第93話 退院の日
第二章は、次回あと一話で終幕予定です。
その後、第三章に入るまで二週間ほどお時間をいただきます。
この期間で、改稿と章分けなどを進めて、より読みやすい形に整える予定です。
いつも読んでくださってありがとうございます。引き続きよろしくお願いします!
ディアンの診療所。退院の前日、静かな病室に夕暮れの光が差し込んでいた。
「話しておきたいことがある。ザイラスの拠点を鎮圧した。犯人は……もういない」
レオンの声は低く、波風のない湖面のようだった。
「そっか……」
レナはまぶたを閉じる。
騒がしすぎた数日が、ようやく遠ざかっていく気がした。
レオンは黙ったまま、懐から小さな包みを取り出した。
布をほどくと、赤い光がふわりと室内に灯る。
──赤魔石。
透明な結晶の奥に、どろりとした血の気配が沈んでいる。
生きていた頃の温度を押し込めたような、重たい赤だった。
「これ、ザイラスの拠点で見つけたんだ」
レオンの言葉に、レナの視線が止まった。
魔石から目が離れない。吸い寄せられるように、ただ静かに見つめる。
「……これ……まさか」
小さく震える声。
理解した瞬間、肩がふるりと揺れた。
「多分……お前の母親のものだろうな」
レオンは目を伏せた。
“自分が関わっている罪”を、彼女に映したくなかったからだ。
「………お母さん……」
レナの瞳から、静かに涙が零れた。
赤魔石を受け取った手は驚くほど落ち着いていたのに、
胸に抱きしめた途端、堰が切れた。
声にならない嗚咽が落ちる。
母はもう戻らない。
だが、最後の欠片だけが、こうして戻ってきた。
レオンはただ傍に立っていた。
慰めも、言葉も出さない。
それがレナの傷を余計に抉ると知っていたからだ。
レナは涙を拭い、赤魔石を胸に押し当てるようにして言った。
「……お母さんを連れてきてくれて、ありがとう」
その一言が、刃のようにレオンの心臓を貫いた。
優しさが鋭すぎて、痛みの方が強い。
彼は、ただ静かに息を吐いた。
***
──レオンの胸の奥で、何かが軋んだ。
レナが泣いていた。
母親の形見である赤魔石を抱きしめて。
血の結晶を、宝物のように。
彼女は知らない。
その母の命を奪ったのが、目の前の自分であることを。
「ありがとう、レオン」
その言葉が、脳裏を焼いた。
……俺を赦すだろうか?
自分の人生を踏み潰した男を。
それとも、断罪する?
逃げてしまうのだろうか。
本当は、お前が真実に触れるより前に──
俺は、逃げ道を塞いでしまいたい。
他の誰にも、どこにも行けないように。
俺の元にしか、いられないように。
俺は、お前にとって“救い”でいたいのに。
同時に、お前を閉じ込めたいほどに、壊れている。
***
夜勤の巡回に出たディアンとユージンは、レナの病室に近づいたところで足を止めた。
──扉が、わずかに開いている。
「……あいつ、まだいるぞ」
ディアンが小声で笑う。
ユージンは半分呆れたように眉を寄せ、そっと覗き込んだ。
病室には静かな月明かりだけが満ちている。
レナは深く眠っていた。その枕元に、レオンが立っていた。
彼はしばらくレナを見つめ、指先で頬をなぞる。
その手つきは、驚くほどやわらかい。
そして──迷いもためらいもなく、そっと額に口づけた。
ディアンもユージンも、同時に固まった。
「……おい。今の……見たよな?」
「見ました。……完全に、“心”入ってますよ、アレ。」
二人の顔が青ざめる。
「依頼で女抱くくらいの色男がよ……寝てる少女相手に初恋みたいなキスかよ。お前……あの男がそんな顔できるって誰が思うんだよ……」
小声なのに、震えていた。
ユージンは唾を飲み込む。
「もしレナちゃんが……泣いたりしたら……国が二つは消えるな。」
冗談ではなかった。
彼らは本気でそう考えていた。
「……ディアンさん。これ……どうします?」
闇医者は目を細め、静かに宣言した。
「決まってんだろ。あの二人が拗れたら世界が割れる。……なら、俺たちが全力で支えるしかねぇ。」
「つまり……?」
「レオン × レナ 友好裏同盟発足だ!」
ユージンは真顔で頷いた。
「世界の平和のために……協力します!! 例のボード、更新しておきますね」
***
◆診療所スタッフルーム
診療所のスタッフルームには、白いホワイトボードが設置されていた。
そこには、赤字でデカデカと書かれている。
《レオンの激重溺愛リスト》
•毎日診療所に張り付き(勉強・訓練放棄)
•「寒くないか?」「水飲め」「横になれ」が口癖
•ベッド脇の椅子は専用席、誰も座らせない
•消毒も看病も全部自分でやる(過保護)
•寝顔にちゅー ← NEW!!!
