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タクシー運転手のヨシダさん  作者: 佐野和哉
タクシー運転手のヨシダさん
18/41

その17 「不入ラズの藪」

 夏の終わり。真夜中。関西某市。僕はヨシダさんに呼び出されてはるばる愛知県からやってきた。いつもの事だ。

「面白れえトコ見っけたから、ちょっと来い」

 そう言われると弱い。行ったらほぼ必ず怖い目に遭うのだが、行かなきゃ行かないでヘタレ扱いをされる。まあ、実際面白れえし行くんだけどね……。

「なあーヨシダさん、流石にマズイって」

 だけどコレは恐怖とかじゃなく

「普通に不法侵入じゃんこれ、ねえ」

 田舎町の郊外にあるだだっぴろい駐車場。二階建ての詰所らしき粗末なプレハブ小屋が一つぽつんとあるだけだ。その隣から社名も書いてない古いトラックが幾つか並ぶ砂利敷きの敷地。そんな野球場に出来るぐらい広い敷地をずんずん入っていく。県道沿いの街灯があっという間に遠ざかる。周りに建物もない。闇夜ごしに看板がうっすら見えるが、サビまくってる上に文字も消えかかっていてよく読めない。その看板もプレハブ小屋も見えなくなりそうなくらい歩くと、荒れ地の中に鬱蒼とした竹藪が現れる。ヨシダさんが言う「面白れえトコ」とは、どうやらココらしい。

「何でココだけ竹藪なの?」

「禁足地ってヤツだな」

「ああー、入ると出れんってゆー」

「そ」

「思いっきり駐車場じゃん」

「そ」

「てかまずこの駐車場に勝手に入って大丈夫なの?」

「あー、この会社な、ココ無断で使ってっから。大丈夫大丈夫」

「へ?」

「この藪のせいで買い手が付かないのを良い事によ、勝手にクルマ停めちまってやがんの。ヤクザな会社でな、こないだココの雇われ社長乗せてさ。仲良くなったんで酒飲んで詳しく聞いたら、不入ラズの藪ってのがあるんだと。それが」

「コレ……?」

「そ」


 見た目はこんもりとした普通の竹藪だ。不気味さも嫌な雰囲気も別段無い。禁足地というからには何かしらの曰くがあるのだろうか。

「ああ、あっけどソレは別に怖くねえんだ」

「ふーん。じゃあ何がそんな面白れえの?」

「藪ん中に殆ど地面に埋まってる祠があんだと。禁足地だけど、入ったって別に大した事ぁねえんだよ。でもな、その祠を見つけて、中を見ようと掘り返したり、ツッパって蹴飛ばしたりすると」

「すると?」

「お楽しみ」

 来るんじゃなかった。

「やる気だな」

「祠がありゃあな」

 ホントにやるんだ。

 

 竹藪はシンと静まり返っている。虫の鳴き声や風のざわめきが意外なほど少ない。まるで不審な侵入者二名の様子をじっと伺っているようだ。深い深い、闇より深い暗がりがゆらゆら揺れている。

「うし」

 そういうとヨシダさんは、まるでこの竹藪に散歩にでも行くかのように軽やかに足を踏み入れた。ざくっ、と地面を踏む音を追いかけて、僕も慌てて歩き出した。

 竹藪に入っても、別段コレといっておかしなところは無かった。不気味な気配とか、謎の音だとか、何もない。ただただざわめく竹藪の中、深夜に男二人でずんずん歩いているだけだ。よく考えりゃそれが一番怪しいか……。

 五分ほど歩いただろうか。外から見るより藪の中は深い。夜空もすっかり遮られて月明かりも届かない。用意してきたペンライトをふりふり照らして進む。途中、葉っぱで指先を切ってしまった。汗ばんだ僕のアトピー肌が災いした。たらり、と膨れて垂れる血もそのままに、さらに進む事少し。

「おっ」

 僕の数歩先を歩いていたヨシダさんが何かに気付いた。足を止め、その場に屈み込んで足元を探っている。

「あった?」

 と僕が近寄って、彼の背中越しにペンライトを照らす。すると

「コイツだ」

「うあ……」

 あった。すっかり苔生して所々屋根や壁が欠けてしまっている、ごく小さな祠。

「で、どうすんの?」

「んー?」

 答えもしないで、素手のままざっくざっくと祠をうずめる腐葉土を掘り返している。僕は呆れるやらビビるやらで落ち着かなかったが、ヨシダさんの背中を見ていても仕方がないので改めて周囲を見渡してみた。背の高い竹が風も無いのにゆらゆら揺れていて、かすかに擦れる音がする以外は相変わらず静まり返っている。何処に向けてもペンライトの白すぎる光は虚しく吸い込まれてゆく。

「うし」

 小さいが満足げなその声に気が付いて振り返ると、件の祠がほとんど掘り起こされていた。

「早かったね」

「埋めたばかりなんだろ」

「ああ、そういうこと……」

 誰か掘り返した奴が居るんだな、僕たちのすぐ前に。

 ペンライトの細い光の中で浮かび上がる古い祠は、一見すると本当にただ埋もれていただけの、何の変哲もないものに見えた。この期に及んでもまだ、おかしな気配や恐怖の兆しなどは全く感じられなかった。少なくとも僕には。

