第7話 Cクラス
学院の掲示板には、人だかりができていた。
年度末の進級テストの結果が、今日発表されたのだ。
「すごいね、レオン。Cクラスだよ。……飛び級ってやつ?」
張り出された用紙を見上げながら、レナが驚きながら声をかけてくる。レオンは無言で、掲示を一瞥しただけだった。
「これで、お前ともサヨナラだな」
淡々とした声で、彼はレナの方を見ずにそう言った。
「私も見てみよっかな」
レナは自分の名前を探し、指先でなぞるようにして確認する。
「……うん、やっぱりEクラスのままだった」
その言葉に、レオンの眉がほんのわずかに寄る。
「……向上心のないやつだな、お前は」
呆れたように言い捨てる。レナは肩をすくめて笑った。
「うーん、かもね。でも、実技……嫌いだし怖いし」
どこか自嘲めいた、でも柔らかい口調。レナはレオンの方を真っ直ぐに見て、微笑んだ。最近、ようやくレオンの前でも笑顔になれるようになった矢先だった。
「また会おうね」
何の飾りもない、ただの“日常の言葉”だった。媚びも、未練も、期待もない。ただ、自然にそう言った。レオンは一歩だけ距離を取り、視線を逸らした。
「……もう二度と、会わない」
ぽつりと、そう言って背を向ける。去っていく背中を、レナはじっと見つめた。そして、小さく手を振った。
「そっか。またね、レオン」
その声は、きっと届いていた。
けれど彼は、それを「受け取らなかった」。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
***
Cクラスの教室。
「レオン・ヴァレント、よくやった。解答は模範より優れている」
教師の声に、教室がどよめいた。レオンは無表情のまま席へ戻る。彼の周囲では、女子たちがひそひそと声を潜める。
「飛び級で来たんでしょ……」
「顔も声も良いとかズルい……」
「でも誰にもなびかないってとこがまた……」
全て耳障りだった。視線を逸らし、窓の外を見た。視界の隅に、校庭の古びた実技練習場が映る。片隅にはEクラスが練習をしていた。レナの姿もある。
「あいつは向上心がないやつだ」と切り捨てたはずだった。それなのに。あの姿が目に焼き付いて離れない。
他人など利用価値があるかないかにすぎない。
どうでもいいと、思っていたはずだったのに。
***
「また一緒?マジ勘弁なんだけど」
「何年も同じとこにいて、恥ずかしくないの?」
耳をかすめるような、クラスメイトたちの冷たい声もレナは聞き慣れていた。慣れすぎて、痛みすら感じなかった。
「……じゃあ、私、一人でやるね」
苦笑いでそう返し、ひとり実技の準備に入る。
魔法の制御は、力を抜いて。動きも当たり障りなく。
(私にはここしか居場所がないから。ここで生きていくしかない。)
ふと、視線を感じて空を仰いだ。高い階の窓辺に、金の髪と冷たい瞳。ほんの一瞬だけ、視線が交わった気がした。
(久しぶりに、見たな)
レナは小さく笑った。誰にも気づかれないように。
そして、彼に届かない距離で。
***
「あれ?久しぶり」
レナが屋上に行くと、レオンが座り込んでいた。レナのほうを見ると、制服の袖の端から、わずかにのぞく白い包帯に気づく。
「ここの方が落ち着くからな。」
「……また怪我か?」
ぽつりと、低く落とされたその声に、レナは袖をそっと押さえた。
「ん? ああ、これ?魔術の授業で、相手が暴発しちゃって……巻き込まれただけ」
「……そんな下手くそと、今パートナーなのか」
レオンの声音が、ほんの少しだけ低くなった。レナは苦笑しながら、小さく首をすくめる。
「一人よりはマシだよ。どうにかここで過ごしていかないとね」
その返答に、レオンは視線を落とし、静かに考え込むように風を感じていた。
半年間、同じ背中を見続けてきた。その間に、レオンはレナという人間の輪郭を少しだけ掴んだ。本来なら、カリグレア学院に足を踏み入れるはずのない性格だ。この苛烈な環境とは最も相性が悪い──それでも、ここに留まっている。
生きるため“だけ”に、この場所を選んでいる。
レオンはただ、レナの隣に立ち、同じ空を見上げていた。
***
進級して、まだ半月。Cクラスの教室は、Eクラスとはまるで違った。整った机の並び、騒がしい者もいない静けさ。無意味な噂話や、誰かを笑う声もほとんどなかった。実力を示せば、それなりに評価される。そういう意味では、確かに“居心地はいい”のかもしれない。だからといって、心が安らぐわけではなかった。
「ねえ、レオン。次の演習、また私と組んでくれない?」
昼休み。笑顔で近づいてきたのは、同じCクラスの女子生徒。貴族出身で、整った外見に加え、魔力量も平均以上。
“優等生”の名に恥じないスペックを持っている。だが、レオンの目に映ったのは、その奥にある“打算”だった。
(……顔と名前、それに所属クラス。それだけで寄ってきてる)
彼女の視線は笑っていなかった。外面の好意の裏に、値踏みと計算が透けて見える。
“Cクラスの実力者”“育ちが良さそうな孤児”
“実は貴族の隠し子ではないか”という最近の噂――
彼女達が見ているのは、“レオン・ヴァレント”という“可能性”に過ぎない。
レオンは視線をそらし、無言で教室を出た。別の日も、昼休みになれば、やたらと女子が声をかけてくる。
「今度、一緒に演習見に行きませんか?」
「寮ってどこ? 今度お菓子、持っていこうか?」
そのすべてが、耳障りだった。
(……Eクラスにいた頃は、ここまで露骨に話しかけてこなかったくせに)
今の方がずっと騒がれている。理由が“顔”や“実力”だとわかっていても、腹の底に残るのは奇妙な不快感だけだった。Cクラスでの実技パートナーも、能力は悪くなかった。
連携も悪くない。だが、どこか足りない。
ふと、レオンは思い出す。
(……あいつは、俺の魔法を見て怯えてたくせに。何の計算もなく、ただ真剣に向き合っていた。)
無謀で、愚かで、理解できない行動ばかり。
それでも、印象に残っている。
「レオン、どこ行くの?」
答える必要もない。誰に話す必要もない。ただ、足が勝手に動いていた。
(……昼休みの、あの屋上。あいつと並んで、空を見てた場所)
誰にも騒がれず、誰にも測られず。空だけがあった、あの静かな時間。
(……俺は、何を考えてるんだ)
心の中で呟いた。
その足は無意識のまま、Eクラスへと向かっていた。




