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タクシー運転手のヨシダさん  作者: 佐野和哉
タクシー運転手のヨシダさん
13/41

その13 「四ツ指トンネル」

「で夜中にそのトンネルを通るとよ、フロントガラスに手形がビッシリついてたって話」

「げえーーっ!」

「しかもその白い手形の中に、極まれに四本指の手形が一つだけ混じっててな」

「……」

「他の手形は放っときゃ数日で消えるらしいんだけど、四本指のだけは」

「……」

「何をしても絶対に落ちないし取れないんだと」

「うっへぇ……。でもヨシダさん、なんだって夜道でそんな話すんのさ」

「で、ココがそのトンネルだ」

 勘弁してくれよ。


 その夜、僕とヨシダさんが向かった先は、某所の山奥にある旧道のトンネルだった。街灯もない峠道をクネクネと登りきると、車一台やっと通れるぐらいの暗闇がぽっかりと姿を現す。

 通称「四ツ指トンネル」

 由来は冒頭の会話であった通り、車の窓ガラスにつくと言われる手形から来ているのだろう。車を道路わきに停めて、外に出てみる。

 ざわざわざわざわざわわ……。

 強い風が吹いて真っ黒な木立が一斉に揺れる。トンネル内に灯りはなく、スカイラインのヘッドライトだけが入り口付近を煌々と照らしている。しばらく付近を見渡して、振り向くとヨシダさんが居ない。いつの間にか愛車のハンドルをしっかり握って、僕にも早く乗れ! と言わんばかりに乱暴な手招きをしていた。渋々乗り込んで助手席のドアをばたんと閉めると同時にスカイラインが緩やかに動き出す。

 トンネルの中をゆっくりゆっくり進んでいく。ライトで照らす内壁や足元に、特に変わったところはない。乾いたエンジンの音が真っ暗なトンネルにゴロゴロと響いて、それが何重にも跳ね返って聞こえてくる。ちょうど真ん中まで来たころだろうか。ヨシダさんが急に車を停めてエンジンを切った。

「どしたの?」

「なーんか、聞こえないか」

 ヨシダさんは小声で言うと、目を凝らして前を見た。

「?」

 僕もつられて前を見る。と。

 ポタン。


 ペタン。


 ボタッ。

 車の屋根に何かが落ちてきている。

 水滴か何かだろうか。しかしそれにしては多くないか。


 ポタンポタン。

 ペタンパタン。

 ポタンポタンポタポタポタパタン。

 ペタンポタンペタペタパタパタペトペトンパタ。

 パタパタポトポトボトボトボトボトバタバタバタバタ!

 !!?

 初めはまるで雨だれのように屋根を打つ音だけだったのが、トランクやボンネット、窓ガラスに至るまでが、ペタペタポタポタと音を立てている。急いでエンジンをかけたヨシダさんがグォンとアクセルを踏みこんだ。そしてトンネルを抜けると、木々の隙間からするどく差し込んだ青白い月の光が、フロントガラスいっぱいに張り付いた無数の白い手形を映し出した。

 言葉を失う僕とヨシダさん。

 助手席のシートに張り付くようにしてなんとか正気を保っていた僕に、ヨシダさんが声をかける。

「オイこれじゃ前が見えねーよ。……拭いてきて」

 そう言って白い布切れを差し出すと、僕に手渡した。

 鬼! 悪魔! バカヤロー! ひとでなしい! と思いつく限りの罵声を浴びせながら車を飛び出し、真っ暗な山道で、しかもさっき怪現象が起きたばかりのトンネルを背にフロントガラスを乱暴に拭きまくった。本当は怖かったので、誤魔化すためにひたすら怒鳴ってた。


 来た道を引き返すわけにもいかず……そのまま峠を下りた僕たちは、なるべく明るくて交通量が多い道路で大回りしながらヨシダさんのアパートに帰りつくとテレビを点け、なおも脳裏にこびりつく恐怖を誤魔化そうと買い置きのカップ麺や冷凍ピザなどを食べながらとりとめのない話を続けた。それでも疲れと安心感からか次第に眠たくなり、僕はいつの間にか寝入ってしまったようだった。


 そして夜明けを迎えた。

「オイ、起きろ!」

 ヨシダさんが小声で怒鳴りながら僕の太ももを蹴っている。何度目かのローキックを浴び、のっそりと起き出した僕を洗面所に連れて行くと……ひとこと

「当たりだ」

 鏡のやや右上の真ん中あたりに、か細い4本指の白い手形がクッキリと残されていた。その瞬間に眠気もイラつきも吹き飛んだ僕だったが、かわりに不安と恐怖が同時に背筋を駆け上ってきて、とりあえず鏡に水をぶっ掛けてタオルでこすってみた。拭いても拭いても、流しても流しても、4本指の手形が消えない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう!!

