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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第52話 復学準備

 学院内の訓練場では、集められた観客たちのざわめきが午前の陽光の下で熱気を帯びていた。


「今日の模擬戦、Sクラスの新人が出るらしいぜ」


「え?この前進級したばっかの子か?」


「一人……対多数?」


「バカな、ルール違反じゃ?」


「いや、本人が『同時にかかってこい』って言ったんだとよ」


 そんな声とは裏腹に、中央に立つ黒服の青年、レオン・ヴァレントは構えすら取っていない。その無防備さが、逆に異様な緊張感を生む。


 対するのはSクラスの中堅どころ3人。いずれも、Aクラス時代から猛者として知られる実力者たちだ。

 ジーク・ヴァルフォア、ノア・シュタルク、そしてキース・ローゼンベルク。


「……遠慮すんなよ。全力で来い」


 低く、乾いたレオンの声に、挑発めいた色はなかった。


 それが逆に癇に障ったのか、ノアとキースの魔術陣が一斉に展開される。


「来るぞ……っ!」


 見守る観客席から誰かが声を上げた。


 次の瞬間、雷撃、風刃、拘束術──3系統の複合魔術がレオンを包囲するように放たれた。


 だが、レオンの姿は魔術の中心からまるで“消えた”。


「……えっ?」


 一拍遅れて、乾いた衝撃音が聞こえた。


 観客席が一瞬静まり返る。


 次に見えたのは、ジークが地面に膝をついていた。その肩口から血が噴き出し、剣の柄が彼の喉元へと突きつけられている。


「一人目」


 そのまま二歩、踏み込む。ノアとキースの間合いを詰めた瞬間、レオンの碧眼がわずかに光を帯びた。その視線の先には、ふたりの魔術陣から立ち上る“骨組み”──魔力の線が複雑に交錯しているのが、まるで視覚化されているかのように浮かんでいた。


「……そこか」


 低く呟いた瞬間、鋭い魔力音が鳴った。

 剣が振るわれたのは肉体にではない。魔力の“糸”そのものを狙っていた。


「っく……!? な、なんだ今の……!」


 ノアとキースの詠唱が途切れるより早く、複合魔術の陣が崩れ落ちる。それは詠唱封じではなかった。術式を動かす“構造”そのものが断たれ、土台ごと崩壊したのだ。


 魔力の糸が断たれた余波で、二人の術式が弾け飛ぶように消える。


「バカな……術式を“切った”だと……?」


 観客席からどよめきが上がった。


 レオンは淡々と次の一歩を踏み込む。


「──二人目」


 冷たい声と共に、さらに間合いを詰め、最後の一人を背後から制圧した。


 わずか三十秒。


 剣ではなく、魔力の骨組みを切り裂くようにして──Sクラスの猛者たちを沈めていった。


 観戦していた生徒の誰かが、ぽつりと呟く。


「……あれ、もう終わり?」


 誰も答えられなかった。ただ、Sクラスの内部ですら、信じがたいものを見るような眼がレオンを捉えていた。


「……信じられねぇ……。全員、攻撃魔術のスペシャリストだぞ?」


 最前列で見ていたエルマー・リーベルトが、椅子からずり落ちそうになりながら呟く。


「距離の取り方、読み、動き……全てが異常ね。隙がなかった」


 マリアン・アロイスは、思わず唇を噛んでいた。貴族特有の気品をまといながらも、その目に宿るのは純粋な恐怖だった。


 観客席に混じっていたAクラスの生徒たちも顔を引きつらせる。


「“Sクラスに見合う人材か”って言われてたけど……見合うどころじゃない。あれは」


「化け物だ……。あんなのと同じ学院にいるってだけで、命の保証なんてないだろ」


 誰かの震え混じりの声に、場の全員が沈黙した。


 剣を下ろし、淡々と歩き去るレオンの背中を、誰も直視できなかった。

 熱気と砂煙の残る訓練場に残ったのは、恐怖と畏怖の混じったざわめきだけだった。


 最前列で見ていたエリックが、小さく肩をすくめてレナに囁く。


「……あれが“本気じゃない”ってのがまた怖いところ」


 レナは何も言えず、ただ見つめていた。レオンは、剣を鞘に収めながら視線を上げた。Sクラスの面々も、それぞれ黙り込んでいる。先ほどまで彼を挑発していた者も、ただ黙って、敗北の余韻に呑まれていた。


