その7 予想外の光景
◇◇◇◇◇◇◇◇
ボスマン商会の中は前線の作戦司令部のようになっていた。
代官の家令と町の衛兵隊長が詰めている事からも、実質的に今回の事件の対策本部となっているのが、このボスマン商会なのが分かる。
ティルシアは堂々と。シャルロッテはおずおずと。
今や対策本部となった大部屋へと足を踏み入れた。
マルティンが読んでいた資料から顔を上げて二人を見た。
「彼はいないのかい?」
「調理場で保存食を受け取るとダンジョンに向かいました」
「・・・早いな。説明くらいしておきたかったのに」
ハルトの拙速が不満だったのか眉間に皺を寄せるマルティン。
「フェルヘイ様から話は聞いています」
「ああ、フロリーナ嬢の。そういや彼女は君達と一緒に住んでいたんだっけ。だったら問題無いかな」
マルティンはチラリと資料に目を落とした。
どうやら丁度フロリーナから上がって来た(正確にはフロリーナから話を聞いた商会の人間が纏めた)資料に目を通していた所だったようだ。
フロリーナは壊滅的に文章力が無い。
元々貴族の令嬢だった彼女は、報告書どころか誰かに手紙を書いた事すらなかった。
というよりも自分の手で手紙を書く貴族はどこにもいない。
手紙を出す必要が出来た時には、屋敷の祐筆が主人に代わってペンを取るからである。
「どうだろう。彼が何とかしてくれそうかな?」
「彼ならばおそらく。我々は彼に任せて被害の拡大を抑える方向で動くべきかと」
周囲の耳と目を警戒して二人はハルトの名前を出していない。
マルティンは少し表情を緩めた。
彼はハルトのスキル、ローグダンジョンRPGの能力をほぼ正確に知っている。
あるいはスペックに関しては本人よりも正しく理解しているかもしれない。
マルティンがボスマン商会にとって切り札であるように、ハルトはマルティンにとって切り札なのだ。
「分かった。これからすぐに町の商会主達との会談があるから護衛を頼めるかな」
「はい。シャルロッテ、お前はここに残って集まった報告書にざっと目を通しておけ」
「わ、分かったよ」
シャルロッテはマルティンの机に山と積まれた書類の束に、若干目を泳がせながら頷くのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はダンジョンの階段から顔を出した。
ここからは四階層。中層と呼ばれる階層となる。
「やはり偽迷宮騎士の姿は見えないか」
一階層ではあちこちで姿を見かけた偽迷宮騎士だが、二階層、三階層と下りるに従ってその数を減らしていた。
どうやら中層以降にはいないらしい。
「流石にダンジョンの上から下まで、とはいかなかったのか? それとも今はまだ数に限りがあるだけで、時間と共に増えていくのか?」
今の俺の階位は3。中層に下りるにはギリギリの階位だ。
とはいえ、上層にはあちこちに偽迷宮騎士が徘徊していたために、ロクに経験値稼ぎが出来なかったのだ。
「中層以降がいつも通りなら、ここで階位を上げればいいか」
ここまで来て分かった事だが、偽迷宮騎士の存在さえなければ、驚くほどいつも通りのダンジョンだった。
こうなれば10年近く仕事場にしていたダンジョンだ。
効率の良い階位上げの相手も経験値稼ぎのポイントも良く知っている。
「しかし、一体あいつらは何なんだろうな」
最初の出会いがしらの遭遇で反省した俺は、あれ以降、偽迷宮騎士に見つからないように慎重に立ち回っていた。
とはいうものの、迷路のようなダンジョンで何処にいるのかも分からない相手を完全に避けるというのはやはり難しい。
結局俺はあの後も何度かニアミスを繰り返していた。
その度に俺は命の縮む思いをしたのだが、偽迷宮騎士は一度として俺に襲い掛かる事は無かった。
その経験で分かったのは、偽迷宮騎士は俺を相手にしないという事だった。
とはいうものの、いつヤツらの気が変わるかは分からない。
十分に階位を上げるまで、見つからないに越したことはないだろう。
もう一つ分かった事はヤツらの装備についてだ。
ぱっと見はほぼ同じにしか見えない偽迷宮騎士だが、その装備は微妙に個体差があった。
具体的には微妙に質の悪い装備の者もいれば、少々質の良い装備の者もいた。
同じに見えてヤツらの中にも階級差なり実力差なりがあるのかもしれない。
いや、迷宮騎士が迷宮で生まれたモンスターだとするなら、実力差と考える方が妥当か。
それとたまたま、二体の偽迷宮騎士が出くわした場面も見かけたが、二体とも全くの無反応で立ち止まる事すら無くすれ違っていた。
ヤツらの中身がもしも人間なら、同僚と挨拶くらいはするんじゃないだろうか?
