人生経験
桜木竜馬視点
私は隅風くんがこの純喫茶から完全に離れたことを確認すると、マスターの目の前に座る。
「今日は貸切にしてもらってありがとう、マスター」
「いえいえ、竜馬お坊ちゃんのお願い事なら断るわけにはいきませんよ」
「私も社会人としてやっていけてるのだから、そろそろお坊ちゃん呼びをやめてもいいと思うんだけどな」
「私から見ればまだまだお坊ちゃんですよ」
「手厳しいな」
ここのマスターの正体は私の会社の元副社長であった。
マスターは、会社の創設者である祖父の相棒であり、その優れた観察眼、思考力などから我が社に多大なる貢献をしてくれている。
また、父の教育担当であり、私たちにとっての相談役として今なお貢献しており、マスターには頭が上がらない。
「私を除け者にした話し合いは終わった?」
貸切中のこの純喫茶に入ってきたのは実だった。
実は今回の話し合いでは邪魔になると考え、別の仕事を任せていたのだが、それが気に入らないらしく、冷たい態度をとってくる。
「俺が悪者みたいな言い方をするなよ」
「私からみたら悪者だよ!私も隅風くんと話したかったー!」
私情丸出しである。
「実嬢様もお変わらない様子で」
「お久しぶりですマスター。」
「露骨に態度を変えるのはやめろよ。悲しくなる」
いつもは自由奔放な実でも、マスターの前では落ち着きある姿へ一瞬で変わる。
「当然でしょ、竜馬には散々迷惑をかけられているのに対して、マスターにはメチャクチャお世話になっている。態度が変わるのは当然!自惚れるな」
「普段迷惑をかけているのはお前の方だろうが」
「お元気そうで何よりです」
マスターは俺たちの関係を知っているので、俺も実もついつい素が出てしまう。
「マスター、いつものをよろしくお願いします。代金は竜馬で」
「おい!」
「かしこまりました」
俺の隣に座った実はしれっと注文をして、代金を俺に押し付けてくる。
「今日の話し合いを除け者にした罰です」
「理不尽だ」
このような流れになってしまったら、何をしても無駄だ。実の分もこちらが払わないといけない。
「アイスコーヒーとカツサンドです」
「おおー!早い」
「竜馬お坊ちゃんが来る時は必ず実嬢様もいらっしゃるので、事前に準備しておりました」
「流石マスター!」
そうして、カツサンドを美味しそうに食べる実。
その姿はどこか癒されるものがある。
この姿を見れただけよしとするか。
俺は奢りの件についてはそう言って自分を納得させる。
「美味しかったです!」
「ありがとうございます」
実は綺麗にカツサンドとアイスコーヒーを完食する。
「それで、話し合いは上手くいったの?」
「ああ、予想外のこともあったが結果的に上手くいったよ」
そうして、俺は実に隅風くんとの話し合いの経緯について、話す。
「なにそれ!正体バレバレで手のひらに踊らされていだなんて笑いが止まらないよ!」
話を聞いた実は大爆笑をする。客観的に考えると恥ずかしい話である。
「手のひらには踊らされていない」
俺は小さな声で抵抗をするが、実には聞こえていない様子だった。
「隅風くん、すごいね。実績だけ見ると高校生にはとても見えないけど、実際に話した感じどうだったの?」
「俺から見ても、受け答えも上手くやっているし、考え方が鋭いと感じたよ。高校生であのレベルは中々いないだろうね」
隅風くんからはこう言ったことに関して場慣れしている感じがあった。
高校生でそんな機会は多く無いと思うのだが、一体どういうことやら。
「マスターから見た隅風くんはどうでしたか?」
「俺からも聞きたいです」
実の質問に俺も同調する。
豊富な人生経験を持ち、鋭い観察眼を持つマスターからは隅風くんはどのように見えたのか、興味がある。
マスターは少し考えた後、言った。
「一言で言うなら、歪や不安定でしょうか?」
マスターの言葉の真意が分からずに、思考が一瞬止まる俺たち、一体どういう事なのだろうか。
マスターは、疑問に思う俺たちに自分の考えを述べる。
