その14 「東京夜走老婆」
蒲田駅前からほど近い、とある居酒屋。座敷に上がってビールと食事を注文して、上機嫌のヨシダさんにいつものように怪談をせがんだ。
「ヨシダさん! なんか怖い話、ないの?」
サッポロの大ジョッキに残ったビールを飲み干し、ヨシダさんは小さくゲップをしてニヤリと笑うと、ぽつぽつ話し始めた。
あれはな、俺が東京に出てきたばかりの頃だ。俺が最初にタクシーの運ちゃんをやったのが実は東京でよ。知ってのとおりバツイチになってだ。あそこ(豊橋)に居てもしかたねーなー、なんて思って。で一人暮らしでタクシーやってた。景気良かったぜ~。お客も色んな奴がいたけど、どいつもこいつも今(2006年当時)じゃ考えられないような羽振りの良さだったな。まあ、それはいいや。
で、ある時、あれはどこだったかな。真夜中にお客を乗せて走ってた。ごーーっと調子よく走っててさ。夜中で空いてるし、お客も後ろでスーピー寝ちまって静かなモンだった。
こーりゃいいや、なんて思ってたら……200メートルぐらい先の左側の路肩に妙なモンが見えんだ。あっという間に通り過ぎて見たのは一瞬だけだったんだがな、ありゃ、確かに婆さんだった。腰の曲がった白髪の。な。おっかしいな~ヘンなもん見間違えたかな~って思ってさ、まあ気にせず走ってたんだ。そのうちお客の言ってた目印の建物が見えて、そこの駐車場に入ろうとしたら……目の前をスーーッと横切った。さっきの婆さんが。駐車場の白い灯りでハッキリ見た。ボロボロの着物を着てガリガリに痩せてて、皺くちゃで目玉がぎょろっとした婆さんだった。ハッ! と思ったら、もう消えちまってた。
それからお客を降ろした所まではなんとも無かったんだよ。営業所に戻ろうとして、さっき来た道を戻ってたんだけどな、繁華街のある通りに出て、交差点で信号待ちをしてた。 夜中だってのに随分人が居るんだな。誰か乗ってくんねーかな、なんて思ってたら、居たんだよ。人ごみの中に。
さっきの婆さんが。
ぎょろっとした目玉でハッキリとこっち見て、ニターっと笑ってやがるんだ。ヤバイ! と思ったら信号が変わってて、しょうがないから早いとこ帰っちまおうと思って走り出した。
1キロも走んないうちに、バックミラーにおかしなものが映ってんのに気が付いた。街灯が後ろへ流れてくたび、それがさっきの婆さんだってわかんだよ。何度も見間違いだって思っても、おかしいと思っても、確かに婆さんが追っかけてきてるんだ。
時速50キロだぜ、追いつけっこねえよな。でも、ピターッと後ろをつけてくるんだ。そのうち100メートルぐらい前で信号が赤になった。当然停まるわな。婆さんは付いて来てる。どんどん距離が縮まってくんだ。200メートル、100、50、20……もうすぐそこまで近づいてきてる!
うわーー!
と思ったら信号が変わった。そのまま急発進して、80キロぐらいでカッ飛ばしたんだ。
捕まったり事故しなくて良かったよ。そのまま逃げ切っちまおうと思った。まーた赤信号。イヤんなったな。もう怖くて後ろなんか向けねーし。じーーっと信号だけ見てたよ。 でも、ちょっとだけ。気になるんだよな(笑)わかるだろ?
思い切って後ろ振り向いたんだ。居なかったよ。
ちょうど真後ろに街灯があったんだが、婆さんどころか車も何も来てなかった。繁華街を抜け切って人も車もまばらでな。そんで、そろそろ信号が変わるかな、と前を向いた。
運転席の真横に婆さんが立ってた。追いつかれてたんだ、とっくに。いや、窓のほう向いたわけじゃない。前向いてても目の端に入ってくるんだ。歯がカチカチ鳴ってた。震えちまったんだ。両足もカクカクしちまってよ。婆さんは恨めしそうに、こっちをジーーッと見てる。そうこうしてたら信号が変わったもんだから、どうにかアクセルを踏んで走り出した。横目に婆さんがスーッと流れていく……んだと思ったら、ずっと居るんだ。目の端に。運転席の真横にピタっとくっ付いてくる。
うわうわうわ、うわーーっって、もうパニックだよ。
営業所までまだ随分あるんだけど、怖くて走れなくてさ。でも停まるわけにもいかないだろ? そのうち消えてくれると思って、そのまましばらく走ってた。なるべく横を見ないようにしてな。何度目かの信号待ちで、また停まった。見るな、見るなと思ってたけど、青信号で発進する時にふと右側を見ちまった。
危うく、全然違う生きた婆さんをハネる所だったよ。その婆さん信号見てなくて、俺の前にフラッと出てきたんだ。 咄嗟に停まって事なきを得たんだけどな。
それから例の婆さんはパタっと消えた。もうどこにも出なかった。最初に見てから1時間以上追い回されたぜ。営業所に帰って車を見ても、特に異常も無かったし。
でもよ、今になって思うんだよ。あの婆さんは恐らく、何か事故に遭って亡くなった。 それで道連れを探してるんじゃなかったんだろうか、ってな。
今でも目玉がぎょろっと飛び出して、ニタニタ笑った婆さんが道路わきで狙っているかも知れんぜ。次の道連れをな。




