第91話 お見舞い
レナは点滴と魔術安定装置に繋がれ、静かに眠っていた。
ディアンはそっとカーテンを引き、隣室の無人の応接にレオンを案内する。
使い込まれたソファと小さな魔石ランプ。棚には古びた医術書と薬草の標本が並び、そこだけ時が止まったようだった。
魔術の光ではなく、人の手の痕跡が残る“裏の医者”の部屋。
「コーヒーか?……いや、どうせ飲まんよな」
ディアンはひとりでコーヒーを淹れ、立ちのぼる香りを確かめてから一口含む。
「さてと、レオン。聞きたいことがある」
ディアンはカップを机に置き、目だけでレオンを射抜いた。
「調べた所、あの子の血の質は異常だ。毒みたいに“魔力が暴れる”血だ。普通の人間なら、体が先に悲鳴を上げる。なのに、あの子は平気そうな顔をしてる。ありゃ、相当な訳ありだな?」
「だからここに連れてきた。あれだけの怪我は学院で見せられない」
レオンの声は淡々としているが、目の奥にかすかな苛立ちがあった。
「よくここに運び込めたな。……正しい判断だ」
ディアンが苦く笑う。
「あんたが必死になったとこなんて初めて見たよ。どんな女が泣いても、誰が死のうと顔色一つ変えなかったあんたがさ」
「……何が言いたい」
レオンの蒼い瞳が細められる。
「変わったなって思ってね。ただ、この年まで俺も色んな裏の話を聞いてる。あの手の血には“値札”が付く。依頼も札束も、静かに回り始める。本物がいるって匂いが立ったら、騒ぎは一気だ」
ディアンは背もたれに体重を預け、カップを指で弄ぶ。
「あの子の血は、あんたが思っている以上に厄介だ」
「そんなことは分かってる」
レオンは視線を逸らさずに答えた。
「それならいい」
ディアンはわずかに笑い、コーヒーを啜る。
「あの子が、あんたの生き方を変えさせるかもしれんって、少し思ってる。まともになれとは言わんが、少しでも人間らしくなりゃいい」
ディアンは肩をすくめ、吐息をこぼした。
***
部屋のドアが静かにノックされた。
「失礼しまーす。レナ、起きてるかな?」
ひょこっと顔を覗かせたのは、栗色の髪を持つ、どこか抜け感のある青年──エリックだった。
彼の手には、紙袋。控えめな花柄がついた、ちょっと可愛い系の包装だ。
「エリック!」
レナは嬉しそうな声を出した。
「お見舞い……というより、差し入れかな?」
エリックはそっとレナの枕元に近づくと、袋の口を開いた。
「じゃーん、特製クッキー。……って言っても、街の人気店のやつだけどね。チョコとナッツと、あとレナの好きそうなやつ、適当に詰めといた!」
ふわりと、甘い香りが広がる。
レナは起き上がり、クッキーを受け取った。
「しあわせ……」
「まだ食べてないじゃん!」
その時、扉がバンッと音を立てて開き、レオンが現れた。
「おい、何してる」
「見舞いに来たんだよ」
エリックはクッキーの詰め合わせを見せる。
「甘いものは今の身体に重い。回復の流れが乱れる」
「でもレナ、甘いもの好きでしょ?」
「今は“療養”中だ」
レオンの声は静かだが、目が笑っていない。
「じゃあ、聞くけどさ。お前は彼女の“主治医”か何か?」
「違う。俺は“保護者”だ」
エリックがふっと笑った。
「いやいや、保護者名乗るには年齢足りてないでしょ。……あと、干渉しすぎじゃない?」
「生死に関わることに年齢は関係ない。俺がいなければ、あいつは今ここにいない」
「……それはそうかもしれない。けどさ──」
エリックは椅子から身を乗り出し、声を低めた。
「“生かしてる”からって、本人が嫌がることまで決めていいとは限らないよね」
一瞬、空気が変わった。
レオンの青い瞳が静かにエリックを見つめる。
「お前こそ、“優しさ”を免罪符にすべて踏み込むな」
「踏み込んでない。手を伸ばしてるだけ」
「じゃあ聞く。──あいつのどこまで見てる?」
「……レナが泣いても笑っても、最後まで“人として”見るって決めてる」
「……甘いな」
「そっちが過干渉なんだよ」
***
そして部屋の外。
扉の隙間から覗いていたのは、医者と助手のコンビである。
「……出たな。アレだ。激重男が激重レーダー反応させて入室したぞ」
ディアンはいつの間にか手にしているコーヒーをすすりながら呟く。
「……空気が凍るってこういうことなんですね。平和だったのに……」
「ユージン、いいか。あれが“彼氏じゃないのに夫面してる男”vs“彼氏じゃないのに彼氏力高い男”の、悲しき対決だ」
「どっちも正式じゃないってところがポイント高いですね」
「……しばらくこの場は離れられねぇな。面白い」
「じゃあ、記録つけておきます。“発症者:レオン。症状:重度の過保護、恋愛自覚ゼロ、行動すべてが独占欲”」
「こっちは“発症者:エリック。症状:胃袋アプローチ型、優しさの塊、だが時々攻める”」
そうして、恋愛カルテの記載内容は増えていった。
***
廃墟となったはずの旧研究棟。
だが、外部の監視者には──その姿は未だ健在に映っていた。
ツタに覆われた二階建ての建物は、相変わらずひっそりと森の縁に佇んでいる。
外壁にはひび割れ一つなく、結界の膜が淡い光を帯びて揺れていた。
「……おかしいな」
遠目にそれを確認した巡回の術者が、首を傾げる。
報告では、夜半に大きな魔力波動が観測されたはずだ。建物が一部崩壊するほどの魔術反応も。
だが今、目に映るのは“整然と守られた結界下の研究棟”。
異常は──なにもない。
(……やはり、残存結界が生きている。)
外部からの観測を欺くために仕掛けられた術式。
内部の崩壊や血の痕跡すら、膜の奥に隠されている。
その結界は今も、静かに揺らめいていた。
まるで何事もなかったかのように──。




