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いつか見た虹の向こう側【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
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【三十】単独取材

 運動会後の、由香里さんと西森さんの変な盛り上がりも沈静化した十月のはじめ、二学期最初の広報の企画会議が開かれた。

 十月六日水曜日夜七時に少し前、夜の学校はなんだか気味が悪いなと思いながら、会議のある図書室へ向かった。図書室のドアを開けると、西森さんが私に気付いて手を振った。他には、西森さんの後ろの机に座って話し込んでいる広報委員長と広報役員の誰か、そして、別の離れた机には三人で楽しそうにお喋りしている、顔は知っているけど名前は覚えていない人達。

 「こんばんは」と挨拶をして中に入ると、話をしていた人達もこちらを振り向き、挨拶をしてくれた。

「千裕さん、こんばんは。珍しいですね、一人なんて」

 西森さんはいつも誰かと話をしていて賑やかなのに、今日は珍しく一人でポツンと座っている。私が挨拶をすると、小さい声で「お疲れ」と言うと、閉じた唇に一本だけ立てた人差し指を当てた。

 それって、喋るなってこと?

 私が少し首を傾げると、彼女は手元のメモにスラスラと何かを書いた。

 『今、後ろで委員長達が、守谷先生のウワサをしているの』

 それを読んだ私は、呆れた。

 それって、盗み聞きじゃないですか?!

 西森さんは私の驚いた顔を見てニッと笑うと、隣の椅子を引き座るように促した。

 二人で盗み聞きなんかしたら、もっと怪しまれてしまうじゃないですか!


 その時、バタバタと残りの役員達がドアを開けて入って来て騒がしくなると、委員長達は話を辞めて、会議を始めるために離れて行った。

「美緒ちゃん、後で話すね」

 西森さんは、会議の始まる前に、小さな声で私にそう言った。

 何か、重要な噂でも聞いたのだろうか?

 なんだろう?

 気になる。


 委員長が前に立って、二学期の新聞づくりについて説明しだした。

 二学期は行事が多い。新聞のネタには困らないのだけれど、紙面をどのように配分するかが問題だった。結局例年通りということで、一面には、六年のキャンプと修学旅行、二面三面は運動会と文化祭をメインで載せ、あと学年行事と遠足を少しだけ載せる。四面は企画ページとその他のページで載せきれなかった記事ということになった。

 夜広報の担当は、一学期同様一面と四面を受け持つことになっている。四面の企画物は、最初の会議の時に出た案で、この小学校でのエコ活動の紹介をすることとなった。

「一学期に給食試食会をしたのですが、その時に空になった牛乳パックを開いてバケツの水で洗っていました。その水も花壇に撒くそうです。牛乳パックのリサイクルの為にエコなやり方だと思ったので、紹介したらどうでしょうか? まだ、去年から始めただけらしいので、保護者全員は知らないと思うので……」

 私は給食試食会の時のことを思い出して、提案してみた。周りのお母さん達もやはり知らなかったようで、「へぇ、そんなことをしているんだ」と感心している。

 その他にも、給食の残飯や調理時の野菜くず等をたい肥化して、地元の農家に引き取ってもらって、野菜を提供してもらっていることとか、ゴミの分別の為にゴミ箱をゴミの種類別に分けたことを掲載することになった。

 そして、それぞれの記事に担当者を決め、コメント依頼等の準備をして、会議を終えた。牛乳パックの件は、私と西森さんで取材することになり、その週の金曜日の給食が終わる頃に一年三組の教室の前で落ち合う約束をした。担任には西森さんがメールで連絡をしておいてくれることになり、私は取材の日は、職場でお昼休みの後一時間だけ暇をもらうことにした。


 図書室を後にし、だまったまま玄関に向かって歩いていると、西森さんがポツリと言った。

「やっぱり、噂って、どんなに口止めしても広まっちゃうものなんだね」

「え? まさか」

 いつもより静かな西森さんの言葉を聞いて、どの噂を指すのか思い至り、私は思わず彼女の方を見た。

「会議が始まる前に委員長達が話していた守谷先生の噂話ね、夏休み前に、守谷先生に不倫騒動が起こったでしょう? あの噂だったの。あれから随分日にちは経ったけど、守谷先生の噂だとやっぱり広まっていくんだなって、妙に感心してしちゃった」

 ああ、もう噂が広まっているのか。

 彼はこのことを知っているのだろうか?

