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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第47話 学院への帰還

 薄曇りの空の下、森の入り口に数名の調査官たちが集っていた。彼らは国家魔術省直属の特別禁術調査班。魔力災害や異常魔術痕の解析を担う専門部隊である。足元の草は踏み荒らされた痕があり、数十メートル先には不自然な形をしたクレーターがあった。地表がごっそりと抉られ、焦げついた黒土が広がっている。隊長と呼ばれる壮年の男が、しばし無言で光景を見つめたのち、口を開いた。


「……ここが、問題の発生地点か」


 若手の魔術師が頷き、手元の報告書を開く。紙に記された文字が、曇天の光を受けて鈍く反射する。


「はい。数日前、この一帯で高濃度の魔力反応が検知されました。先発の調査班が派遣されましたが……」


 言葉を区切り、わずかに顔を曇らせる。


「……全員、消息不明です。遺留品だけが発見されました」


 ざわ……と隊員たちがざわめいた。禁術対策の精鋭部隊が、一晩で音もなく消えた。恐怖と緊張がその場を覆う。


「……続けろ」


 隊長の声は低い。


「残された痕跡を解析した結果──ファウレス家由来の魔術痕が、極めて微弱ながら確認されました」


 ざわ……と隊員たちが騒めいた。あの一族の名は、もはや都市伝説か国家機密かのように扱われている。


「……だが、他のあらゆる痕跡は、完全に消去されていました。結界痕、魔術構文の断片、血痕、生命反応の名残、すべてが……蒸発したかのように」


「まるで、ここで何かがあったという“証明そのもの”が削ぎ落とされたようだな」


 別の調査官が、結界検出器を地面に滑らせながら言った。


「魔竜級の生体反応が一時的に記録されていた形跡はある。だが、その正体も、どんな戦闘があったのかも分からない。残留魔力だけが、“巨大な何か”が動いたことを示している」


「魔力反応の分布も不自然です。自然な戦闘ではなく、何かを“隠すための再構築”が行われた痕跡がある」


 沈黙が広がった。風も鳴かず、鳥も飛ばない森の中で、隊長は淡く漂う空気を嗅ぎ取るように目を細めた。


「これは──誰かが“跡を消した”のではなく、“跡そのものを最初から存在しなかったことにした”レベルの技術だな」


「……そんなことができる者が、国内にどれだけいるか……」


 誰かが呟く。だが誰も、それを否定できなかった。


「これ以上の解析は、現地では限界だ。だが、ファウレスの名が関わっている以上、上層部への報告は厳重に。……軽視はできん」


 最後に、隊長が一歩だけ前に出て、地面に膝をついた。目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。


 ……確かに、“何か”がいた。圧倒的な暴力と、それに対抗する者の気配。そしてそのすべてを無に返す、冷徹な意志の残滓。だが、そこまでだった。それ以上は、探ろうとした魔力感知が軋み、逆に感覚が弾かれた。


 (……逆探知封じの結界まで?)


 思わず息を呑む。この場は、“見せたくない者”によって閉じられている。それは、単なる証拠隠滅ではなく「介入するな」という警告そのものだった。


「……撤収する。ここは、これ以上踏み込む場所じゃない」


 隊長の命令に、隊員たちは無言で頷いた。そうして、誰もいない森に再び静寂が戻った。だがその地中には、血と魔術の激闘の爪痕が、今もなお眠っている。



 ***



 厚く静かな扉が閉じられた重厚な書斎は、魔術結界によって外界から隔離された空間で、一人の青年が書類をめくっていた。黒髪、灰色の瞳。知性を宿した眼鏡の奥で、目は少しも笑っていない。


 セリル・アロイス。アロイス家次期当主にして、国家の魔術情報機関とも密接に繋がる“観測者”である。


 彼の手元には、一通の封筒があった。開封済みのその封筒の中には、厚い報告書の束。表紙には、《調査機関 第一班/報告 No.78・魔竜の森》と刻まれている。セリルは静かに、ページをめくる。


「……ファウレス由来の魔術痕……それも、ご丁寧に“完全抹消”か」


 紙面に記された文面は、ほぼすべてが“痕跡なし”という異常な結果を示していた。魔竜級の存在反応。膨大な魔力残滓。そして何者かによる徹底的な情報隠滅。セリルの指が、カリカリと机上の羽根ペンを弄ぶ。何かを考えるように、いや、“思い出すように”目を伏せた。


「痕跡を完全に蒸発させ、魔術反応の構文まで初期化……優秀すぎて笑えるな。隠す気満々だろう」


 報告書の余白に、自らの筆で一行、簡潔に記す。


 《高位貴族家系の者が関与した可能性 高》


 そしてページの端を指先で折りながら、ぽつりと呟いた。


「……あの名が、また動き出すのか」


 窓の外、淡い陽光が貴族の庭を照らしていた。だが、その光が届かぬ場所で、青年は静かに“盤面”の形を読み取っていく。


 まだ動くつもりはない。

 情報は今、価値を持たない。


(だが、ファウレスの名が再び報告に現れる以上、そろそろ“あの娘”を放っておけない段階かもしれない)


