第8話 進級──Cクラス
その日、学院の掲示板には、人だかりができていた。
年度末の進級テストの結果が、発表されたのだ。
「すごいね、レオン。Cクラスだよ。……飛び級ってやつ?」
張り出された用紙を見上げながら、レナが驚きながら声をかけてくる。レオンは無言で、掲示を一瞥しただけだった。
「これで、お前ともサヨナラだな」
淡々とした声で、彼はレナの方を見ずにそう言った。
「私も見てみよっかな」
レナは自分の名前を探し、指先でなぞるようにして確認する。
「……うん、やっぱりEクラスのままだった」
その言葉に、レオンの眉がほんのわずかに寄る。
「……向上心のないやつだな、お前は」
呆れたように言い捨てる。
レナは肩をすくめて笑った。
「うーん、かもね。でも、実技……嫌いだし怖いし」
どこか自嘲めいた、でも柔らかい口調。レナはレオンの方を真っ直ぐに見て、微笑んだ。最近、ようやくレオンの前でも笑顔になれるようになった矢先だった。
「また会おうね」
何の飾りもない、ただの“日常の言葉”だった。媚びも、未練も、期待もない。自然にそう言った。レオンは一歩だけ距離を取り、視線を逸らした。
「……もう二度と、会わない」
ぽつりと、そう言って背を向ける。去っていく背中を、レナはじっと見つめた。そして、小さく手を振った。
「そっか。またね、レオン」
その声は、きっと届いていた。
けれど彼は、それを「受け取らなかった」。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
***
それから数日後。
「あれ? また会ったね」
レナが屋上に行くと、レオンが座り込んでいた。レナのほうを見ると、制服の袖の端から、わずかにのぞく白い包帯に気づく。
「ここの方が落ち着くからな。……また怪我か?」
ぽつりと、低く落とされたその声に、レナは袖をそっと押さえた。
「ん? ああ、これ? 魔術の授業で、相手が暴発しちゃって……巻き込まれただけ」
「……そんな下手くそと、今パートナーなのか」
レオンの声が、ほんの少しだけ低くなった。
レナは苦笑しながら、小さく首をすくめる。
「一人よりはマシだよ。どうにかここで過ごしていかないとね」
その返答に、レオンは視線を落とし、静かに考え込むように風を感じていた。
この学院に来てからの半年間、同じ背中を見続けてきた。その間に、レオンはレナという人間の輪郭を少しだけ掴んだ。本来なら、カリグレア学院に足を踏み入れるはずのない性格だ。この苛烈な環境とは最も相性が悪い──それでも、ここに留まっている。
生きるため“だけ”に、この場所を選んでいる。
レオンはただ、レナの隣に立ち、同じ空を見上げていた。
***
進級して、まだ半月。Cクラスの教室は、Eクラスとはまるで違った。無意味な噂話や、誰かを笑う声もほとんどなかった。実力を示せば、それなりに評価される。そういう意味では、確かに“居心地はいい”のかもしれない。だからといって、心が安らぐわけではなかった。
「ねえ、レオン。次の演習、また私と組んでくれない?」
昼休み。笑顔で近づいてきたのは、同じCクラスの女子生徒。貴族出身で、整った外見に加え、魔力量も平均以上。
“優等生”の名に恥じないスペックを持っている。だが、レオンの目に映ったのは、その奥にある“打算”だった。
(……顔と名前、それに所属クラス。それだけで寄ってきてる)
彼女の視線は笑っていなかった。外面の好意の裏に、値踏みと計算が透けて見える。
“Cクラスの実力者”“育ちが良さそうな孤児”
“実は貴族の隠し子ではないか”という最近の噂――
彼女達が見ているのは、“レオン・ヴァレント”という“可能性”に過ぎない。
レオンは視線をそらし、無言で教室を出た。別の日も、昼休みになれば、やたらと女子が声をかけてくる。
「今度、一緒に演習見に行きませんか?」
「寮ってどこ? 今度お菓子、持っていこうか?」
そのすべてが、耳障りだった。
(……Eクラスにいた頃は、ここまで露骨に話しかけてこなかったくせに)
今の方がずっと騒がれている。理由が“顔”や“実力”だとわかっていても、腹の底に残るのは奇妙な不快感だけだった。Cクラスでの実技パートナーも、能力は悪くなかった。
連携も悪くない。だが、どこか足りない。
ふと、レオンは思い出す。
無謀で、愚かで、計算もせず、理解できない行動ばかり。
それでも、印象に残っている。
「レオン、どこ行くの?」
答える必要もない。誰に話す必要もない。ただ、足が勝手に動いていた。
誰にも騒がれず、誰にも測られず。空だけがあった、あの静かな時間。
(……俺は、何を考えてるんだ)
心の中で呟いた。
その足は無意識のまま、Eクラスへと向かっていた。
「……レナは?」
「あの子なら、保健室だよ」
Eクラスの教室にいなかった彼女の姿を不審に思い、クラスメイトに尋ねると、そう返ってきた。レオンは無言で教室を出て、保健室へと向かった。中庭を抜ける石畳の脇、植え込みの向こうで、ふと足を止める。視界に入ったのは、見慣れた背中。そして、その隣に立つ“見知らぬ男”だった。
黒髪の優男。整った顔立ちに、気取りのない柔らかな笑顔。
その男が、レナの腕を軽く支えていた。
(……誰だ、あいつ)
レナは右手を押さえ、痛むのか微かに顔をしかめている。
歩きながら、ぎこちなく笑っていた。
「本当に、ごめんね。完全に僕のミスだよ……」
男の口調は丁寧で、声も優しげだった。
だがレオンは、その“優しさ”に引っかかりを覚える。
(本気で心配しているようには見えない)
言葉も表情も“優しさ”に満ちている。
だが、目が虚ろだった。
(全部“作ってる”。この男、演じてる)
レナの怪我を気遣うふりをして、どこか上の空。
保健室に行くより手前で男が足を止めると、手を振って言った。
「じゃあね、レナちゃん。早く治るといいね」
「うん。ありがとう、アッシュくん」
レナは無邪気に微笑んで応じる。
だがレオンは、そのやり取りを黙って見ていた。
(保健室までついて行かないのか……?)
その瞬間、レオンの中で警鐘が鳴った。
(確信した。……こいつは“見てる”だけのやつだ)
アッシュがレナに背を向け、立ち去る。その時、レオンは前に出た。無言でアッシュの進路をふさぐ。
「……わざと、怪我させるなよ」
低く、冷たい声。
アッシュがぴたりと止まり、目だけでレオンを見る。
「え? ……レオン、くん? だったかな」
「……黙れ。名前を呼ぶな」
レオンは睨んだ。
(目が笑っていない。こいつは、目的がある)
「はは、怖いなあ……。ただのミスだよ。演習中、ちょっと手元が狂っただけさ。ほら、軽い怪我だったし?」
アッシュは穏やかに笑ったまま言う。
だが、レオンはその場を離れなかった。
(……“殺し”を知ってる目だ)
レオンの中に、静かに、しかし確かに──
不快と警戒の色が滲んでいた。