「さーて、と」

 ごく軽いノリでヨシダさんが祠を穴っぽこから取り出した。僕も思わず手を貸してしまったが、石で出来た祠は思っていたよりずっと軽かった。

「あ、軽い」

「だろうな、中見てみろ」

 道理で。祠の中は空っぽだった。

「どうするの」

「何が」

「空っぽじゃん、戻して埋めて帰ろうよ」

「まーだまだ」

「は?」

「後ろ、見ろ」

「へ?」

 全く気が付かなかった。いつの間にか僕たちの周囲は二メートルほど離れた場所で、等間隔にぐるっと囲まれていた。月明かりも差さない竹藪の中に浮かび上がる、濃い紺色に見える人影。途端にぞわーっと背筋が寒くなった。なんだあれ! と思った事をそのまんま口に出して叫んだ。

「うるせえ」

 ヨシダさんは僕の頭を小突くと、空っぽの祠を乱暴に埋め直して立ち上がった。パン! パン! と手を叩き、泥や砂を落としながら何かブツブツ呟いた。

「どーすんのさ」

「あん?」

 僕は無言で、円陣を組むように取り囲む影たちを指さした。

「あれ完全にコッチのせいじゃん!」

「なら付いて来るさ」

 え、とか、は、とか言う間もなくヨシダさんは踵を返して歩き始めた。ざっく、ざっく、と二人分の足音だけが響く。円陣は距離を保ちながら森の中をスーッと音もなく移動してくる。ペンライトの光が届くか届かないか、ぐらいなところにも一体居るのだが、姿形がハッキリと見えないだけに余計に薄気味が悪かった。

「逃げよう!」

「何処へ」

「何処って、ココ出ようよ!」

 そんなに深い竹藪じゃなかったはずだし、当てずっぽうに走ったってそのうち出られるだろう、ぐらいに思っていた僕が

「出れるもんならな」

 バカだった。

「出れねえの!?」

「走れ」

 言うや否や、ペンライトの灯りだけでヨシダさんは猛然と竹藪の中を走り出した。ざざざざ、と風の音に混じった足音が二つ、速度を上げてゆく。が、自他ともに認める健康優良肥満青年の僕はスグにバテてしまい速度が落ちてしまう。息を切らし、走りゆくヨシダさんの背中を恨めしく思いながら睨み付け、膝に手をついてぜえぜえと呼吸を整えた。

「よ、ヨシダさん……待っ」

 待って! と言おうとして言葉が詰まった。いつの間にか円陣が狭まってきている。うわうわ、と思って口をパクパクさせたまま立ち尽くしていると、暗闇の向こうから

「オーイ早くしろ! 知らねえぞ!」

「ええ!?」

 乱暴に叫ばれて、どうにか足を動かして走り出した。ヨシダさんはどうやって円陣を抜け出したのだろうか、僕に向かって迫る人影たちが一段と近づいてきたような気もするが、構わず必死で走り続けた。土に、木の根に、石くれに躓きながら。熱帯夜の蒸し暑い空気が汗と一緒に肌の上を流れてゆく。柔らかい土くれの斜面を駆け登る。もはや死にかけの魚のように口をパクパクさせて振り上げた右腕を、がっしり掴んで引き上げられた。

「重てえんだよデブ」

「どうも有難う、ブヒ」

 竹藪の斜面を登り切ると、うめき声を引きずりながら人影どもは音もなく消えた。

「アレ、何?」

「知ってたら逃げるかよ」

「竹藪、広くない?」

「そうね」

「出れんの?」

「さあね」

「どうすんの!?」

「お地蔵さんにでも聞いてみるか」

 はあ? と思ってペンライトを向けた先に、竹藪を半円形に開いた形で古ぼけたお地蔵様が鎮座していた。よくある木の屋根はすっかり風化して所々崩れていて、蒸し暑い真夜中に少々物悲しく見えた。

「ふむ……」

 ヨシダさんは興味深そうに、頬を伝う汗も拭わずお地蔵様をしげしげ見ている。ペンライトの白い灯りが冷たい石肌を舐めてゆく。お地蔵様は泰然としていて、こっちも何かおかしな気配は無い。さっきの人影も、何だか遠い昔の幻のような気がしてきた。

