言う現実に打ちのめされ、そして、時としてそうなってしまう生き物であることを思い出してしまったのが一番の理由だった。
俺は、決して自分の事を善人だとは思っていない・・・。
明らかに相手が間違っている場合なら、売られた喧嘩は買うし、家族や仲間を傷付ける奴等には容赦はしない。
だが、それでも一定の自制心は保っている。
俺は、相手が引くならそれ以上の事は絶対にやらないと決めているのだ。
大抵の人間なら自制心が働く。
だが、そうでない者達もいる。
今回、小人族を惨殺した奴等は明らかに後者だ。
他者を貶め、嬲る事に罪悪感を感じない人間の仕業だ。
だが、そんな奴等でも血の通った人間だ。
自分の身体に、そんな奴等と同じ血が流れていると思うと、自分もいつか自制心が働かず、他者を踏み躙る存在になってしまうのではないかと不安が込み上げる。
果たして、ラフィやララ達が同じ目に遭った場合、俺は今のままでいられるのだろうか・・・。
「アキラ、あまりそんな顔をするな・・・。
お前は、自分で思っている以上に優しい人間だ。
そうでなければ、ラフィやララがあんなに慕うはずがないだろう?
彼等が殺された事は、お前には関係の無い事だ・・・。
確かにこれは人間の仕業だが、お前がやったのではない。
だから、これ以上悩むな・・・お前はただ、お前がしたい様に彼等を弔ってやれば良い」
1人で悶々と悩んでいると、アギーラが苦笑しながら俺を諭した。
「俺、そんな顔してましたか?」
「あぁ、穴を掘り始めてからずっとな・・・。
いつまでそのままでは、皺が戻らなくなるぞ?」
自分ではわからなかったが、ずっと眉間に皺を寄せていたらしい。
俺は指で眉間を揉み、皺を治す。
「さてと・・・アギーラさんのおかげで何とか穴掘りは終わりましたし、彼等を移しましょうか?」
「あぁ、俺が中で受け取ろう」
俺は穴から出ると、遺体の前に立って手を合わせた後、いくつかの部位を丁寧に布で包んでアギーラに手渡していった。
アギーラはそれを受け取ると、布から出して綺麗に並べていく。
俺達は彼等を落とさない様に細心の注意を払いながら作業を続けた。
遺体を移す作業が終わる頃には、完全に陽が落ちていた。
全ての遺体を移し終わり、その上に掘った土をかけて型を整えた。
「アギーラさん、ララさんを呼んで来てくれますか?」
「何をするんだ?」
「ここに流れている血と汚物を流してもらいます。
流石にこのままだと、彼等も安らかに眠れませんからね。
あと、アギーラさんは先に身体に付いた血と土を流して貰ってください。
その後は、俺が呼びに行くまでラフィとレイアちゃんを見ていてください」
アギーラは俺の指示を聞いて頷くと、ララを呼びに行った。
「お待たせしました・・・アキラさん、お疲れ様でした」
アギーラがララを呼びに行って5分程待っていると、ララが広場を見渡しながらやってきた。
「申し訳ないですけど、ララさんにはこれから疲れてもらいますよ。
先に俺を流して貰って良いですか?」
「わかりました」
ララは槍を俺の頭上にかざし、槍先から水を出す。
飲んで良し、洗って良しの万能武器だ。
「もう大丈夫そうですね・・・それで、私はここを流せば良いんですよね?」
「はい、見た所この広場は、俺達が来た方向とは逆側に傾斜があるみたいなので、そっちに向けて水を流してください。
大変だとは思いますが、彼等のためにお願いします」
俺は指で方向を指示しながらララに説明する。
ララは無言で頷くと、血を洗い流す前に、遺体を埋めた穴の前で手を組んだ。
「すみません、勇敢に戦った彼等に安らかな眠りをと思いまして・・・」
ララはしばらく祈りを捧げ後、唇をキュッと結んで槍を構える。
ララが槍を構えると、槍先から真っ直ぐに水の柱が現れた。
水柱は徐々に細くなり、ホースの先を絞って水流を強くする様に勢いが増していく。
軽く土を抉りながら血と汚物を押し流し、広場に充満していた臭いが和らいで行く。
「アキラさん、これでどうでしょう・・・」
作業を終えたララは、槍を杖の様に地面に突き立て、額に汗を滲ませながら俺を振り返る。
褐色の肌には髪の毛が張り付き、疲労困ぱいの表情だ。
「ありがとうララさん・・・後はゆっくり休んでて」
俺の言葉を聞いたララは目を閉じてゆっくりとその場に崩れる。
俺はすんでの所でララを支え、抱き上げる。
「お疲れ様・・・今日は、ララさんの忠告が無かったら卒倒してたよ。
無理させてごめんね・・・」
俺は死んだ様に眠っているララに労いの言葉をかけ、ラフィ達を呼びに行った。