***
退院の日。
ディアンの診療所の玄関には、昼下がりの光が差し込んでいた。
「ディアンさん、ユージンさん。本当に……色々ありがとうございました」
レナが深く頭を下げる。
ディアンは白衣のポケットに片手を突っ込み、面倒くさそうに手を振った。
「おう。魔力の反動はあとから来る。ちゃんと検診に来いよ」
「はい……わかりました」
「それと代金は……まあ、そっちの“旦那”から貰っとくから」
「……旦那?」
レナの視線が横に動き、レオンへ向く。
レオンはレナの荷物を全部肩に掛け、いつもの冷然とした顔で黙って立っていた。
そのくせ、レナが首をかしげた瞬間──
自然すぎる手つきで、彼女の手を握る。
「ほら、行くぞ。歩けるんだろ」
「あ……う、うん。でも荷物──」
「持たなくていい」
短く言いきり、離そうとしない。
そのまま手を繋がれて。レナは少し照れながら歩き出した。
***
重厚なカーテンが半分閉じられ、外光を遮った室内に、銀の燭台の灯火が揺れていた。壁一面の書架には、古代魔術書と禁書が整然と並ぶ。
セリル・アロイスは革張りの椅子に腰をかけ、机の上に事件をまとめた書類と新聞を広げていた。その向かいには、脚を組んだイリア・ヴァレンティアがくつろぐように座っている。
紙面の一行に目を留め、イリアが薄く笑った。
「赤魔石の模造品か。……いずれ、こういう研究者は出ると思ってたよ」
セリルは肩をすくめる。
「物好きはどこにでもいるさ。本物に触れたこともない連中が、危険な真似を始めた──ってところだろう」
「あの石に何の価値があるんだか。僕には全く分からないね」
「君にとっては、だろう?」
セリルの唇に、かすかな笑みが浮かぶ。
「模造品にすら価値を見出す者もいる。本物なら、なおさらだよ」
「ふうん。……弟のこと、もう嗅ぎつけたのかい?」
「もちろん」
セリルは手元の新聞を持ち上げ、名誉章授与の記事を軽く指で弾いた。
「“レオン・ヴァレント”。顔写真付きだ。カリグレア学院で名誉章とは、大した優等生ぶりだな」
「ふふ、そうみたいだね。名誉章、か。そんな殊勝なことをする子じゃなかったはずだけど」
「今回の授与で、居場所が君の家に正式に露見するだろう? 弟は何年も帰ってないんだろうに」
「とっくに居場所は割れてるよ。……僕の家だよ?」
「それもそうだ」
セリルは別の書類を取り上げる。街道北西の鉱山地区に印がつけられた地図と、裏取引の報告書。
「組織の壊滅も、君の弟だろうな。手際が良すぎる」
「まだ裏の仕事をやってたのか。……まあ、弟にはそれしかないだろうから」
イリアは退屈そうに天井を見上げた。
「セリル、それはどの程度の影響がある?」
「都市ひとつを呑み込める蛇でも、国家全体から見れば“指先”だ」
セリルは地図の一点をペン先で軽く叩く。
「切り落としたところで、本体は少し痺れるだけで済む。供給網の末端が一つ潰れたに過ぎない。表向きは『廃坑の事故』で処理されるだろうさ」
そして、眼鏡の奥の視線をイリアへと向ける。
「それよりも──会いに行かないのか」
イリアは肩をすくめ、視線を窓の外へ流した。
「レオンに会ってもなあ。僕、あの子に嫌われてるから」
小さく笑い、わざと軽い調子で続ける。
「……ああ、でも、そのうち会いに行くよ。あの子よりも、大切な用事があるからね」
静かに、イリアは立ち上がった。
背後の壁に掛けられた黒鞘の魔剣──《ダインスレイブ》の柄に、そっと手を添える。
黒鞘の奥で、禍々しい脈動が静かに応えた。
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