やはりヤツらの中身はダンジョンの魔法生物――モンスターなのだろう。
この騒動の謎を解く鍵はダンジョン最下層。原初の神がいるあの『何もない部屋』にある、か。
「だが、しばらくは中層で階位上げだな」
俺は背中の荷物を背負い直すと中層に足を踏み入れるのだった。
思ったよりも階位上げに時間をかけてしまった。
元々慎重派の俺は、つい余裕を持って階位を上げる傾向がある。
ましてや今日のダンジョンはかつてない異変が起きている最中だ。
突発的な事態に対応出来るよう、ついつい階位上げに力が入ってしまったのだ。
とはいえ今の階位は20。俺でも中層でこれ以上上げるのは骨が折れる。
「深層以降はノンストップでもいいかもな」
俺はすっかり軽くなった背中の荷物から保存食を取り出しながら独り言ちた。
経験上、大体階位40前後あれば最下層には無理なく辿り着ける。
よってこれ以降は、出会い頭に遭遇した敵を倒して手に入る経験値でどうにかなるだろう。
強烈にスパイスだけ利いた、うま味の欠片もない保存食を咀嚼しながら、俺は階段で少し長めの休憩を取った。
四十階層以降はアンデッド系のモンスターが増える。
いくら俺でも腐った肉の匂いが立ち込める階層でメシを食う気にはなれない。
今のうちに十分に腹を満たしておきたかったのだ。
よし。行くか。
俺は気合を入れ直すと深層へと足を踏み入れるのだった。
「そんな・・・ 馬鹿な」
俺は自分の目で見た光景が信じられなかった。
ここは四十九階層の階段の出口。
ここにたどり着くまでは全くいつも通りだった。俺は出会ったモンスターを相手にしながら順調に階位を上げながら最下層を目指していた。
本来であればこの先には最下層、『何もない部屋』へと至るあの扉があるはずである。
しかし今、俺の目の前に広がっているのは全くの予想外の光景。次の階層だったのだ。
そう、最下層が無くなっていたのだ。
「いや、そんなはずはない。最下層に原初の神なり原初の神の一部があるからこそ、ここはダンジョンなんだ。もし原初の神がいなくなれば、ここはただの洞窟になってモンスターのリポップもしなくなっているはずだ」
最下層が無くなった訳では無い。
だとすれば考えられる原因は二つ。
最下層に入るのには何か条件があって、今まで俺はたまたまそれを満たしていたために入れていたのが、何かの理由で条件が変わった事で入れなくなってしまった場合。
もしそうなら完全にお手上げだ。
あまりにも攻略のヒントが無さすぎる。
ひたすらこの階層をマラソンして、いつか偶然条件を満たすのを待つしか無くなる。
ほぼ実現不可能な方法と言ってもいいだろう。
もう一つの可能性は、俺の知らない間にダンジョンが成長して、最下層が五十階層以降になってしまっている場合。
これだと先に進めばいつかは最下層に到達出来るという事になる。
俺にとっては当然こっちの方が助かるのだが、なぜ階層が増えたのかという疑問が残る。
今まで原初の神は、俺が手を貸す事で少しずつその力を取り戻していた。
最近俺は最下層を訪れていない。
ダンジョンが成長するような事は起きていないはずである。
予想を遥かに超えた異常事態に、俺の喉がゴクリと鳴った。
原初の神に何かが起きているのはほぼ確実だ。
最悪の予感に、俺の心臓が痛みを感じるほどドキドキと早鐘を打った。
次回「帝国王弟ブルート」