 ペンが止まり、報告書は封をされる。机の引き出しのもっとも深い場所、封印された結界の中にセリルはそっとその一報を仕舞った。


 まるで、時が来るのを待つように。



 ***



 ──数日前、まだ調査団が調査する直前。“事件の痕跡”が全て消される直前のこと。


 学院の門が見えたとき、レナは初めて小さく息を吐いた。


 安堵ではなかった。レオンから離れて歩いてはみたものの足元はまだふらついていて、服は土と血に汚れ、体の奥にはあの“魔竜の気配”が、まだ微かに残っている気がした。隣を歩くレオンは、いつも通りの無表情だった。だが、レナには分かった。その沈黙の奥に、何かが煮え立っていることが。


 彼はただ歩いていた。誰も近づけないほど冷たい雰囲気を纏い、一直線に学院の中へと進んでいく。レナはふと、言葉を探す。だがかける言葉が見つからなかった。


 ──魔竜のこと。

 ──血が暴走したこと。

 ──レオンが、あの場に現れたこと。


 すべて、まだ現実感が無かった。


「……ありがとう、助けてくれて」


 ようやく、それだけを呟いた。レオンは答えなかった。

 歩調も変えずただ静かに、レナの頭を一度だけ軽く撫でた。その手は冷たかった。


「次は、ない。お前はもう……二度と、一人で外に出るな」


 低い声だった。その言葉には、苛立ちと焦燥と、何か別の感情が混ざっていた。学院の大扉が、ゆっくりと開く。


 喧噪が戻ってくる。いつも通りの、訓練と笑い声と、魔力の気配が交錯する空間だ。だが、ふたりの周囲だけはどこか違っていた。まるで、森の闇をそのまま引きずってきたかのようだった。



 ***



 重い扉が閉じる音がした瞬間、世界の空気が変わった。


 レオンの部屋はいつも通り整っていた。余分な物がない整頓された静かな空間。だが今日は、その静けさが恐ろしいほど重かった。レナは、入口近くに立ったまま動けなかった。森の泥と血が乾ききっていない衣服、傷ついた腕、疲労で軋む足。鏡に映せば、自分がどんなに惨めな格好か分かるだろう。


 レオンは背後でカチリと鍵をかけた。

 その音に、レナの肩が小さく震える。


「そこに座れ」


 レオンの声は静かだった。レナはおずおずとソファに座る。レオンは向かいの椅子には座らず、彼女のすぐ横に腰を下ろした。


「……言い訳を聞こうか。なぜ、一人で森に入った?」


 レナは口を開こうとして、暫く何も出てこなかった。適当な言い訳ならいくらでもできた。だが、それを言った瞬間、彼がもう一歩深いところで、確実に“壊れる”と、直感でわかった。本当のことを言うしかないと思った。


「……自立しようと、思ったの。あの日、倉庫にいた時から……レオンのこと、怖くなって……会いたくなくて……」


「結果はどうだった?」


「ごめん、なさい」


 俯いて、小さく呟いたその言葉に、レオンは何も返さなかった。代わりに、ゆっくりと手を伸ばす。レナの髪に指を通し、そっとほつれを撫でるように整える。優しい仕草だった。それは、まるで壊れ物に触れるような、ひどく不安定な感情だった。


「なぜ鍵を置いて出た?」


「……エリックに言われて……位置情報がついてるかもって。だから……一度外してみようと思ったの」


 レオンの手が止まる。


「……」


「……やっぱり、ついてたの?」


 返事はなかった。その代わりに、レオンは立ち上がると、棚から薬箱を取り出し、何も言わずにレナの膝の傷に手を伸ばす。消毒液の冷たさにレナがびくりと肩を震わせると、レオンはぼそりと呟いた。


「次に同じことをしたら、手首に呪印でも刻むか」


「……っ」


「場所も、行動も、心拍も、すべて監視できるようにしてやる。お前がまた“死にかける”なら、それしか方法はない」


 それは脅しではなかった。事実としての、冷酷な提案だった。この少年は本当にやりかねないと、レナは理解していた。


 レオンの顔には、微笑みすらなかった。

 ただ、憎しみと焦燥を抑え込んだ、静かな怒りだけがあった。その怒りは彼女ではなく、自分に向いているように見えた。


 あの日、自分が仕留め損ねたはずの「村の少女」がここにいたこと。そして、その少女に対して、自分が──もう、二度と引き返せないほどの感情を抱いているということ。


「死にたくないと言っていたな」


「……うん」


「じゃあ、生きろ。俺の手の中でだけ。俺が守ってやる」


 そう呟いたレオンの声は、酷く優しかった。


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