第92話 偽りの英雄
病室の白いシーツの上で、レナは毛布にくるまったまま、エリックが差し入れてくれたクッキーを食べていた。
頬がふくらみ、表情は幸せそのもの。
「やっぱエリックがくれるお菓子って、最高〜。なんか、元気になる味する」
「……砂糖の塊だぞ、それ」
椅子に座っていたレオンがぼそりと突っ込む。
「え? 甘ければだいたい体にいいんじゃないの?」
「どこの理論だそれは。お前、回復したばっかだろ」
レオンは額を押さえた。
レナが極大魔術で全魔力を使い果たし、血も抜かれた状態から復活したのはほんの数日前。
そのわりに、やたら元気そうだ。主に胃袋が。
「……なあ、レナ」
「ん?」
「なんで、お前……あんな魔法、知ってたんだ? 極大魔術。普通じゃ覚えない。俺でも攻撃されたら大怪我するレベルなんだが」
レナはぽかんと口を開けた。
そのあと、ゆっくりと思い出すように──
「お母さんが教えてくれたよ」
「……は?」
「敵には容赦せず、キレたら撃ちなさいって。怪我するけど、生きる確率は上がるからって」
「お母さん、すげぇな」
「あとね、逃げ道はいつも教えてもらってたし、生き延びる方法もよく教えてくれた」
レオンは軽く目を閉じた。
ファウレス家の教育方針、割とサバイバルだった。
(……可愛い顔して笑ってるけど、血統的にはやっぱりアレなんだよな)
そして目の前では、本人が悠々とクッキー3枚目に突入していた。
「なあ。せめて今日から野菜食え。あと、甘いのは1日2個まで。今の体で無茶すると、また倒れる」
「えー、やだ〜。レオン、お兄ちゃんみたいなこと言う〜」
レオンはため息をついた。
(……お前が死んだら俺はどうすりゃいいんだよ)
その言葉だけは、喉まで出かかったが飲み込んだ。
代わりに、ぐるぐる栄養表のメモを書き出す。
もはや職業:栄養管理人。
「レオン、ちょっと怖い顔してるよ? お菓子食べる?」
「……いらん。お前の命の管理で今は手一杯だ」
***
その日の午後の学院。
石造りの廊下を進む靴音が、静まり返った理事会室へ吸い込まれていく。
扉を押し開けた瞬間、十数の視線が一斉にレオンへ向けられた。学院理事、教務長、軍部から派遣された監察官。重苦しい空気が張りつめる。
「君が報告者か。レオン・ヴァレント」
議長格の老人が低く言った。
レオンは無表情のまま前へ進み、提出した報告書の写しに視線を落とす。
「ザイラス・カイゼル。旧教会地下に拠点を構え、偽造魔石とキメラを製造していました。本人は抵抗の末、殲滅済みです。遺体の一部は回収済み。現場に残っていた器具類も押収しました」
淡々とした声が広間に響く。
沈黙を破ったのは別の理事だった。
「背後に組織がいた形跡は?」
レオンは無感情にまばたきを一度だけ落とす。
用意された椅子に腰を下ろす。
「外部に繋がる記録は残っていませんでした。送り主、宛先、通信系統──意図的に削られている。情報として成立する断片は残されていません」
沈黙。理事たちの間に、別の気配が走る。
「削ったのは誰だ?」
「分かりません。ただ、ザイラスの性格なら、誇示する痕跡を残す。今回はそれがない」
会議室の空気がわずかにざわつく。
「では、“何者か”が処理した可能性は?」
レオンは表情を動かさず、線を引く。
「可能性はあります。ただ、確証がない以上、報告には残せません」
「君は何かを隠していないか? あるいは、処理し過ぎてはいないか?」
矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
レオンはまぶたひとつ動かさない。
「私が何かを処理したと? 証拠はありますか?」
静かな声が、かえって冷ややかに響く。視線だけを返し、椅子の背にもたれたままの姿勢は一切崩れない。疑念は消えない。だが、何を突きつけられてもレオンの冷徹な証言に反論できる材料はなかった。
「学院を守ったのは事実だ」
「……彼が動かなければ、被害はもっと広がっていた」
その言葉を合図に、場の空気はわずかに変わった。
疑いを飲み込み、功績だけを評価する──それが学院に残された“現実的な選択”だった。
複数の視線が、無言のレオンに集まる。
だがレオンの碧眼には、何の色も宿ってはいなかった。
***
石造りの会議室に、重い沈黙が落ちていた。
壁際には古い魔術旗が掲げられ、燭台の炎が僅かに揺らめいている。学院長をはじめ、理事や幹部たちが円卓を囲み、口々に低く言葉を交わした。
「……ヴァレントの件は、英雄としての扱いで問題ないだろう」
「市街への被害を抑えたのも事実だ。生徒を救った功績もある。功労章を授与するのが筋だ」
表情は整っていた。だが、誰の瞳にも警戒の色が宿っている。
彼は優等生ではない。制御不能の戦力だ。
だが、今の学院にそれを捨てる余裕はない。
「決まりだな。……レオン・ヴァレントには、学院の名誉を背負ってもらう」
議長の声が落ちると、重々しい沈黙が再び広がった。
その場にいた誰一人として、彼を「信頼している」とは思っていなかった。
***
数日後。ステンドグラスから差し込む光が壇上を彩る。壇上の学院長と理事たちは正装に身を包み、ホールを埋める学生たちも一様に立ち上がっていた。
その中央に、ひとりの少年が立っていた。
黒の制服を纏うレオンだった。
「──よって、レオン・ヴァレント。
その働きにより、学院はここに最大の感謝を示し、名誉章と称号を授与する」
学院長の声が高らかに響くと、講堂全体に歓声と拍手が広がる。だが、その中心に立つ少年は、わずかに瞬きをしただけだった。
差し出された勲章を受け取り、掌の上で転がす。
視線に熱はない。紙に印字された名誉の辞も、銀色に輝く章も、彼にとってはただの装飾にすぎなかった。
「馬鹿らしい……」
唇から零れた声は、誰に向けたものでもない。
ただの独白。だが、その響きは冷えた刃のようだった。




