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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第一章 絡まる運命 ─ Entwined Fates
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第31話 黒衣の処刑者

「くそっ、まだ来るーッ!」


 エリックは左腕に裂傷を負いながらも、魔物の群れに刃を向けた。レナの前に立ち、次々と押し寄せる敵を斬り払う。


 レナの仲間は戦闘不能状態だった。魔物の数は、まだ二十を超えていた。レナの補助魔石はもう、砕け散った最後の一つを手にしているだけ。息が上がる。魔力の回路は限界で、視界が滲む。


 そして、目の前に新たな魔物が現れた。三本の腕を持つ異形の魔物。エリックの反応が僅かに遅れた。魔物の太い腕がレナの身体を掴もうと襲いかかる。レナは咄嗟に身を捻って避けたがビリッ、と布が裂ける音がした。制服の裾が、魔物の爪に無残に引きちぎられていた。レナは後退して身を立て直した。


 ──選択肢は、ひとつしかない。


(この血を、使うしか……)


 レナは震える手で小さな銀の短剣を掴み、自分の左腕に刃を当てる。その血は特別な“力”を持つ。代償も大きい。身体への負荷が大きいことは分かっていた。それでも今、生き延びるにはそれしかなかった。唇を噛み、刃が肌を裂こうとした、その時だった。


「全員、下がれ」


 低くよく通る声が戦場に降りた瞬間、空気が変わった。

 灼けた地面に、ひとつの黒い影が降り立つ。音もなく、ただ“そこにいた”というだけで、空間が凍りついたようだった。


「……レオン……?」


 レナが震える声で名を呼ぶ。


 血を孕んだように濃い黒のコートを着た少年。金の髪が風に流れ、海のような蒼い瞳が、ただレナだけを見ていた。エリックが反射的に後退する。それは、人間が本能で理解する“格”の違いだった。魔術学院生──だが、その実“特級A”、国家戦力級に近い実戦魔術師。


「……数を数える必要はないな」


 囁くような独白とともに、右手が上がる。


 ──魔力展開。


 風が変わった。空気が重く、鋭く、灼けた匂いに変質する。火・雷・風・土。四属性が、無音のうちに複合・同時行使された。


「……っ、無詠唱……!?」


 思わず、エリックが声を漏らした。


(ウソだろ……術式を言葉で“構築”することで魔力の流れが制御できるんだぞ?まさか頭の中でそれをやってんのか?)


 ゾクリ、と背筋を冷たいものが這い上がる。見た目は人間なのに、まったく“別の存在”にしか思えなかった。



 * * *



 レオンの体が、消えた。いや、“加速”しただけだった。視認できない速度で地を蹴る。その一歩は、空間座標ごとを滑らせるような動きだった。


 ──ドンッ。


 爆音と衝撃。一体の魔物の首が、「切られた」という事実だけを残して飛ぶ。反応する暇もない。魔物たちが唸り声をあげて牙を向けた、その次の瞬間。


「……一列に並んだな」


 青白い閃光が、横一線に走った。地を這う雷刃。斬撃を帯びた雷術。走路上にいた魔物四体が、一斉に腹部を裂かれて崩れ落ちた。レオンは止まらない。既に次の術式を重ねていた。足元に展開された三段階の複合術式が同時発動する。【対象定位】→【斬撃収束】→【威力増幅】の術式。