 その時。

 うおおおん……

 何処か遠くで、大勢の何かが呻き声をあげたような音がした。十人か二十人か、下手したらもっと居るんじゃないかというぐらいの人数だった。

「ヨシダさん」

「あんだよ」

「どうやって抜けたの?」

「んああ?」

「アレ」

 うおおおおん……

「探してやがんな」

「誰をさ」

 ヨシダさんは黙って、僕と自分をライトで交互に指差した。

「で、どうやって抜けたのさ」

「上だよウエ」

「ウエ?」

「お前の好きなのにあったろ、怪獣のバリアは、頭の上にはナンタラカンタラ」

「あっ」

 帰ってきたウルトラマンだ。古代怪獣キングザウルス三世のバリアは頭の上が空いていた。

「飛んだの?」

「バカ言え」

 うおおおおおおお……ん

 うめき声がどんどん近づいている。

「どーしよ」

「飛べねえ豚はタダの豚だぞ」

「ブヒッ」

 冗談言ってる場合じゃない。

「さあ行くぞ、上だよ上!」

 ヨシダさんは近くにあった手ごろな木に走り寄って、スイスイ登りだした。まさか深夜に木登りをするとは。僕は木登りが大の苦手なのだが、そんな事は言ってられない、大ぶりの枝を登りついでどうにかある程度の高さまで辿り着いた。

「ブタも煽てりゃ木に登る、か」

「ブヒブヒ」

「来た来た……」

 ん? と下を向いたが、ヨシダさんがペンライトを消してしまったので何も見えなかった。暗闇の中を蠢く数十体の影以外は。ほとんど真っ暗のハズなのに、そこに輪郭を持った気配だけが見えているような、そんな感じ。

 うじゃうじゃ居るそいつらが

 うおおおおおん……うおおおおおおおおおおん……

 とさっきから唸っているのだ。もう、こんな近くまで来ていたなんて全く気付かなかった。危なかったな……とヨシダさんの方に振り向こうとした僕の背中に、何かこう力のないモノが、どん、と静かに当たった。ボクシング用のサンドバッグが揺れているような、音も感触もそんな感じだ。

「ヨシダさ……ん?」

 振向いたそこにあったのは手ごろな枝に縄を結んで、首を吊っている中年の男性だった。ぎい、と縄の軋む音がひと際大きく響いた。力なく揺れるその死んだ肉塊から一瞬、据えた様な湿っぽくて嫌な臭いが漏れ出して来た。

 うおおおおおおおおおおん……!

 僕の真下で唸り声が一際大きくなった、その瞬間。


 ぷつん


 ロープが切れる音がして、首つり死体は人影の輪の中に消えて行った。呆然とする僕に小指ほどの枝が飛んできて頬をかすめた。

「いつまで木登りしてんだ、降りるぞ」

 ヨシダさんは顔をしゃくって下へ降りる仕草をした。僕は恐怖が消えてないまま震えながら降りて行った。地面に足を付けると、漸く少し落ち着いた。あれは何だったんだろう、とぼんやり歩き出すと、ヨシダさんがペンライトを僕に向けて

「気になっか?」

 と聞いた。黙って頷く僕を見て、ヨシダさんは歩きながら話し始めた。

「禁足地ってのは、何で入っちゃ駄目なんだと思う? 入ると穢れるから、入ると出られないから、みんなそう言うわな。俺もそう思ってた」

「違うの?」

「いや、間違っちゃいねえ。そういう場所もある。だがココは違う」

「じゃ何なの?」

「ココはな、穢れを呼び寄せる場所だ。ココに居ると穢れるんじゃなく、穢れたものが自然とココに集まってくる。いわば魂の吹き溜まりってヤツだ」

「魂の吹き溜まり……?」

「そ」

「あの祠は」

「おそらくソイツが本体なんだろ。で、ココに縛られた魂を供養してるのが、さっきのお地蔵さんってわけだ」

「いま見た首吊り死体も……」

「そ」

「寄りによってあんなところで死んでなくても良さそうなもんだけどなあ」

 僕は思わず愚痴をこぼしたが、ヨシダさんがそれをすかさず拾い上げて言う。

「ああ、あの社長はあんなとこで死んでねえよ」

「は?」

「言ったろ、ココの社長が教えてくれたって」

「え、でもそれは」

「ああ生きてる時にちゃんと聞いたさ。で、首吊ったのが三日後だ。もっとも発見された時には五日経ってたけど」

「はああ!?」

「ヤクザな会社ってのもホントでな。借金背負わされてしっぽ切られたのよ」

「……」

「元々どうしようもないオヤジだったみてえだけどな。この森ン中で見つかった時には、とっくにくたばってたそうだ」

「やっぱりココで死んでたんじゃん」

「ああ。だけどお前が見たのは違う。あれは、あの社長がこの土地の穢れに呑まれて行く瞬間だったのかも知れねえな」

 話しながら歩く僕たちの前に、さっきのお地蔵様が見えてきた。ペンライトが照らした石で出来た菩薩は静かに穏やかに佇んでいた。

「あの社長が首吊ったのはな、あのお地蔵さんの真裏だ」

「ああ……」

 如何にも最近へし折れました! と言わんばかりに、大きめの枝が無残にも折れている。誰にも見つからず、居なくなっても気づかれず、ロクに探しもされず。

 文字通り、この世の中から宙ぶらりんで浮いていた男の末路。

 あの唸り声の集団は、この森の中で永遠に彷徨いながら、また次の穢れた魂を待ち続けて居るのかも知れない。そんな場所に呼ばれても居ないのに踏み込んだ僕は、残念ながら今でもこうしてコレを書いているくらいには元気だ。だけど、ヨシダさんは……。


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