第57話 想定外
今回、戦闘や流血描写があります。
ちょっとシリアスで重めの展開となっています。
苦手な方はご注意ください。
「この辺、前より魔物が少ないな。まあ、たまにこういうこともあるから」
護衛の男性冒険者が呟いた。その言葉に、生徒たちは安堵を浮かべていた。
だが、レナは違和感を拭えずにいた。
(こんなに魔物が少ないって有り得るのかな)
張り詰めた空気の中、薄暗い洞窟の奥へ進む。
「……ここ、広い」
視界が開けると、そこは広間のように大きな空間だった。黒ずんだ染みが岩肌に広がり、肌にまとわりつくのは湿った空気と、血の臭いだった。
「待って……あれ」
魔術灯の光が揺れ、岩陰を照らした。そこに見えたのは、破れた布と、その下に崩れ落ちた人影。先行パーティーの亡骸だった。腕と脚が捻じれ、顔も判別できぬほど潰れていた。
「ひっ……」
Dクラスの少年の膝が崩れ、音もなく床に落ちる。護衛が駆け寄り、低く呟く。
「やられたのか。だがこの洞窟には学院の結界があるはずだろう……?こんな魔物が入れるはずがない」
疑念が広がる。だが、その答えはすぐに現れた。
地の底を震わせるような鈍い音が奥から響いてくる。
(……足音?)
次第に大きくなる地響き。暗闇の奥から、何かが迫ってくる。誰もが声を飲み、魔術灯を向ける。
中央に、それは歩いてきた。
漆黒の甲冑のような硬質の体躯、身の丈の倍もある大剣を携えたゴーレム。明らかに、この場所にいるはずのないS級の化け物だった。
(……聞いてない!この洞窟は初心者向けの、ただの訓練場所のはずなのに……なんで!?)
レナの背筋に、寒気が走った。
ゴーレムと目が合った。理屈も知性もない“死の塊”が、こちらを“敵”と認識する。
ドン、と空気が震える音と共に、巨体が歩を進めた。Dクラスの1人が恐怖で叫び声を上げ、反射的に走り出した。
それを、ゴーレムは把握していた。
「ダメ!」
レナが叫ぶ間もなく、大剣が振るわれる。鈍く重い衝撃音。骨と肉の砕ける嫌な音が重なる。飛び散った血が洞窟の壁にまで飛沫を描き、数秒前まで生きていた学院生の身体が、ばらばらと床に崩れ落ちた。
「っ……うそ……」
レナの声は、自分でも驚くほどかすれていた。
残っていたCクラスの少年と少女は、震える足でそれでも武器を構えた。
「……っ、逃げても殺されるだけなら……!」
「やるしかない……っ!」
半狂乱の声に、護衛の中年冒険者が頷いた。
「いい根性だ……!俺が前を取る、二人は横から攻撃を重ねろ!」
「……わ、私も……!」
震える声で、レナが手を挙げる。
「支援魔術くらいなら……!」
三人と一人、即席の連携が始まった。
──ドン、ドン、と地響きを立て、ゴーレムが剣を構える。
「行くぞッ!」
護衛が真っ向から突撃した。重い一撃を受け止め、火花が散る。
「今だ!横を取れ!」
「うおおおっ!」
少年が叫び、短剣を突き立てる。少女も震える腕で槍を突き出した。甲冑のような装甲に弾かれる音だけが響く。表面には小さな傷が入っただけだった。
「効いてない……!? そんな……!」
その瞬間、レナが咄嗟に魔力を込めた。
「《光よ、縛って!》」
彼女の掌から放たれた小さな光の鎖が、ゴーレムの脚に絡みつく。
巨体がわずかに動きを止めた。
「ナイスだ!そのまま──!」
護衛が体勢を低くして剣を突き上げた。刃が装甲の隙間に食い込み、火花が散る。
だが──
低い咆哮とともに、ゴーレムの脚が力任せに鎖を引きちぎった。反動でレナが吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられる。
「レナ!」
少女が叫んだ直後、大剣が横薙ぎに振り抜かれた。
少年と少女は必死に防いだが、質量の差は絶望的。二人の身体は宙を舞い、地に叩きつけられる。呻き声とともに武器が転がった。
立ち上がろうとしたその瞬間。
振り下ろされた大剣が二人を同時に切り裂き、血の弧が舞った。赤い霧を散らしながら、彼らは床に崩れ落ちた。
「くっ……この化け物がっ!」
護衛の中年冒険者が歯を食いしばり、砂塵を蹴って突進する。
「退けぇぇっ!!」
鋭い突きが装甲を狙う。だが刃は石壁を叩いたように弾かれ、傷ひとつ残らない。
「なっ──」
次の瞬間、ゴーレムの大剣が逆方向から唸りを上げて振り下ろされる。轟音とともに冒険者の身体が宙を舞い、岩壁に叩きつけられた。背骨が折れる鈍い音が響き、口から血の泡が飛び散る。その目から光が消え、動くことは二度となかった。
(……う、嘘でしょ?全滅……?)
