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タクシー運転手のヨシダさん  作者: 佐野和哉
タクシー運転手のヨシダさん
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その12 「廃校であった怖い話」

 春も間近だというのに肌寒い夜のこと。僕とヨシダさんは深夜営業のファミレスに居た。とにかく人の居る場所に逃げ込みたくて、さっきから薄くて粉っぽいコーヒーをすすっている。言葉が出なかった。今までにない恐怖と罪悪感がじっとりと心を染み出して、窓の外を時折通り過ぎる車のライトをぼんやり見送るばかりだった。


 その日向かったのは、某所にある廃校だった。平成のはじめ頃に閉鎖となったままの建物だという。それだけならわざわざ、それも真夜中に忍び込むことはなかったのだが、実はとんでもない「曰くつき」の廃墟だった。

 ヨシダさんの古いスカイラインを飛ばして目的地に着いたのが午後21時過ぎ。白く吐き出した息に懐中電灯がひと筋。荒れ放題のグラウンドに車を停めて、正面玄関に向かった。

 木造の旧校舎に鉄筋コンクリートの新校舎が屋根つきの渡り廊下で繋がっている。僕たちが入ったのは新校舎側からだった。乱暴にガラス戸が取り払われたカビ臭い玄関には空っぽの下駄箱が無数に並んでいる。床には泥やゴミが散らばり、T字の突き当りから廊下が左右に伸びている。

 ヨシダさんは迷わず右手に向かっていった。問題の現場はどうやらこの奥。案の定、木造2階建ての旧校舎のほうにあるらしい。


 新校舎の中に入っても、ヨシダさんは途中にある教室やトイレなどには目もくれずにずんずん進んでいった。古くなって剥がれ落ちた掲示物なんかは、明るいうちに見たらさぞ懐かしかったりするんだろう。転がったままのサッカーボール。誰のものかわからない書道用具。懐中電灯が次々照らすこれらの小道具が、暗闇の廃校舎をより一層恐ろしい場所にしているような気がした。新旧の校舎を結ぶ渡り廊下は新校舎裏手の湿っぽそうな裏庭にコンクリートの通路とトタン屋根があるだけの簡素なものだった。 ヨシダさんがどこからか調べてきた情報によれば、新校舎完成後、旧校舎は特別教室などとして使われてきたと言う。家庭科室とか理科室とか言うアレだ。

 実は新校舎完成前にある事件が起こり、それから数年間、現場では奇怪な現象が続発。生徒や教員が体調を崩したり、何人もの生徒が同時に怪異を目撃する事もあった。その為かどうかは定かでないが、その後すぐに新校舎が建った。だが旧校舎の現場は収まる事もなく、未だに立ち入るものに不可解な現象を起こすと言う。

 薄気味の悪い噂はこの校舎が廃校になった後も広がり続け、本日このよき日に2名の愚か者がわざわざ尋ねてくるような盛況ぶりだというわけであった。


 渡り廊下を進んだ先に旧校舎への入り口がぽっかりと開いていた。どうやら随分前の先客がドアを壊して行ったらしく、辺りには割れたまま古びたガラスの破片や、ドアのものと見られる木片なども散らばっていた。恐ろしいのと焦りと嫌な予感。それを振り払うためにわざと大きな声で話し続けていた僕とヨシダさんだったけど、流石に入り口まで来て黙り込んでしまった。

 怖すぎる。今までのどんな場所よりも段違いに怖かった。ココは洒落にならない!僕は何度もヨシダさんを説得するけど、頑として聞き入れられず。一人で戻ってスカイラインで待つ度胸もなかったために、渋々ついて行く事にした。

「ヨシダさん、やべーよ、帰ろうよ!」

「ああ?じゃ車で待ってろ」

「いやいや、そうじゃなくて」

「じゃあーなんだよ」

「……」

 埒が明かなかった。木造校舎の中はカビ臭さも不気味さも足元の危なっかしさもかなりのものだった。一歩歩くたびにミシッ、ミシッと床が軋み、吹き抜けていく風の音、窓ガラスが一斉に揺れる音の中、真っ暗闇をたった二つの懐中電灯でゆっくりと照らして行く。犬か猫が入り込んでいるのだろう。鼻を突くアンモニアの臭いが渦巻くこの廊下の奥が、例の現場だった。それは決して開けられる事の無い様にされた物置だった。引き戸には頑丈な木材が打たれ、幾重にもロープが張られている。異様な光景だった。なぜ、山奥の廃校の物置が、これほど厳重に閉ざされているのか。