 あの後、やっぱり何の処分も無かったのだろうか?

 本当に藤川さんの仕業なのだろうか。

 写真に写っていたのが私だってバレているのだろうか?

 バレていたら、今頃、質問攻めになっているよね。

 今のところ、そのことについて、誰かに何か訊かれたことは無い。でも、こうして噂が広まってくると、相手は誰だっていう追及は大きくなっていくものだ。私だって、写真に写っているのが自分じゃなかったら、誰だろうって気になるもの。

「あ、あの、守谷先生と一緒に写真に撮られた女性って誰かわかったの?」

 私は、思わず訊いてしまったけれど、一瞬驚いた様に眼を見開いた西森さんの顔を見て、自分がまずい質問をしたことに気付いた。

「あら、やっぱり美緒ちゃんも気になる?」

 西森さんは、同士を見つけたという様に嬉しそうな顔をした。

「そりゃ、あれだけ千裕さんに、守谷先生の話を聞かされたら、ちょっとは気になりますよ。それに担任だし……」

 私はその場しのぎの言い訳をしながら、どうか必要以上の焦りが顔に出ません様にと祈りながら、なんとか笑って見せた。

「あのね、綾ちゃんが推理していたみたいに、PTA会長じゃないかって話が出ていたらしいの。だけど、委員長はPTA会長と仲が良くて、会長が否定していたのを聞いたらしいの。それでね、守谷先生の以前から知り合いの男性に、子供の学校の先生だからということで頼まれて、たまたまその人の奥さんが子供を迎えに行ったところを写真に撮られたんじゃないかって……。だから、あまり面識のない奥さんだから、迷惑をかけたくなくて名前を言わなかったんじゃないのかって、言っていた」

 私はその推理に思わず笑いそうになった。良かった。まだバレていないんだ。

 私は安堵の気持ちで、「そうなんだ」と言うと、つい頬が緩んでしまったのだろうか? 西森さんにニヤリと笑われて、ツッコミを入れられた。

「何? ホッとした顔して。あくまでも推理だよ。でも、愛先生がいるんだから、守谷先生が不倫なんて、考えられないよね?」 

 西森さんのツッコミは時として、凶器にもなる。すっかり愛先生のことを忘れていた私の心に、現実を突きつける。西森さんはいい人だし、大好きな人なのに、時々恨めしくなる。

 知らないんだから、仕方がないよね。



             *****



「美緒ちゃん、ごめん。翔也熱が高くて。昨夜からちょっと熱っぽかったんだけど、下がるかなって思って、連絡しなかったんだ。どうする? まだまだ日はあるし、別の日にしようか?」

 西森さんは、取材に行く日の朝、行けなくなったと連絡してきた。

 取材は私一人でもできると思う。ただ、一人で行くかどうかだ。

「大丈夫だよ。職場にも今日のお昼に時間を貰う様に言ってあるし、私一人で取材して来ます」

「そう? お願いしていい? ごめんね」

 来週はまた、学級役員の会議があるし、その次の週は、親子学習会だし。その後文化祭も控えているから、やっぱり今日行っておいた方がいいよね? せっかく職場の人達の許可を得たのだから。

「了解。しっかり取材してきます」

 西森さんが気に病むといけないので、明るく言って電話を切った。


 お昼の休憩時間になると、私は急いでお弁当を食べ、職場の人に声をかけて職場を後にした。ちょうど食べ終わった頃に行かないと、タイミングを逃してしまう。そう思いながら、車を走らせた。

