第14話 見えぬ正体
レナは中庭の隅で草木に水をやっていた。
教師に頼まれた小さな手伝いだった。
パートナーもいない今、自分にできることを探していた。
遠く、訓練場の方から大きな歓声が聞こえた。
「……レオンかな」
Aクラスの時間割では今日が演習日だった。
「やっぱりすごいな……」
呟いた瞬間、レナの背中に冷たい視線を感じた。
「ねえ、Eクラスの癖にAクラスの話題に触れないでくれる?」
「レオン先輩と知り合いとか、あり得ないんだけど?」
他のクラスの女子たちだった。
「この前、レオン先輩と歩いてたって聞いたけど?寮の前で見られてたよ」
「ほんとは身体でも使ってるんじゃないの?」
「進級しないのも、下心あって残ってるんじゃ──?」
「……なっ!そんなわけないよ」
レナは言い返す。そこに突然、妙に明るい声が中庭に響いた。
「やぁっ、みんな何話してんの〜?」
振り返れば、エリックが手を振っていた。その声に、レナの周囲にいた女子たちが一斉に動揺する。
「えっ。いや、何でもないよねえ?」
「そろそろ行かなきゃ」
曖昧な笑みを浮かべながら、そそくさと立ち去っていく。
その背中を、エリックはじっと見つめていた。
やがて、レナへと視線を向け直す。
「やっ、レナだっけ。君、パートナーいる?」
突然の問いかけに、レナはわずかに目を見開いた。
「……いませんけど」
答えながらも、どこか警戒が抜けない。馴れ馴れしさには慣れていなかった。
「それじゃ、俺とパートナーになろうよ。Eクラスに合わせるし」
軽く肩をすくめながらエリックは微笑む。
(また……失うかもしれない)
過去に二人ほど自分と組み、命を落とした相手がいた。
一人は演習の時に私を庇った。一人は倉庫で私を殺そうとした。
誰かと組むことは怖かった。
その沈黙を破ったのは、近くに残っていたクラスメイトの声だった。
「その子に声かけない方がいいよ」
「そーそー。死神だよー。パートナー、二人とも亡くなってるんだから」
冷ややかな声と、からかうような囁きにエリックは、少しも表情を変えなかった。
「へぇ。でも、俺、そーゆーの気にしないから。君、何歳?」
「15歳になったばかりです」
「俺、もうすぐ17歳!あっ、気を遣う必要はないよ!」
軽く笑って、いたって自然に続ける。
「まあ、多少のことは大丈夫!俺、まあまあ危険の判断できる方だと思うし!」
その言葉とともに、エリックは手を差し出した。
「よろしくっ」
どこまでも無邪気で、どこまでも真っ直ぐな笑顔。
レナは少しだけ迷って、そっとその手を握った。
温かく、柔らかな掌だった。
***
午後のEクラスの実技演習の時だった。
「うん、そこはもう少し力を抑えて。そう、そんな感じ」
エリックは、にこにこと笑いながらレナの手元を見ていた。
彼の口調は終始やわらかく、失敗しても決して責めず、焦らせることもなかった。
「レナってさ、基礎の精度は悪くないんだよ。あとは、魔力の流し方をちょっと調整すればもっと良くなると思うな」
「ほんとに……? 私、いつも失敗ばかりで」
「魔法ってそういうもんだよ。俺だってしょっちゅう失敗してるし」
肩の力が抜けて、レナの表情が少しだけ柔らかくなった。
彼のように、失敗を“怖がらせない”教え方は初めてだった。
***
「……あれが、BクラスからEクラスに落ちた奴か」
遠くからその光景を眺めていたのは、制服のボタンを少し外したAクラスのバッジをつけたレオンだった。
校舎の外の回廊で壁に背をもたれて無表情で腕を組む。
(馴れ馴れしい奴だな)
彼の中で、形のない“苛立ち”がゆっくりと浮かび上がる。
レナが他の男に懐いているという“光景”が、引っかかった。
ポケットから時計を取り出す。もうすぐ授業が終わる時間だった。やがて、実技室の扉が開き、レナが出てくる。
「あっ……何でここにいるの?」
レナは驚いたように立ち止まった。
「お前を待ってたんだ。もう昼食の時間だろ。学食、行こう」
レオンは視線をレナに戻しつつ、その後ろにいるエリックをチラッと見る。
(こいつが、今の“パートナー”か)
その目は値踏みしているかのようだった。
***
ざわざわと賑わう昼の食堂で、レナとレオンは食券の列に並んだ。レナがメニューを見つめながらぽつりと言った。
「今日の実技、楽しかったよ。エリックって、優しいし、教えるのも上手で」
レオンはすぐに反応しなかった。
「……ふーん」
無関心そうに装っているが、その声にはどこか棘がある。レナはそれに気づかずに次の話題を振った。
「Aクラスってどんな感じ?」
「別に、普通だ。パートナー制もないし、清々してる」
淡々とした口調だった。食券を持って二人でカウンターへ向かう。レナが財布を取り出そうとした時だった。
「いい、俺が出す」