「潰れろ」


 宙に浮かせた剣が、無操作で飛ぶ。剣が放った斬撃は、目に見えない圧縮空気のように魔物を押し潰しながら切断していった。物理と魔術の境界を超えた一撃だった。


 ──これが、“特級A”の戦闘。


「ヒイ……あ、あれ、人間……なのか……?」

 遠巻きに見ていた傷だらけの班員が、声を震わせた。それは、魔物の味方としてではない。「あの黒衣の青年が、もし敵だったなら」という想像だけで、恐怖が全身を貫いた。


 地を駆ける。斬る。殺す。レオンの顔には一切の感情がなかった。


「俺のものに、傷をつけた……それが何を意味するか、分からせてやる」


 その言葉を聞いた魔物はもういない。彼らの死は、一瞬の術式に飲まれて無に帰した。


 ──戦闘終了まで、一分四十二秒。


 魔物二十六体、殲滅完了。


 残されたのは荒れた大地と、ただ一点、無傷で佇む“少女”を守る青年の背だった。レオンがようやくレナの方に歩き出す。足元を流れる血を避けようともしないまま。圧倒的な力と、人間離れした動きだった。魔術の域を超えた制圧力に、気づけば周囲には動く魔物など一体もいなかった。レオンの蒼い瞳が、真っ直ぐにレナだけを見つめている。風が吹いて血の匂いを攫っていった。



 ***



 魔物の断末魔が、風の中にかき消えた。エリックには何が起きたのか、理解が追いつかなかった。


「……レナ、大丈夫か?」


 かろうじて、問いかけた。少女の瞳は、呆然と“彼”の背中を見ている。黒い長衣に冷えた空気のような気配。血に濡れた剣を手に、振り返るその男──レオン・ヴァレント。


「……っ」


 その名を、口の中で飲み込んだ。理解できなかった。あの男が“魔物を斬った”ことも、“味方である”という事実も。何かが違う。剣の軌道も、魔術の展開も、人間の動きじゃない。たった一人で、あれだけの魔物を、息をするように屠った。まるで、何も感じていないかのように。


「……お前、どうして……ここに」


 問いかけたつもりだったが、声が出ていなかった。レオンは、ちらりとこちらを見た。冷たい蒼の瞳。ああ、と直感する。


 ──この男は、俺とは別の世界にいる。


 怒りも、憤りも、使命感もない。あるのは、ただ所有物を傷つけたことに対する無機質な反応。レナを守る、というよりもレナが“他者に触れられた”という事実を消すために、殺している。


 恐ろしいのはレナがそれに全く気付いていないことだ。「ありがとう」と涙を浮かべ微笑みかけている。何度もこうして守られてきたのだろう。傷ついた自分を助けてくれる者への安心感が、彼女の表情ににじみ出ていた。そして、レオンはその微笑みを見て、満足げに口元に笑みを浮かべている。


 あれほどの力を見せながら、あの男には昂ぶりも達成感もない。戦闘はただの“手段”に過ぎない。そして何より明確だったのは、あの男は、“レナ”以外に一切の価値を置いていない。


「……何者なんだよ……」


 小さく呟いたその声は、誰にも届かなかった。ただ、レナの横に立つレオンの姿だけが、どこまでも遠く、近すぎる異常として、エリックの視界に焼きついていた。


(……どういう、仕組みだ)


 地面に転がる魔物の死体は、二十体を超えている。それも、すべて──急所を穿たれていた。


(精度が異常すぎる。……あれは、単なる実戦経験なんてもんじゃない)


 剣筋、間合い、魔術との複合構成。どれも完璧にもかかわらず、彼はSクラスどころか、Aクラスの生徒扱いだ。孤児として入学してきたと聞いている。確かに、例外はある。才能だけで這い上がってきた異端の天才魔術師も存在する。


(けど……違う)


 あれは“天才”じゃない。兵器だ。あの殺し方は、“誰かのために覚えた剣”じゃない。任務として覚え込まされた、“生き残るための術”だ。


(裏社会にいたから?……それで説明がつくか?)


 確かに、レオンのことは調べて分かったこともある。暗殺や殺人請負業の存在。表には出ない、裏社会について。


(でも、あの精度は──戦争で部隊を潰す“戦術兵器”の領域だ)


 どこかの魔術系貴族の“落とし胤”?もしくは、実験体のように育てられた存在?情報が、少なすぎた。調べれば調べるほど、彼の“過去”が存在しない。だが、ただの孤児ではないことだけは明白だった。


 (……俺は、いま、“触れてはいけないもの”に関わってるのか?)


 ちらりとレナを見た。あの優しい少女は、なぜ素性もわからない“彼”と一緒にいられるのか。


(……レナは、どこまで知ってるのか?)


 そして、俺は──どこまで踏み込んでいいんだ?


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