 学校に着いて、職員室で来校者用のネックストラップ付きの名札を受け取って、一年三組の教室を目指して歩いて行った。

 給食中のせいか教室のある棟へ続く渡り廊下には誰もいなくてシーンと静まっている。放送クラブが流す今時の音楽だけがハイテンションに流れていた。

 教室が並ぶ廊下まで来ると、廊下側の窓や入り口の引き戸が開けられた教室の中から、カチャカチャという食器の音と、子供達の賑やかなお喋りの声が聞こえてきた。

 時間を見ると、そろそろ食べ終わる頃か。

 私は、一年三組の教室の前まで来て、担任の席からは見えない廊下の位置から、開いている入口を通して教室を覗き込み、拓都を探す。

 あっ、拓都だ。隣の席の子とお喋りしながら食べている。

 目ざとい子供に見つかり、こちらを指差し「誰か来ているよ」と言われてしまった。

 仕方なく、担任が見える場所まで移動して、担任と眼が合うと頭を下げた。担任は立ち上がると、廊下まで出て来てくれた。私は、口角を少し上げて微笑みを作り、もう一度頭を下げて「よろしくお願いします」と言った。彼も穏やかな優しい表情で会釈してくれた。

 私はドキドキしながらも、彼に笑いかけられたことに満足した。

「西森さんのところの翔也が休みだったから、違う日になったのかと思いました。お一人ですか?」

「はい、一人でもできそうでしたので。後で牛乳パックを洗っているところの写真を撮らせてください。それからお話も少し訊かせて頂けたら……」

「わかりました。写真を撮る場合は、自分のお子さんを撮っていただくか、よそのお子さんを撮る場合は、後ろ姿等の本人が特定できないアングルでお願いします」

 彼が『自分のお子さん』と行った時、ドキリとした。

「わかっています。広報の方でも注意を受けていますので」

 そうなのだ。最近は個人情報保護法の観点からも、また犯罪などの予防の観点からも、児童が特定できるような写真を掲載する場合、親の許可が無いといけない。また、子供の写真を勝手に撮ったと怒る親がいないとも言えないからだ。


 その時、拓都が私に気付いて「ママ」と廊下まで出て来て呼んだ。私は拓都にニッコリ笑うと、今日は驚かそうと思って学校へ来ることを言っていなかったことを思い出した。

「学校の役員のお仕事で、給食の牛乳パックを洗っているところの写真を撮りに来たんだよ。拓都はもう給食を食べ終わったの?」

「うん。じゃあ、牛乳パックを持って来るよ」

 拓都はそう言うと自分の席に戻って行った。他の子供達も、突然現れた来訪者に興味津々なのか、私の周りに集まって来る。

「拓都君のお母さんなの?」

 可愛らしい女の子が私の顔を見上げて訊いて来た。私は「そうだよ」と答えると、「何をしに来たの?」と質問が続く。

 他の子が私の手に持っているデジカメを見て「写真を撮るの?」と訊く。また別の子が「何を撮るの?」と訊く。そして、次々に質問が飛び出し、私は困ってしまった。

 小学校の先生って、大変だと思って、今は教室の中へ戻ってしまった担任の方へ、助けを求める様に視線を向ける。

「こらこらおまえたち、そんなに質問攻めにしたら、拓都のお母さんが困るだろ? 今日は学校の役員の仕事でみえているんだから邪魔をしない様に」

 担任は私の窮状を見てとったのか、すぐに子供達に注意をしてくれた。一年生の子供達は素直に「はーい」と言って、私から離れて行った。

 こうして近くで、彼と子供達のやり取りを見ていると、夢の様な気さえする。最後の時は大学生だった彼が、希望通り先生になって目の前にいるなんて。


 拓都が切り開いた牛乳パックを持って来たので、バケツに入れた水で洗っている様子を写真に撮った。やはり顔がはっきり映らない様に、しゃがんで俯いている姿を横から撮った。

 当番が、そのバケツの水を花壇に撒きにいくというので、付いて行き写真を撮らせてもらった。

 そして給食を終えた子供達は、いっせいに校庭へ遊びに行ってしまった。拓都も私に手を振ると、友達と一緒に行ってしまった。他の教室からも子供達がどんどんと廊下へ出て来て、あっという間に外へ流れ出して行き、後は数人残った静かな教室と、担任と私だけだった。

「篠崎さん、この後仕事に戻られるのですか?」

 私がぼんやりと廊下の隅に立って、子供達が校庭へ出ていくのを見送ると、担任が声をかけてきた。

「え? あ、はい」

 いきなり訊かれたので、驚いて慌てた返事をしてしまった。そんな私を見て、彼はクスリと笑った。

「まだ時間はいいですか? このあと少し話したいことがあるので、この給食ワゴンを返して来るまで待っていてくれませんか?」

 えっ? 

