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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第一章 絡まる運命 ─ Entwined Fates
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第32話 優等生の進言

 魔物の絶叫と怒号が消え、辺りにようやく静寂が戻った。


 数人の教師と上級生が応援として駆けつけ、負傷者や気絶した生徒を次々と回収していく。担架が足りず、即席の魔法布で包まれた生徒が運ばれていく光景があちこちに広がっていた。


 レナはその光景を、ただ呆然と見つめていた。自分と同じように怯えていた子が、血まみれで横たわっている。誰かが名前を呼びながら泣いていた。……もう、その返事はない。


「……どうして、ここに来たの?」


 やっと絞り出した声は、かすれていた。レオンはすぐ隣で立っていた。マントの裾に血が跳ねているが、彼自身にはかすり傷一つない。


「この地区で、この人数だ。死人が出るのは分かっていた。……だから、来た。」


 レオンの声は冷静だった。まるで、数式を解くような分析。

 だがその言葉の裏に、薄く滲むものがある。レナは視線を落とした。


「……でも、学院は……」


「被害規模が大きい。俺へのお咎めより、事態の収拾を優先する。……問題にはならない。」


 そして、彼はレナの前に手を差し出した。


「……死んでほしくないから、来たんだよ」


 その言葉は、あまりにも静かで、優しかった。レオンはそのまま黙って手を差し出している。目は伏せたままだったが、そこには真剣さがあった。


「もう大丈夫だ」


「……ありがとう」


 その言葉を口にしたとき、彼女の目元がわずかに潤んでいた。そして、そっと彼の手を取った。その瞬間、レオンの口元がほんのわずかに、安堵のように、柔らかく緩んだ気がした。



 ***



「討伐記録には問題ありません。負傷者多数ですが、致命傷は五名のみ。不幸ではありますが、想定内の範囲です」


 報告を淡々と読み上げる教官たちの中で、レオンは一歩後ろに立っていた。彼の表情に、感情の揺れは一切なかった。


「さて。……レオン・ヴァレント。非公式にお前が介入したと聞いている」


「ええ」


「本来なら規則違反だ。が、実習の結果を見れば、黙認せざるを得ないな」


 上層部の言葉に、レオンはただ軽く頭を下げた。彼の冷静な態度、的確な戦闘処理、何より“確実に成果を出す”能力は学院にとって極めて都合が良い。


 ──その一方で、誰も彼の本性を知らない。


 彼が何を考えていて、誰を見て、誰を守るためにそこにいたのか。表面上は優等生で通っているレオンは、いつも通り静かにその場を去っていった。



 ***



 医務室で治療を受けた後にレナが部屋へ戻ろうとすると、ちょうど見慣れた背中が寮の影から現れた。レオンだった。制服のまま、整った金髪は夕日を受けてきらめいていた。今日の騒ぎがまるで嘘のように、彼は静かに笑っていた。


「疲れただろ? ちゃんと飯は食ったか?」


 それは、どこまでも普通の問いかけだった。さっきの戦場にいた彼と、今目の前にいる彼は、同じ人間なのだろうか?その穏やかな表情に、レナはふとそんなことを思った。


「……ありがとう。でも今日はもう、食べる気にならないよ…」


 レナはそう言って微かに笑った。レオンはそれを無理に引き止めようとはしなかった。



 ***



 月の光が差し込む、静まり返った閲覧室。書架に囲まれた狭い空間に、レオンは一人、椅子に背を預けて座っていた。

 机の上には討伐実習に関する報告資料とC地区の地形図と魔物の棲息データ。細く長い指でページをめくりながら、彼は冷ややかに思考を巡らせていた。


「……予想通り、だったな」


 C地区。地形は悪く、魔物の繁殖率も高い。魔石の補充拠点も少ない。あそこに“ランダム”で初級生を送り込むという判断は、常識的にはあり得ない。


 ──普通の学院なら、だが。


 この学院は特殊だ。才覚がないと見なされた者には、最初から期待もされない。駒として使い潰すことに、誰も良心の呵責を持たない。失敗しても、補充は容易。人間の命など、数の一つにすぎない。


 討伐記録の名簿に並ぶレナの名前を見たとき、わずかに指先が止まった。少しの判断ミスで、命を落とす可能性は高かった。だから、自分が出向いた。殺させないために。


「……今後、同様の実習に関しては、進言しておくか」


 それは個人の感情を隠した、冷静な“処理”だった。レナがなぜ守られるのか、教師たちは深く詮索しないだろう。その瞳には、感情の色はない。けれどその行動は、確かに、誰かを“守ろうとする者”のものだった。レオンは静かに閲覧室を出ていった。黒衣の影が、夜の闇へと溶けていく。


 翌日、午後の授業が終わってすぐの教師用の執務室はまだ静かだった。ノックの音が響く。


「失礼します。Aクラスのレオン・ヴァレントです」


 応対に出たのは、訓練実習の補佐を務める中年教師──ユルゲン。かつては魔術院の行政局に勤めていた経歴を持ち、現場よりも書類と会議の場で力を発揮するタイプである。無愛想で無駄口は叩かないが、上層部との太い繋がりを持ち、学院内の人事や配置にも発言力を持つ数少ない人物だ。


「ああ、君か。」


 いつもは不遜な態度の生徒も多い中で、レオンの振る舞いは群を抜いていた。礼儀正しく、言葉遣いも丁寧。何よりその優秀さに、一部の教師は密かに期待すら抱いている。


 レオンはスッと腰を折り、静かに言った。


「本日は、今後の魔物討伐実習に関して、提言をさせていただきたく思いまして」


「ふむ?」


「……先日のC地区での実習で、初級生を含む生徒数名が重傷を負った件。統計的に見ても、C地区は魔物の出現数と危険度が高く、初期配備地点としては適していません。特に魔法適性の低い生徒や、回復補助の魔具を持たない者にとっては過酷すぎるでしょう」


 彼の口調に責める色は一切ない。ただ淡々と、数値と事実を並べていく。


「今回のように、短時間で人員が急減すれば、任務そのものの失敗確率も大きく上がります。救護のリソースも圧迫され、学院全体への影響も無視できません。今後、実習の配置決定に際しては、対象生徒の戦闘能力と魔力量を基に、地区ごとのリスク調整がなされるべきではないかと」


「……なるほど」


 教師は腕を組み、頷いた。冷静な分析、丁寧な言葉。反論の余地がない。あくまで「学院のために」という建前で話している。


 レオンは一枚の紙を差し出した。

 そこには生徒別の魔力量や適性に応じた、地区配属の推薦案が端的にまとめられていた。


「この資料は、私が個人的にまとめたものです。参考になれば幸いです」


「……これは、ありがたい。まさか君がここまで詳細な分析を……。しかし、なぜこんなことを?」


「私も学院の一員ですから。無駄な犠牲が減るなら、それに越したことはないと思ったまでです」


 ごく自然に微笑む。整った美貌と冷静な瞳に、ユルゲンもすっかり油断していた。


「分かった。上層部にも掛け合ってみよう。君のような優等生が声を上げてくれるのは助かる」


「……ユルゲン教官のように、上に直接意見できる立場の方が動いてくだされば、改善は早いでしょうから」


 学院内の権限構造を理解していると感じさせる、含みのある言葉だった。


「それでは、失礼いたします」


 レオンは一礼し、踵を返す。扉が閉まるまで、その背筋は微塵も崩れなかった。だがその瞬間、廊下を歩く彼の目だけが、ふっと色を失う。


(これで、レナが再び地獄に送られることはない)


 そう呟く心の声は、誰の耳にも届かない。


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