「彼の観察力や思考力、先見性には目が見張るものがあります。特に今回のような事柄だけに絞るなら、竜馬お坊ちゃんと同等、もしくはそれ以上かもしれません」
「マスターがそこまでいうんだ」
マスターの意見に俺も賛同する。今回の事といい、彼はこちらの行動を予測して動いている。
「ただ、それは才能があるからではないと思います。寧ろ人よりも劣っている可能性すらあります」
「それはどういうことですか」
「彼がこの純喫茶に来て最初にしたことは、学習です。家具の配置や私の立ち振る舞いから奪えるものはないのか、見て観察していました。それも無自覚で出来るほどに」
「全く気が付かなかった」
そのような様子を俺は全く読み取れていなかった。
「まさに一瞬のことです。気が付かないのも仕方がありません。ただ、それだけの境地に達しているのにその力は私たち程度に収まっている。」
「それのどこが才能が無いに繋がるの?私たちのレベルと同じなら十分才能があると思うよ?」
「そういうことか」
実はマスターの言葉の意味がわからないようだが、俺はマスターの言いたいことがわかった。
「どういうことなの?私にだけ秘密にしないで教えてよ」
「簡単な話だよ。無意識で学習をするほどの努力ができている。そんなことはすぐに出来ることでは無い、数年、下手したら10何年それを続けているんだ。才能があるなら俺たちには想像がつかない領域達していてもおかしく無いんだ」
「なるほど、だけどそれって明確にそうだと言えないよね」
「その通りです。だからあくまでも可能性の話です。」
マスターの観察力が高くても、あくまでも主観的なものになる。客観的な数値など確実性があるものでは無い。
「そのことが、歪や不安定といった事と何の関連が?」
「彼のしていることは、それなりの熱意があるべきだと思うのですが、彼からその熱意を感じることが今回は出来ませんでした」
「なるほど」
マスターは、あるべき動機が見つけれることができなかったということだ。
「彼の表面上は熱意に満ちていると感じるかもしれない。しかしながら、その裏側は空っぽのように私は見えました。そんな矛盾を見えたからこそ、私は彼のことが歪で不安定に見えました。」
マスターが言いたい事は頭ではわかるが、心ではわからない。
俺は彼からそこまでのことを見抜くことができなかった。
それに、マスターいう状況が想像がつかない。
「想像ができないといった感じですね」
「はい」
「仕方ありません、そのような事は滅多に起きませんから」
マスターはこちらの様子を見抜いて、カバーしてくれる。
流石はマスターだ。こう言った気配りが出来る所などもマスターが多くの人から信頼されるは一つとなっている。
「今は問題ないと考えます。彼なら上手く葵お嬢様の問題を解決してくれるでしょう」
「マスターがそういうなら一安心です」
こう言ったマスターの助言は外れることがかなり少ない。
なので、その言葉を聞いた俺と実は安堵する。
「安心ばかりはしてられませんよ。」
「それはどういうことですか?」
安堵していた僕たちにマスターは不吉なことを言う。
「これはあくまでも勘のようなものですが、もし竜馬お坊ちゃんが困難に当たるとしたら、葵お嬢様のことではなく、彼のことを深く知ろうとした時でしょう」
「深く知ろうとした時ですか」
「ええ、竜馬お坊ちゃんが彼にいった時には勇気を持って強引に行くべきという言葉を試されるのは、彼ではなくて私たちかもしれませんね」
マスターは少し楽しそうにいう。どうしてそんなふうに思えるのかは知らないが、これが人生経験の差かも知れない。
「そんなことよりももっと楽しもうよ、マスター!一番高いコーヒーよろしく!代金は勿論竜馬で」
「おい!!」
「さっきの話、私を除け者にした分だよ!」
「言い掛かりだ!」
そんなこんなで、俺たちは久しぶりのマスターの料理を満喫したのであった。
代金は4万円近く飛んだ、貸切分も含めると考えたくもない金額だ。
まあ、それなりに稼いでいるので問題はないのだが。