「ええっ、自分で出すよ?」
「別にいいだろ」
レオンはレナの分まで無言で会計を済ませる。レナは困惑したように一瞬まばたきしたあと、小さく笑った。
「あ、ありがとう……じゃあ、今度お礼していい?」
「礼なんていらない」
レオンの返答はそっけなかった。
「それじゃあ……一緒に、家でごはん食べない? 寮の部屋で私が作るよ」
唐突な一言だった。レオンはスープを一口啜りながら、一拍だけ間を置いた。
「……は?」
「この前、購買部のカードも貰ったしさ。あっ、嫌ならいいよ」
そう言ってレナは慌てるように手を振る。レオンはふと視線を逸らし、食器を持ったまま黙った。しばらくして、ようやくぽつりと呟く。
「……考えとく」
彼の中で何かが揺れているのをレナは気づかなかった。
***
午後の授業が始まる前の教室で、エリックがレナの席にぬっと顔を出した。
「レナ、ちょっといい?」
「うん?」
「……何でお前、Aクラスのレオンと学食食べてんだ?」
エリックの声には妙な真剣さが滲んでいた。レナはきょとんとした顔で言う。
「え? よくあるけど?」
「いやいやいや、AクラスとEクラスって基本交わらないだろ。どうやって接点が?」
「あー……Eクラスにいた頃、パートナーだったんだよ」
「……あの男と?」
エリックの顔が露骨に引き攣る。
「え、大丈夫だったのか? 怪我とか、変なことされなかった?」
「なにそれ。別に。普通に今も──なんていうか、友達?みたいな感じだよ」
レナはそう言って、特に気にする様子もなかった。だが、エリックはそこでふっと眉を寄せた。
「なあ、レナ。……あの男の噂、知ってるか?」
「噂?」
「悪い噂、って意味だよ。出身も経歴もよく分かってないし、関わった相手が消えるとか、黒い仕事してるとか。まあ、真偽はわかんねーけど」
レナはエリックの真剣な表情に目を見張った。
「お前、変に関わると巻き込まれるかも知れない。……だから、気をつけろよ」
一瞬、レナは返す言葉に迷った。
(……レオンが危ない人、か…。そんな気はしてる…けど)
それでも屋上で一緒にいた日のことを思い出す。
「……うん。ありがと」
レナは静かに微笑んだ。
***
「……ふぅ」
放課後、誰もいない教室で、エリックは窓際に腰掛け、腕を組んでいた。
(本当に、ただの“友達”なのか――?)
レナは無防備すぎる。Aクラスの男、レオンに対してあまりに警戒心がなさすぎる。だからこそ、逆に不安だった。
(どう見ても、“普通”じゃなかった)
あの目。感情の底を見抜くような、冷たい光。立ち居振る舞いに、一切の隙がない。話し方、動き、呼吸、そのすべてが“計算”されていた。
(……あれは裏の世界にいる奴の匂いだ)
記録が不自然に切れている。素性も経歴も全て曖昧だった。
(……レナみたいな子が、あいつと一緒にいていいはずがない)
エリックは静かに鞄を開け、小型の通信石を取り出した。今もつながっている、旧Sクラスの情報網。彼は石に低く囁く。
「……調べてほしい奴がいる。レオン・ヴァレント。Aクラス所属。記録の隙間を拾って、過去を洗ってくれ」
受信音がひとつだけ鳴り、承諾の反応が返ってきた。エリックは通信石をしまい、椅子の背にもたれて空を見上げた。
「……俺はただのクラスメイトとして、レナを守るだけだ」
自分に言い聞かせるように呟いた声は、思ったよりも掠れていた。
***
レナが授業から戻るのを、エリックは木陰からさりげなく見ていた。彼女は今日も人混みを避けるように歩き、数人と軽く挨拶を交わすだけだった。
(相変わらず、周囲と深く関わろうとしないな……)
そういう子なのは、分かっている。
だが、レオンという“存在”とだけは、距離を取ってほしかった。
調査は思った以上に難航している。
名前は仮名の可能性が高く、記録も巧妙に改ざんされている痕跡があった。
(やっぱり、あの男は何かを隠してる)
レナが無防備であるほど、エリックは警戒心を強める。
彼女がどう思っていようと、あの男は“無害”じゃない。
***
レオンが屋上から中庭を見下ろしていると、エリックの顔が視界の端に入った。
(また見てやがる)
ただの好奇心か、警戒心か。
(どうでもいい。だが……)
距離を保ちつつ、常にこちらの動きを視界に捉えようとしている。そのやり口は、凡百の生徒とは一線を画していた。
(あいつ、訓練を受けてるな。Sクラス出身って噂は本当か)
レオンはゆっくりと立ち上がった。
屋上の柵越しに、エリックと目が合う。
数秒ほど無言のまま、睨み合いにも似た視線の交錯があった。レオンは、すぐに目を逸らし、階段へと引き返した。
(干渉する気はない。だが、俺の邪魔をするなら──)
レオンの瞳が一瞬、氷のように凍てついた。
(……排除してやる)




