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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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【十六】凍りついた時間

 二月の第二週目が始まった。寒さは相変わらずだけれど、この短い二月が終われば寒さも緩むと思うと、何となく心もウキウキしてくる。春はもう、そこまで来ている。それでも今週の予定を思い出すと、溜息しかでなかった。

 今週の水曜日にはクラス役員の会議がある。慧と思いが通じ合ってから初めての役員会議で、今まで以上に平静でいられる自信が無かった。それも千裕さんの目の前で、どんな顔をしていればいいのか。とても彼の顔をまともに見られそうにない。私は上手く保護者の仮面をかぶり続けられるだろうか。

 先日の広報の会議の前に玄関先で彼と千裕さんの三人で顔を合わせた時も、かなり緊張してドギマギしてしまったけれど、今度は会議の前に三人で話し合いをしなければいけないのだ。


 二月七日の月曜日の夜、彼と電話で話をしている時、水曜日にある役員会議の話が出て、その流れで彼が私に問いかけた。

「俺達のこと、西森さんには話したの?」

「まだ、言っていないの。クラス役員の仕事が済んだら、話そうと思っているんだけど」

「俺のことなら、気にしなくていいよ」

「そういう訳じゃ無くて、恥ずかしいというか、何となく話し辛くて。でも、千裕さんには心配かけているから早く話さなくちゃとは思っているんだけどね」

「美緒の話し辛い気持ちも分かるよ。西森さんに話す時は俺も一緒にいようか?」

「えっ? 一緒に?」

「ああ、西森さんって思い込みが激しそうだから、美緒が話しても信じてもらえないかもしれないだろ?」

 確かに、千裕さんは思い込みが激しいかもしれない。愛先生のことも思い込んでいる感じだし、でも……。

「そうかな? そんなこと無いと思うけど」

 彼がいてくれたら心強いとは思うけど、いきなり二人して彼女の前に立ったら、彼女はどう思うだろう?

「それに、美緒は西森さんに対して、本当のことを話してこなかったこと、申し訳ないって思っているだろ? それは俺のせいでもあるんだから、俺からも謝りたいんだ」

 慧、どうして。

 私は胸が詰まってすぐには言葉が出なかった。

「け、慧、ありがとう。でも、私一人で話したいの。いきなり慧も一緒だと千裕さん驚くと思うし」

「じゃあ、美緒が話した後で、俺からも話をさせてくれるかな? 西森さんに謝りたいというのと、お礼も言いたいんだ」

「お礼?」

「そう、俺達が再会してから、いつも間に西森さんがいただろ? 西森さんの明るさに助けられたことも多かったと思うんだよ。だから」

 あぁ、そうだったね。

 千裕さんは、彼の前でいつも緊張して強張った私の心を、彼女特有の明るさで解してくれた。

「そうだね。千裕さんがいてくれなかったら、役員するのも辛かったと思う。私もお礼が言いたいから、一緒にお礼を言おう」

 そして、私達は話し合い、十五日の学習発表会の後、まず私が千裕さんに話し、その後に彼も合流して、二人で謝罪とお礼を言おうということになった。

 彼と一緒なら、もう何も怖くない。

 恐れずに前に進めばいいんだ。


     *****


 二月九日水曜日、午後三時に早退して小学校へ向かう。とうとうこの日が来てしまった。今回はいつもの会議とは違い、四時からの会議の前に、一年三組提案の親子レクリエーションの相談をするために、三十分早く集まることになっていた。それも、担任と千裕さんと私の三人で。

 午後三時二十分頃に小学校の駐車場へ車を停め、私は自分に活を入れた。

 保護者の仮面をかぶり続けること。それが今日の私の課題だった。

 もういっそ話してしまった方が楽だろうかと思うけれど、千裕さんの反応が想像つかなくて、やはり怖いと思ってしまう。心の中では、千裕さんなら喜んでくれるはずと思っているのだけれど、彼女の担任への思い入れを思い出すと、とたんに自信が無くなる。

