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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第79話 選ばれた犠牲

 消毒液の匂いがほのかに漂う医務室で、ベッドに座ったレナの腕に、アリスが手際よく包帯を巻いている。


「レナちゃんまでこんなことになるなんて……レオンがいてよかったわー」


「……すみません。仕事増やしちゃって」


「何謝ってんのよ。元気になってくれたらそれでいいの。……あ、そうだ。サラちゃんも、この間ここで手当てしたのよ」


「……ああ、危なかったって」


「そうそう。オルフェが巡回してた時に助けてくれたみたいでね。……まあ、“オルフェが犯人だ”とか、“キメラを作ってる”なんて噂もあったけど、サラちゃんや他の子の証言だと、違うみたいなのよね」


 レナは一瞬だけ沈黙した後、きっぱりと口を開いた。


「……あの人は、違いますよ」


 アリスは肩をすくめて笑った。


「だよねぇ。オルフェも、もうちょい誤解されないように生きたらいいのに。休学前から、いつも一人で、授業もサボって……自分専用にした研究棟に入り浸ってたんだから」


「……そう、なんですか」


「そうよ。あの子、悪い人じゃないんだけどねぇ……不器用すぎるわね」


 アリスは軽口のように言いながらも、手当を終えると優しくレナの肩を叩いた。


「はい、おしまい。大丈夫、もうすぐ良くなるから」


 レナは小さく笑って頷いた。その笑顔の裏で、胸の奥にわずかな温かさが広がっていた。



 ***



 医務室前の廊下。レオンは壁にもたれながら、冷えた目で思考を巡らせていた。


(……ザイラス。あれはただの狂人に見せかけた“駒”だ。あれだけの規模だ。背後には必ず、組織がある)


 彼の胸奥で苛烈な光がちらつく。ザイラスの口から“ファウレスの血”の名が出た瞬間が脳裏に蘇る。もし組織にレナの存在が知られれば──狙われるのは時間の問題だ。


(……だが、あいつの性格なら、独占するために詳細までは喋っていないはずだ。だからこそ──今のうちに手を打たなければならない)