「模擬試合終了。勝者──レオン・ヴァレント」


 教師の声が響いてからもしばらく、観客席からのざわめきは止まらなかった。



 ***



 その日、学院の特別研究室には誰もいなかった。

 天井まで届く資料棚。魔術刻印が浮かぶ石壁。空気はひどく冷たく、静寂が支配している。


 その中心、巨大な術式陣を囲うようにして、銀髪の柔らかな顔立ちの青年──オルフェ・クライドが立っていた。


 肩につく白銀の髪に紫の瞳、冷たい光を帯びた瞳孔は、魔力式を見透かすように一つ一つ眺めていた。


 オルフェ・クライドは魔術学院カリグレアのSクラス所属。現在は休学中──理由はひとつ。


禁術結界の実験で、Sクラス生徒を含む数名を死なせたからだ。


「結界暴走時の生徒たちの精神崩壊率は予定通り。結界中心に置いた制御装置──封印核の暴走も計算範囲内。……あれで止められなかった方が悪い。」


 淡々と、感情のない声で呟く。生徒の命に対する感慨など微塵もない。ただ、データは取れた。それで充分だった。


 彼が休学を選んだのは、「研究と試験結果の精査に集中したい」という“建前”を学院が受け入れたためだった。

 本音では、「くだらない倫理規定と学内規律」が邪魔になったからだ。


 だが今、彼の脳裏を刺激する報告が入った。


『魔竜の森に、異常な魔力爆心地が出現』

『高濃度の空間歪みと、血に近い波長が検出された』

『魔竜の気配は完全消失』


 ──あれは偶然ではない。


「誰かが、既存の理論を破壊した。再現できるなら、僕の結界理論の裏付けになる」


 彼はふと手元の転送魔術装置に触れる。そこには復学申請書と、申請理由の書き換え途中の記録があった。


 目的:魔力震動の調査・学内共同研究への協力

 備考:一定の倫理遵守を約束。再発防止策提示済。


「面倒だな……。まぁ、書類さえ通れば、また“あの教室”に戻れる」


 彼の頭にあるのはただ一つだった。


 ──あの“爆心地”の主は誰か?


 そして、それが“彼女”だと気づくのは、もう少しだけ先のことになる。



 ***



 石造りの重厚な部屋に、学院理事や教務長、魔術研究部門の重鎮たちが集まっていた。議長は冷静な表情で言葉を紡ぐ。


「オルフェ・クライドの復学申請について、皆さんの意見を聞きたい」


 一同は沈黙の後、議論を交わす。


「彼の能力は紛れもなく天才的だ。純魔術、禁術、結界術においては群を抜いている。しかし……生徒を巻き込んだあの事故は許されるものではない。」


「確かに。あれが原因で失われた命は計り知れない。一般生徒だけでなく、Sクラスの者まで犠牲になったのだ。だが、彼以上の専門知識と実戦力を持つ者は今の学院にはいない。」


「倫理規定の再徹底と、監督体制の強化を条件にすれば復学は可能だろう。学院の未来を考えれば、このまま放置するわけにもいかない。」


 議長が頷く。


「了承する。ただし、今回の復学は特例中の特例であることを付記する。彼にかかる制約は通常の生徒以上に厳格にすること。」


 ──これが、表向きの決定だった。


 だが会議が散開し、残った理事の数人は小声で言葉を交わした。


「監督体制など建前にすぎん。彼を縛れる者など、ここにはいない」


「倫理を理由に切り捨てれば、軍や王都に『戦力を手放した学院』と見られる。そんな愚は犯せん」


「我々はどこにも属さない。しかし、どこにも属さないからこそ、戦力を手放すわけにはいかない。『中立』であることと『無防備』であることは違う」


「結局のところ──彼の力が必要なのだ」


 その声音には、誰もが拭いきれない恐れと、利用せざるを得ない現実が混ざっていた。


 学院は“倫理を守る学び舎”として表明しつつも、その裏で“危険な兵器”を容認したのである。





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