 やはり、全てが終わってからだ。たとえ後で怒られることになっても。


「美緒ちゃんお疲れ様」

 一年三組の教室の前の廊下の窓から外を見ていた千裕さんが、私の足音に気付いたのか振り返り、いつものほんわかした声で挨拶代わりの労いの言葉をくれた。

「千裕さんこそ、お疲れ様」

 子供達が帰った後の人気の無い廊下で、いつもと変わらぬ千裕さんに安堵の笑を向ける。

「守谷先生、まだ来ていないのよ。もう教室の中へ入ってもいいと思う?」

 千裕さんの言葉に教室の中を覗くと、誰もいないせいでひっそりとしている。その時、近づく足音が聞こえ、振り返る前に胸が震えた。

「あっ、守谷先生、こんにちは」

 先に振り返った千裕さんの嬉しげな声が、静かな廊下に響き渡った。

「こんにちは。いつもより早く集まってもらって、すみません」

 担任はそう言って私達に会釈すると、「どうぞ」と教室の中へ先に入って行った。

 私は挨拶をするタイミングを逃してしまい、会釈するのが精一杯で、緊張のメーターがすでに振り切っている。

 担任はファンヒーターのスイッチを入れ、子供達の机をいつものように向かい合わせにしてくっつけている。後から入って行った私達もそれを手伝い、それぞれの席に着いた。

「親子レクリエーションは、考えて来てもらいましたか?」

 いつものように千裕さんの方を向いて声をかける担任が、こちらへも柔らかい笑顔を向ける。もうそれだけでドキドキしている自分が、恥ずかしい。こんなことでドギマギしていたら、千裕さんにバレルのも時間の問題か。

「親子レクといっても来られない親もいるから、親子がペアを組んでするようなレクリエーションは避けた方がいいと思うの。上の子の時はね、『ころがしドッヂ』をしたのよ。楽しかったから、それもいいと思うし、『玉入れ』なんかも面白いかも」

 驚いた。やはりPTA歴の長い千裕さんは、私の気付かないところを押さえてくれる。私は親子レクリエーションというからには、親子で組んでできる二人三脚なんかを考えていた。

「『ころがしドッヂ』というのは、ころがしてするドッヂボールのことですね?」 

「そうそう、普通のドッヂボールだと一年生では危なかったりするからね」

 担任は、「そうですか」と返すとメモを取っている。その手元を見つめていたら、顔を上げた彼がフッと笑うと「篠崎さんは何かありますか?」と私に話を振った。

 どうして彼はこんなにも完ぺきに担任という仮面をかぶりきれるのだろう?

 私は緊張と早くなる心臓の鼓動とで、動揺しまくりだというのに。

「あ、あの、保育園の時にした『ジャンケン列車』が楽しかったからいいと思うんだけど。準備するものも要らないし」

 担任と千裕さんの視線を感じて、いきなり噛んでしまったけれど、どうにか意見を言えてホッとした。しゃべりだしたら、少し気持ちが落ち着いて、何とか保護者の仮面をかぶれているようだ。

 親子で組む遊び以外だと、これしか思いつかなかったけれど、私の意見を聞いた途端、千裕さんが嬉しそうに私の方を見た。

「あー、それもあったね。『ジャンケン列車』は面白いよね。確かに準備も要らないから楽かも」

 千裕さんはウンウンと頷いて、私に笑顔を向ける。私の動揺には気付いてなさそうないつもの笑顔に、私は密かに心の中で安堵の息を吐いたのだった。

「『ジャンケン列車』というのは?」

 共通の話題で笑い合っている私達に、話題に入り込めない担任が問いかける。

「あー、それはね、誰とでもいいからジャンケンして、負けた人が勝った人の後ろに繋がるの。それで、先頭の人がどんどんジャンケンをするたびに、負けた方が後ろへ列車のように繋がっていって、最後は一本に繋がった列車になるのよ」

 すぐさま説明する千裕さんの顔を見ながら、私は同意するように頷いた。


「それは、何も準備が要らない上に楽しそうですね」

 担任は柔らかい微笑みを浮かべながら感想を述べると、他に意見があればと問いかけ、その後彼自身の考えて来たレクリエーション『ボール送り』と『ハンカチ落とし』について説明した。