「……さっき、あの男と戦ったんだって?」


 不意に声が落ちた。顔を上げると、廊下の影に白衣の青年が立っていた。オルフェ・クライドだ。


「……お前か」


 レオンの視線が警戒の色を宿す。

 だがオルフェは、まるで相手の反応などどうでもいいかのように、気怠げに首を傾げる。


「ザイラス・カイゼル。彼の術式を、少しだけ解析した。

 残留魔力の符号から見て……北西。学院から三里ほど離れた地下構造だ」


「ほう」


「もちろん、正確な座標までは読めない。けれど、彼は一人じゃない。結界を越える召喚、模造魔石の量産……個人にできる仕事じゃない。背後に、組織があるだろうね」


 レオンの青い瞳が細く光る。


「つまり──アジトは“ある”。そこに、ザイラスがいる」


「君なら殲滅するだろう?」


 オルフェは感情の起伏もなく告げた。

 まるで答えを知っているかのように。


 レオンは短く息を吐き、剣の柄に触れた。

 その青い瞳には、“徹底した排除”だけが宿っていた。


「……当然だ」



 ***



 アリスが書類を抱えて医務室を出ていくと、扉が静かに閉まった。残されたのは、レナとレオンの二人だけだった。


 白いカーテンがわずかに揺れる。


「ザイラスは……お前のことを知った。だから、しばらくは俺も動かざるを得ない」


「……え?」


 戸惑うレナに、レオンはわずかに声を和らげる。

 手すりに手を置き、ベッド越しに彼女を見つめながら言葉を選んだ。


「俺は二、三日ここに戻れない。その間……もしものことがあったらと思うと、正直、不安だ」


 彼は視線を伏せ、言葉を噛みしめるように続けた。


「オルフェには近づくな。サラを助けたと聞いたが……あいつはお前の血を知っている。だからこそ、心配なんだ」


「……でも、オルフェは……」


「分かってる。お前が疑いなく人を信じるのも。でも……今回は俺の言葉を信じてくれ。俺がそばにいられない時に、一番怖いのは……お前が狙われることなんだ」


 その声は、切実さに満ちていた。

 彼はレナの手にそっと触れ、確かめるようにその温もりを握った。


「だからお願いだ。何があっても、オルフェと絶対に二人きりにならないでくれ」


 ただ、守りたいがための願い。

 そのことだけは、レナにも伝わっていた。



 ***



 旧研究棟。


 学院外縁に取り残された、かつて禁術研究に使われた廃墟。今は立ち入り禁止とされ、風雨に晒されている。


 だが、その奥にだけ“生きている”気配がある。


 オルフェ・クライドは自らの結界で空間を封じ、旧研究棟をまるごと研究施設に変えていた。


 冷たい魔灯が列をなし、床は黒曜石のように滑らかで、空気は無臭に近い。しかし、そこに立つだけで人間の本能が「血の気配」を感じ取る。


 研究室の中央には、円形の魔法陣と術式装置。その周囲を囲むようにして、数十の透明な水槽が並んでいた。


 水槽の中には、ひからびた腕を持つ人間の死体、魔物の残骸、人間を模した人工ドールが静かに浮かんでいる。まるで見世物のように整列した“標本”の群れ。


 だが床には血の一滴すらない。空気も澄み、器具は整然と並び、魔力粒子だけが青白く漂っている。


 オルフェは白衣を肩からかけ、紫の瞳をわずかに細めながら、術式を起動させた。


「試行番号七八九。血液サンプル・第五層より抽出。封印核を起動」


 淡々とした声が響く。指先が空中を走ると、術式陣が微細に変形し、魔力が水槽の中へと注ぎ込まれていく。


 人間だったものの胸部に刻まれた符号が光り、魔力線が脈打つように震える。


 やがて、肉体はわずかに痙攣し、人工心臓にも似た魔術装置が一瞬だけ“鼓動”を模した。


 オルフェは、その動きを一瞥しただけで、すぐに術式を切る。


「……心拍、擬似反応。脳波、ノイズのみ。魂の定着反応、観測域以下」


 記録を魔道端末に送りながら、彼は水槽から視線を外した。

 この段階の失敗は、もはや驚きでも失望でもない。

 “ここまでは出来る”ことは、既に何度も実証済みだった。


 死体も、人工ドールも、魔術的構造体も――

 どれだけ精緻に“器”を整えようと、そこに宿るものはせいぜい疑似的な反射と微弱な反応だけ。


「……器の精度は、当面この程度で十分だ」


 彼は試料を切り替えることなく、術式を休止状態に戻した。

 今夜、彼にとって重要なのは“実験そのもの”ではない。

 この研究を、現実の盤面にどう接続するかだった。


 机の上には幾本ものガラスチューブ。赤黒い液体が、脈を打つように微かに震えていた。それは魔物の血、人間の血、そして人工的に作った血。


 オルフェ・クライドは、死者蘇生の実験を淡々と続けながら、脳裏に別の計算を巡らせていた。


(……ファウレスの血を手に入れる)


 水槽の中で眠る“器”たちに視線を走らせる。

 ここに“本物の核”を接続できるのであれば、これまでの失敗はすべて途中経過に過ぎない。


(あの金髪の怪物は、必ず“奴”を追う。彼の執着は、俺の望む通りに牙を剥く。操らずとも、駆り立てるだけでいい)


 指先に走る魔力光が、幾重もの結界陣と数式を組み上げていく。

 視線は虚空に向けられているのに、その瞳の奥では未来図が鮮やかに描かれていた。


(その隙に、俺は駒を配置する。赤髪の少女を誘き寄せるために。サラ・クレイン──あの娘がちょうどいい。犠牲としても、研究材料としても)


 白いペンダントに触れた指が、かすかに震えた。

 それは緊張ではなく、期待に似た衝動だった。


「……君の血が、欲しい」


 実験の音と魔力の微光に紛れて、その囁きは誰に届くこともなく、冷たい空気に吸い込まれていった。


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