「カズヤよせ! やめろ!」

「でもコレ、どうしよう!?」

「いいからやめろ! ちょっと出かけるぞ」

 ヨシダさんは僕の腕を引っ掴むと、玄関に向かって歩き出した。節くれ立った指が二の腕に食い込んで酷く痛んだ。そのまま靴を履いてスカイラインに乗り込むと、ヨシダさんはどこかに電話をかけている。

 そして大きくて立派なお寺に着いたときにはすっかりと夜が明けていた。駐車場に車を停めて境内へ入ると朝靄の中にお坊さんが立っていて、簡単に挨拶を済ませると早速お寺の中へ案内された。どうやらヨシダさんとは面識があるらしく、Jさんと呼ばれるお坊さんは60歳ぐらいで、スッキリした体つきだが不思議な迫力を纏っている感じだった。


「ああ、これは、大変なものを、連れてきて、しまいましたね」

 Jさんは優しく言った。

「佐野君と、言いましたね。君は大丈夫だから、向こうで、休んでいなさい」

 別室に案内されると、畳の上に座布団が置いてあった。暖かい部屋で最初は座って待っていたのだけれど、段々眠気がぶり返してきて。どうにも我慢ができず、眠ってしまう事にした。

 どのぐらい眠っただろうか。目が覚めると、Jさんが枕元に座っていた。

「あ、すみません寝てしまって」

「良いのですよ。お疲れだったでしょう」

「ええ……。それより、ヨシダさんは?」

「今日は、お会いにならない方が、いいでしょう。彼に付いてきた者は、ちょっと、良くないものですから」


 Jさんから聞いた話は、僕の想像をはるかに超えていた。明治よりさらに前。この辺りには小さな集落が幾つもあり、このお寺はその周辺のまつりごとなんかをやっていたらしい。そして、ある年の夏。村の庄屋宅に当時の住職が呼ばれて駆けつけると、そこにはこの世のものとは思えないほど醜い赤ん坊が産声を上げていた。手足はいびつに折れ曲がり、二つともズレた場所で傷口のように赤々と開いた目玉から涙をこぼし、耳が片方しか付いていなかったと言う。かろうじてぶら下がっていた器官でこの子が男の子だという事だけはわかった。村のものは祟りだ呪いだと口々に騒ぎ立てたが、住職は冷静に、このような者が生まれてしまう原因は二つと考えた。しかし、一つは先天的なもので仕方がないとしても……二つ目の理由をその場で言う事は出来なかった。村の皆も薄々感づいてはいたのだ。

 Jさんの話では、その後この子供は八つまで生きたと言う。人の子として名付けられることもなく、土蔵に閉じ込めて粗末な食事を与えられるだけで、とうとう一度として外に出されず、真っ白にやせ細った挙げ句の衰弱死だった。言葉も話せず、恐らくは目も耳も不自由なまま。

 その子が亡くなった後、土蔵の壁や床には彼が這いずり回ったであろう手形が無数に刻まれていた。そして当時の住民は知ったのだ。彼の右手には、指が4本しか生えていなかったことを。

 その後、集落があった辺りは小さな町になり、トンネルが開通。以後は静かにゆっくりと発展をしてきたのだが……何時の頃からか、あの旧トンネルでの奇妙な噂が流れるようになったという。

 しかし、今まで誰一人として、手形が家の中まで入ってきたものは居なかった。だからJさんも困ってしまったのだ。

 ヨシダさんはしばらくお寺に通い、どうにか「彼の手」から逃れる事ができたようだった。不思議なことに「彼の手」の呪縛から解かれると、部屋中に広がった無数の手形までもが跡形もなく消えたと言う。


 しかし僕が一番驚いたのは、ヨシダさんがそのまま例のアパートでしばらく暮らしていた事だった。やっぱりフツーじゃないな、この人。

 と、改めて思ったのでありました。




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