レナは震える手でナイフを取り出し、自らの腕を切り裂いた。血が流れる。それに反応するように、レナの魔力が溢れ出す。
(……ここは大きな空間だ。天井も高い。少しくらいの魔法なら崩れない)
血の魔力が螺旋を描き、ゴーレムへ向けて放たれた。衝撃波。岩壁が割れ、粉塵が舞う。
だが、煙の中から、無傷のゴーレムが現れた。
「えっ……魔法、効いてない!?」
レナは後ずさりながら、必死に頭を回転させる。
(物理攻撃は自殺行為。あの剣の間合いに入ったら終わり。逃げようとしたら追ってくる。どうすれば……?)
そこへ、レナの後のパーティーが現れた。
「ここにはゴーレムがいる!逃げて!外に伝えて!」
レナの叫びに、目を見開く新たな生徒たち。
だが遅かった。ゴーレムが生徒たちを認識すると、振りかぶる。空気が裂ける音。血が飛び散り、1人、2人があっという間に地に伏した。
残った者達が膝をついた瞬間、レナは再び魔法を撃った。
閃光と共に、ゴーレムが後方に吹き飛ぶ。
「逃げて!」
その言葉に、呆然としたままの生徒たちが立ち上がり、走り去った。
レナは膝をつき、息を切らしていた。
手足は痺れ、指先は震え、視界が歪む。
(……血の魔力を使いすぎた。このままだと……)
目の前で、ゴーレムは立ち上がる。レナは剣を持たない。斬れもしない。ただ、血を流して魔法を紡ぎ、耐えるしかなかった。
***
レナたちがゴーレムに遭遇する、数十分前。
湿った洞窟に、低く濁った呻き声が響いていた。
レオンは剣を抜くと同時に跳び上がり、崩れかけた岩棚の上から暗がりを睨む。
蠢く影は数十体を超えていた。
そのほとんどが、学院の演習区域には“存在しない”はずの魔物たち。中には、Sクラスでも全力を要する化け物の影まで混じっている。
(……どういうことだ?結界が生きている限り、こいつらが侵入できるはずがない。昨日まで“空洞”だったのに)
赤い目が爛々と光った。
一匹の大型魔物が、低く唸りながら進路を変える。
(あの動き……レナたちのルートだ)
レオンの心臓が跳ねた。
次の瞬間には岩棚を蹴り、刃を構えて飛び降りる。
青白い光が閃き、大型魔物の喉元を貫いた。血飛沫が闇の中に散る。
だが、それは合図だったかのようだった。
周囲の影が一斉に揺らぎ、A級以上の魔物が牙を剥いて飛びかかってくる。
(数が多すぎる……!このままだと……取り逃がす)
レオンのいるこの場所は通路よりは広いが、魔法を撃つにはやや危うい程の空間だった。
(剣だけで、やるしかないか)
剣の軌跡が閃光のように走り、肉を裂き、爪を弾く。
暗闇に金髪が揺れ、蒼い瞳が鋭く光った。
(レナ……待ってろ)
呻き声と鉄の匂いの中で、レオンは迷いなく走りだした。
***
(動け……動け……っ)
ぐらりと視界が傾き、レナは壁に手をついた。力が抜ける。膝が笑い、肩が震える。吐く息が熱い。だが、目の前のゴーレムはなお淡々とこちらを見据えている。
護衛も、仲間たちももういない。この場に残されたのは、血まみれの自分ただ一人。
(勝てない。逃げなきゃ!)
レナは震える手で自分の腕を切り裂き、血を滲ませる。魔力が走り、光が爆ぜた。
「《閃光よ、道を拓け!》」
咄嗟に編み上げた魔術が、広間を閃光で満たす。ゴーレムの視界が一瞬白く染まり、その足取りが止まった。
(今だ……!)
レナはふらつく足を必死に動かし、出口へ駆け出した。
だが、次の瞬間、轟音とともに岩壁が崩れる。
「……うそ」
ゴーレムが、大剣を振り抜いただけで退路を塞いでいた。砕けた岩が通路を埋め、逃げ道が消える。
(塞がれた!?)
血の気が引く。だが止まってはいけない。
レナは口の端から垂れる血を拭いもせず、最後の魔力を搾り出す。
「《裂空の槍》……!」
血の魔力と魔術の術式が編まれ、光の槍が生まれる。制御も精度も乱れている。けれど、そんなことを気にしている余裕はない。
「ッ──!」
絶叫と共に放たれた紅の光は、ゴーレムの胴を撃ち抜いた。岩盤が砕け、轟音が広間に響く。煙が巻き上がる。レナは膝をつき、ぐらつく意識を懸命につなぎとめた。
(……無傷、なんだ)
煙の中から現れたその巨体は、先ほどと変わらぬ姿でこちらを見ていた。
(時間を……少しでも、時間を稼がなきゃ)
身体はもう動かない。視界の端に暗い影が滲んでいる。
(……まずい、かも)
ゴーレムが動いた。大剣が振り上げられる。腐臭も、血の匂いも、遠ざかっていくように感じる。目の前にあるのは、ただ“死”だけだった。
避ける余力は残っていなかった。