 しかし、そんな事にもお構い無しにずいずいと近寄り、懐中電灯でアチコチ照らしているヨシダさんは、時折ふむふむと頷きながら辺りを存分に見渡し

「おお、ココだ」

 と事もなげに言う。

「こ、ここが何の場所なの?」

 聞きたくなかったが、聞いてしまった。

「むかーしなあ。この物置で女の子が閉じ込められたんだ」

「う、うん」

「その女の子はいじめられっ子だった。毎日毎日色々されてたんだ。で、この日。閉じ込めた側がそれを忘れて帰っちまった」

「げっ……。それで?」

「女の子は助けを求める事も出来ないまま放置された。またこの子の両親が異常に厳しいというか、ちょっとアレだったらしくてな」

「……」

「悲観した女の子は、真夜中この中で」

「……」


「首を吊った」


 心底嫌な話を聞いた。

「その後どうなったの?」

「いじめっ子は全員、テヨこの物置に近寄る事も出来なかったってよ。そして、アケ放課後にこの扉の前に立つと、この扉の向こう側から、アケテ、アケテヨ、って声が聞こえんだと」

 ?

 今、何か聞こえた? 思わずヨシダさんをじっと見ると、どうやらヨシダさんにも聞こえたらしい。

「おいカズヤ、アケおいでなすったアケテぞ」

「ど、どどうすんのアケテヨさ!」

「静かにしろ」

 トン……トントン……

(ひっ!)

 思わず声にならない悲鳴を上げてしまった。物置のドアを、誰かが向こう側から弱弱しく叩いている…。

 トン……

 アケテヨ……

 トントン……

 アケテ……アケテヨ……

 そして、一瞬の静寂のち。


 ドン!!


 今にも消えそうなノックの音が、突如として強烈なパンチに豹変した。

 ドンドンドンドン!!

 ドンドンドン!

 ドンドンドンドンドンドン!!

 乱れ打ちだ。打ち付けられた木材もロープも弾け飛ばんばかりに激しい音を立てて揺れている。

「逃げろ!!」

「よ、ヨシダさ」

「振り向くな、カズヤ!」

 二人して無我夢中で走った。廊下に転がった椅子や机も当たるを幸いなぎ倒し、旧校舎を飛び出すとそのまま新校舎も駆け抜けた。懐中電灯の光が二つ、ぐるぐるとでたらめに宙を舞う。気の狂った巨大な蛍のように。窓の外は月明かり。大きな月が出ていた。青白い、砂だらけの大きな口をぽかんと開けたグラウンド。すっかり冷えたスカイラインに飛び込むと、ヨシダさんはエンジンをうならせて山道をカッ飛ばした。

 僕は恐怖のあまり、ダッシュボードの下に頭を伏せて震えていた。

「よし、カズヤ。もう大丈夫だ」

「?」

「お前気が付かなかったのか」

 この期に及んでちょっとプライドが残っていた僕はカチンときて

「わ、わかったよ! あの子、物置から出たがってて」

「バカ! なんもわかってないじゃないか!」

「え!? だってあの時俺にも」

「聞こえたのか?」

「うん、聞こえた」

「あの子は、とっくに物置から出てきてたぞ」

「は?」

「お前の右肩にしがみ付いてな。口から血まみれの舌べらが垂れてて、目ン玉の飛び出した三つ編みの女の子だったよ」


 そして、震えが止まらなくなった僕のために、やっとこ見つけたファミレスで温かいコーヒーをご馳走してくれたヨシダさんだったのだ。僕にはなんの気配も、感触も、感じなかった。ただただ音と声にビビりまくっていた。 だけど落ち着いてくると同時に、粉々になった自尊心がまたもや鎌首をもたげてきた。

「ね、ねえヨシダさん、さっきの話、ホントぉ?」

「なに?」

「だって、本当にそんなものが俺に」「るせえ!根性なし!」

「なっ、そもそもこんな目にあったのは」

「だったら暗くても怖くても先に一人で戻りゃよかっただろうよ」

「ごめんなさい」

 すっかり意気消沈した僕がせめてものチョコレートパフェで胃袋を癒したあとで、俺とヨシダさんはスカイラインに乗り込んだ。

(ん?)

「ヨシダさん、何コレ?」

 助手席に、小さな黄色いものが置いてある。こんなものさっきまでなかったはず。

「おいカズヤ、それ……」

 名札だ。名前が書いてあった。ボロボロに擦り切れて、どうにか読めるか読めないかというぐらいだったけど、たぶんあの子の物だろう。やっぱり付いて来て居たんだ。

 翌日、お寺に名札を持っていこうと思っていたら、どこにも見当たらなかった。座席の下やアチコチ探したけど結局出てこなかった。

 ただその後数日の間、僕がどこかに一人でいると、誰かがドアをノックする音が小さく聞こえ続けていた。

 トントン。

 トントン。と。

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