 そうして、話し合った結果、『ジャンケン列車』と『玉入れ』を一年三組の提案ということになった。

 サクサクと話し合いは進み、予定していた時間よりも早く終わった。本会議まで時間があったので、誰とも無く雑談が始まり、和んだ雰囲気になった。

「何だか守谷先生、役員活動を始めた頃はどこかピリピリして固い感じだったのに、最近落ち着いたっていうか、柔らかくなったっていうか、プライベートでいいことがありました?」

 いつもの千裕さんの突っ込みに、こちらがドギマギしてしまう。

 二学期の個別懇談の時に、担任に怒られたと落ち込んでいたのに、立ち直りが早いのか、学習していないのか。それも、千裕さんらしいのだけれど。

 いかにも興味津々って顔でそんな質問をされた担任は、少し驚いた顔をして、チラリと私の方へも目線を向けた。私は居た堪れなくて目を伏せる。

「私も一年生の担任は初めてで、緊張していたんですよ。西森さんのお陰でどうにか慣れて、無事に終われるとホッとしているからじゃないですか? 篠崎さんも小学校は初めてでいきなり役員になって、最初緊張してみえたみたいだけれど、最近は慣れたみたいで、それも西森さんのお陰ですよね?」

 えっ? 私?

 いきなり会話に巻き込まれるように話を振られ焦る私は、優しい笑顔を向ける担任を見てしまい、またドキドキと鼓動が早まった。

「そ、そうなのよ。千裕さんのお陰で、この一年間何とか役員を務められたと思うの。本当にありがとう、千裕さん」

「何よ、みずくさいわね。私は役員になったお陰で、美緒ちゃんに出会えて嬉しいのよ。それに、守谷先生とも沢山話せたし」

「私もお二人との役員活動は楽しかったですよ。いろいろとご協力頂いて、ありがとうございます」

 担任は優しく微笑みながら、頭を軽く下げた。それを見て、私と千裕さんも慌てて「こちらこそ、ありがとうございました」と頭を下げる。

「守谷先生にそんな風に言ってもらえるなんて、役員した甲斐がありました。それよりも、本当はプライベートが充実しているから、そんなに落ち着いたんじゃないですか? 聞きましたよ、骨折した愛先生の送り迎えをしていたこと。もうー先生、関係ないなんて言っちゃって、照れなくてもいいんですよ」

 千裕さんはご贔屓の担任にお礼を言われて、気持ちが緩んだのだろう。ニコニコと話す千裕さんとは対照的に、驚いて目を見開いた担任は、同じく驚いて固まっている私を一瞥した。その視線は、美緒も知っているのかと問いかけているようで、私は思わず視線を落とした。

「西森さん、何度も言いますけど、本当に大原先生は関係ありません。送り迎えしていたのも、骨折の原因が私だからです。それから、まだ一部の人にしか言っていませんが、私には結婚の約束をした女性がいます。その人は教師ではありません。ですから、もう興味本位に大原先生を巻き込まないでください。お願いします」

 彼は、少し怒りとやるせなさを滲ませた低い声で、言い含めるように話した。

 私の心臓は、千裕さんの言葉に驚いて暴走しだしたけれど、彼の言葉に瞬間冷凍されたような気がした。

 一瞬凍りついて、止まった時間。千裕さんも驚愕の表情で止まっている。

 彼はきっと、こんな形で、愛先生のことを私には話したくなかったのだろう。

 私は、彼が結婚を約束している女性がいると、暗に私とのことを話してくれた嬉しさよりも、私が千裕さんに真実を言っていなかったばかりに、こんな形で話させてしまったことが辛かった。

 それでも、私の気持ちを思ってか、私との関係までは言わなかった彼の思いやりは、苦い思いをしながらも有難かった。こんな状態で、千裕さんに知らせたくはないもの。

 そして、彼の小さく吐いた溜息が、止まった時間を動かす合図となったのだった。




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