第46話 未だ見ぬ君へ
今後、 週2回(火曜・金曜)21時更新をいたします。よろしくお願いします。
その瞬間、カリグレア学院Sクラス、休学中の身であるオルフェ・クライドは悪寒で目を覚ました。
白銀の髪が額に張り付き、汗が枕に滲む。ここは、学院が用意した静養用の別荘だった。街の喧騒から離れた山間に位置し、音もなく時が過ぎるはずの場所であった。
だが、その静寂は今、崩れていた。
(……なんだ、今のは)
魂の深層に何かが触れた。世界の空気が、ざわついている。
それは、形容しがたい“気配”であり、構造の歪みだった。術式の層がひとつ限界を超え、破れたような……そんな不協和音だ。
反射的に、彼の手は首元へ伸びていた。
封印式のペンダント。その結界核は、オルフェの常人離れした魔力量を抑えると同時に、魔力の異常を“観測する装置”としての機能を持っている。
ペンダントの核が、微かに震えていた。
(……外部からの反応?)
彼の魔力量は、学院内では“上限級”とされていた。測定器の最高数値を常時張り付きで叩き出す、あるいは測定器を壊すほどだ。少なくとも、公称上は“学院最強の魔術師”である。
だが、今この瞬間、彼の結界核が示したのは、その枠を逸脱した存在の痕跡だった。
(……俺と同等。いや、それ以上……?)
異なる系統の魔力ではある。だが根本が異質だ。鉄のような、血のような、もっと……原始的な何かである。
(……呪いに近い構造か?)
世界を捩じ曲げるその“力”は、本能的で野蛮だ。だからこそ強く、合理も、理性もない。
オルフェはゆっくりと体を起こし、窓を開けた。
空気の層が歪んでいた。東の森の方向に、何かがいた。
「……学院に、この異常値を出せるやつはいないはずだが」
自然と、紫の瞳の奥に光が宿る。何かが始まった。そう確信できるほどの、異常な“力”だった。
まだ名も知らぬ“誰か”が、今夜、世界の法則に爪痕を刻んだ。そしてそれは、オルフェの内に眠る渇望を、確かに震わせていた。
「……異端、か」
***
森の奥の焦げた空気の中、風も動かぬその場所に、ひとりの男が現れた。白金の髪をなびかせ、真紅の瞳に笑みをたたえた青年、イリア・ヴァレンティア。歩む足音はまるで踊るように軽やかで、しかし、一歩ごとに周囲の“異常”を正確に読み取っていく。
「……ふふっ」
笑みが零れた。
木々が倒れ、岩は溶け、空間そのものがねじれた跡。まるで世界が一瞬“死”を迎えたかのような、深淵のクレーターが目の前に広がっていた。
「これはすごいね……さすが、ファウレスの血。とんでもない花火を上げてくれたじゃないか」
イリアはその縁に膝をつき、地面へと指を這わせた。
「……生きてたのか、レナ。やっと……見つけた」
声は、どこか安堵に似た温度を帯びていた。けれど、ほんの一拍の静寂のあと、彼の笑みはさらに深く歪んだ。
「魔竜の痕跡、魔力の乱れ……全部、綺麗に消されてる」
彼は目を閉じ、土に残る残滓を嗅ぐようにして微細な術式痕へと指を這わせる。
「……でも、完全じゃない。うーん、惜しいなあ。これじゃあ、世界にバレちゃうよ?」
ぽつりと、呟く。
「この“消し方”、……こんな器用な真似、あいつにできないはずだけどなあ」
指先が震える。そこに残っていたのは、消されたはずの魔力の“端緒”。微笑みが、少しだけ形を変える。軽やかだった表情に、ほんの一滴の嫉妬が混じる。
「何で、ここにいたのかな……?どうして、君がレナの隣にいるのかな?」
風が吹いた。イリアの白金の髪がなびく。
「でもいいよ。分かった。……また会えるんだね、レナ」
その声には、嬉しさとも、諦念ともつかない狂気が微かに滲んでいた。赤い瞳が、クレーターの中心、レナがいた“爆心”を、嬉しそうに見下ろしている。
まるで、運命そのものを弄ぶ神のように。
***
静かな夜明けの道を、レナはレオンの背中に揺られながら帰っていた。傷の痛みも、服に染みた血の痕も、どこか遠い出来事のように思えた。学院の灯りが、少しずつ近づいてくる。背中の温もりを感じながら、レナは瞼を閉じた。
村が燃えた日のことをふいに思い出す。
人生が理不尽なことくらい、燃える村から逃げたあの日から分かっていた。生きるための完璧な選択肢なんてなくて、その都度、最善だと思う物を自分で選び取るしかなかった。
絶望は、どこにある?
それはきっと、希望の中に紛れ込んでいる。
見たくない現実を見せるために、それはそっと潜んでいる。
運命という名前で。
第一章 終幕