 話したいこと? 

 もしかして?

「はい。わかりました」

 私が答えると、彼は給食ワゴンを押して給食室の方へ向かって行った。

 話したいことって、なんだろう?

 もしかして、不倫騒動のことだろうか?

 子供を預けたのが私だと、バレたのだろうか?

 私は窓から外の景色を見ながら、彼の話について考え続けていた。

 それとも、役員としての話だろうか?

 学校で話すことだから、きっとそうだ。

 こんな場所で個人的な話はしないだろうな。


「篠崎さん」

 ぼんやりと外を眺めていた私は、近づく足音にさえ気付けなかった。呼びかけられて、驚いて振り返ると、彼が先程と同じ穏やかな表情で微笑んだ。

「お待たせしてすみません。牛乳パックのことで何か訊きたいことはありますか?」

 なんだ、そんなことを言うために待たせたのか。

「いえ、説明頂いたことで、よくわかりました。写真も撮れましたし……」

 では、これで帰りますと言おうと思ったら、言葉を遮断する様に彼がまた口を開いた。

「篠崎さん、ちょっとこちらへ」

 彼は窓の傍を離れ、廊下の片隅へ誘導した。片隅といっても廊下の途中の壁際だ。それも階段の傍だった。担任と保護者が廊下で立ち話をしていても、特に変だとは思われない様な場所だろうか。

 窓から見えるのがダメだったのかな?

 単に教室の前から外しただけなのか。

 私は場所を移動した意味も分からないまま彼に従うと、彼は私を見つめて小さな声で話し出した。

「一学期の個別懇談の時言ったと思うけど、拓都を預かったことを誰かに尋ねられても、否定してほしいって言っただろ? あのことなんだけど」

 彼の口調がいきなり砕けたものになり、私は戸惑った。彼の担任モードと昔の知り合いモードは、どこで切り替わるのだろう? いきなりスイッチがオン、オフになる様に、見事に切り替わる。

 「ええ」と、取りあえず相槌を打つが、なぜいきなりこの話を? それも学校で? と頭の中で疑問がグルグルと回り出す。

「あのこと、もう心配しなくていいから。誰かに尋ねられることもないと思うし、もう巻き込むこともないから」

「えっ? あの写真の件、解決したんですか?」

 私は彼の言葉に、思わず尋ね返していた。しかし、言った途端に驚いた彼の表情を見て、私はまずいことを言ってしまったことに気付いた。

「どうして、そのことを知っているんだ?」

 彼は少し声を荒げた。私はその声にビクリとし、動揺して視線を泳がせる。

 その時、階段を下りて来る足音がし、私は気まずくなって一歩後ろに下がった。そして、階段の方を見上げる様に視線を向けると、下りてくる女性の足が見えだした。

 彼も階段に背を向けて立っていたけれど、半身になって、同じように階段のほうに視線を向けた。

「あっ、守谷先生。丁度良かった。お借りしたい資料があるんですが」

 階段を下りて来たのは愛先生だった。私はその姿を見た途端、胸にチクリと痛みが走った。彼女からは、長身の彼の向こうに私がいるのが見えなかったのか、階段を駆け下りながら彼に声をかけている途中で、やっと私の存在に気付いたようだった。

「今夜にでも連絡しますので、よろしくお願いします」

 彼は素早く私にそう言うと、愛先生の方に向き直り、「何の資料ですか?」と訊いている。

「あの、お話し中だったんじゃないのですか?」

 愛先生は、私に気を使って、戸惑いながら言う。

「大丈夫です。もう終わりましたから」

 彼は愛先生にそう言うと、私の方を向いて「今日はお疲れ様でした。また来週、会議の方お願いします」と言った。私もすぐに「ありがとうございました」と頭を下げると、彼は頷いて踵を返した。そして、私に軽く会釈をする愛先生と一緒に職員室の方へ歩いて行った。

 私は二人の後姿を見送りながら、冷たい風が吹きすさぶ荒野に一人取り残された様な気がした。


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