第78話 路地裏の戦闘
「──君のような子が、一番“実験映え”するんだよね」
ザイラスの指が、レナの頬に伸びた。その手が触れた時だった。
ガキィィィン──!
甲高い金属音が響いた。次の瞬間、ザイラスの腕とレナの間に、鋭く冷たい風が走り抜けていた。“斬撃”そのものが空間を裂き、血の気配すら切り裂いていた。
「──やっぱり、お前だったか」
その声は、氷のように冷たかった。細い路地裏に立つ、一人の青年。黒い制服の裾が揺れ、金の髪が風を受けて舞う。蒼い瞳は、獰猛な炎を宿していた。レオンだった。
レナを背後に庇うように立ち、剣を片手に構えている。
「おい。そいつに何してる?」
その一言は、静かな怒りを孕んでいた。
ただの問いかけのようでいて、確実に“警告”だった。
「おやおや、恋人さんですか?いいねえ、独占欲。けど──これは学術的関心なんですよ?」
ザイラスは笑っていた。だが、その眼だけは笑っていなかった。血の匂いに酔った獣のように、ぞっとするほど愉悦を湛えていた。
「……お前が研究者だろうが何だろうが関係ねぇ」
レオンの声は低く、静かに沈んでいく。
「──触った瞬間に、“対象”にしていいと思った時点で、殺してやる」
瞬間、空気が変わった。剣が鳴った。風が唸った。レオンの足が、地を裂く勢いで踏み出す。
「……へぇ」
ザイラスの口元が、ゆっくりと歪む。
「君みたいなの、解剖したことないな──!」
そして、衝突した。魔力と魔力が拮抗する。
レナの背後で爆ぜる風圧。
剣が火花を散らし、ザイラスの掌が虚空に紋を描き──黒い魔術が飛び散った。
レオンは一瞬の隙も見せず、魔術を切り裂きながら接近する。
その表情は冷徹そのもので、怒りは一点に絞られていた。
──“守るべき対象に触れた”その事実だけで、レオンにとってはすべてが敵だった。
***
レオンの剣閃は鋭く、無駄がない。だがザイラスはその斬撃を、まるで遊び半分のように軽々と躱していく。
「ははっ、やっぱ速いなあ! でも、直線的すぎるんじゃない?」
彼の指先が弾けるように動く。空間に描かれた黒い紋が弾け、漆黒の蔦のような影が路地を覆う。それは生き物のように蠢き、レナの足元へと絡みつこうと伸びてきた。
「──ッ」
レナが後退するより早く、レオンの剣が振り抜かれた。
空気を裂き、影ごと石畳を切り払う。
「触れるなって言っただろうが」
青い瞳が光を増す。怒りが、静かに、しかし確実に膨れ上がっていく。
「最高だなあ。君、マジで殺意やばいね」
次の瞬間、ザイラスの足元から煙が立ち上がる。
破裂するように、数体のキメラが吐き出された。犬の骨格に人間の腕、異様に膨れ上がった眼球がぎょろりと動く。
「銀髪の結界のせいで、あまり遊べなくなったのは残念だよ。 外から呼べないから、仕込んだ種しか残ってないんだよなあ」
魔物が一斉に咆哮し、レナへと向かって突進する。
「……下がってろ、レナ」
レオンは一歩前へ踏み込み、剣を横に払った。
空気が爆ぜ、剣気が衝撃波となって路地全体を薙ぎ払う。
キメラの身体が次々と両断され、肉片が飛び散った。
だがザイラスは止まらない。
「いいよいいよ、その顔! ああ、やっぱり君たち学院の人材は最高だ!」
狂気じみた歓声をあげ、さらに次の魔術を構築していく。
魔術陣が瞬時に展開され、黒い拘束鎖がレオンの足元から這い上がる。
「っと……」
レオンは剣の柄を返し、逆手に持ち替えると、腰の回転ごとに下段を薙いだ。
青白い魔力を纏った斬撃が鎖を裂き、その一瞬の切り返しでザイラスの懐に潜り込む。
「君、学生にしては随分とやるねえ? 昔、俺がいた時には君や銀髪みたいな規格外はいなかったなあ」
ザイラスの笑みは消えない。両手を広げ、手首から黒い“縫合糸”のような魔術を展開する。空中に紋が走り、何かが編まれる。
(召喚系……? 違う、これは──)
レオンは即座に読み取り、半歩後ろへ跳躍。その直後、無数の“黒い腕”が路地の壁から伸び、レオンの身体を掴もうとした。
「掴まえたら解剖してあげるよ。君みたいな完璧な骨格、そうそういないから」
「ふん、研究者ってのは変態だらけだな……」
レオンの瞳が冷たく光った。
剣を逆手から順手に戻し、一瞬の間合いに魔術を編む。詠唱はない。ただ、空気が変わる。
地面を滑るように滑空し、剣に込めた魔力を一気に開放。
斬撃が空を裂き、ザイラスの防御魔術をかすめる。
その刹那──
「ッ……!」
ザイラスの頬に、薄く赤い線が走った。血を指で拭い、舌で舐め取ったザイラスは、ますます愉快そうに笑った。
「ははっ、怖えなぁ、金髪君。──彼女の血、普通じゃないよね。本物のファウレスの血、ってやつ?」
その一言で、レオンの足が止まった。
青い瞳がわずかに揺らぎ、空気がぴたりと凍りつく。
ザイラスはその隙を逃さなかった。足元の転移陣が光を放ち、歪んだ笑みを残して、その姿は虚空に掻き消える。
残されたのは、血と、焼けた路地の匂いだけ。
──追えば、殺せた。
その場で斬り裂き、息の根を止めることもできた。
けれど、レオンは剣を下ろしたまま、黙然と立ち尽くす。
「……逃げたか」
吐き捨てる声は低く、冷たい。
だが、その眼差しは怒りよりも“計算”に満ちていた。
(……むしろ好都合だ。尻尾を残して消えた。辿れる。
アジトごと、全て……消してやる)
剣を握るレオンの掌には、わずかに爪痕が残るほどの力が籠っていた。




