八十話 斬花狂い咲き
切り結ぶ、切り結ぶ。決して焦らず、一撃、一撃。フランシスの斧が空を裂いて、何度もフィルマへと向かって飛ぶ。
凄まじい数の剣戟が交わされ、火花が散る。フランシスは、ほんのわずかに、しかし確かに、フィルマを押し返し初めていた。息を吸う間もないような連撃に、フィルマが対応仕切れなくなってきていたのだ。段々と汗を浮かべながら、致命の一撃を受け流すフィルマを、フランシスは観察し続けた。
無論、フランシスにも余裕はない。最低限致命傷を与えられる程度の威力に抑え、両手の斧をひるがえしているのだから、無論筋肉の疲労も尋常ではない。
アルドと戦った時以来の激しい筋肉疲労の、引きつるような痛みが、フランシスを断続的に襲い続ける。だが、それを悟らせないように、鬼気迫る表情でフランシスは斧を振り回し続ける。
時折反撃で飛んでくる剣閃を見切りきれず、何度か刃がフランシスの首を掠る。鋭い刃だ。高品質な曲剣は、縄で吊るされた肉を切断するほどの切れ味を持っているのだから、フランシスの生身程度切り裂けない筈はない。
その鋭さ故に痛みが後にこそ引かないものの、張り詰めた糸が切れたような突然の鮮烈な痛みは、フランシスをして苦悶の顔を浮かばせる様なものだ。
「フランシス、君は何故戦う」
後ろへと跳び退いてフランシスの猛攻から逃れたフィルマは、フランシスに語りかけた。フランシスはそれにしばらく答えようとはしなかったが、斧を握り直す拍子にふと口を開いた。
「これ以上、俺と同じような人間が生まれないように」
それは、己の境遇と重なる人間を産み出さないため。天涯孤独な人間は自分だけで十分だと考えていたからだ。しかし、それだけではない。
フランシスは、自分が戦いに喜びに似たなにかを感じていることを、今日だけは否定しなかった。心のどこかにいるフランシスの"鬼"が、戦いを望んでいる事を。
戦う内、己の目的、目標すらも見失う。そんな人間が、これ以上生まれて欲しくなかったのも大きかった。
不意に彼は、一歩大きく踏み込んで、二本の斧を高く振りかぶった。フランシスの腕がぶれるより先に、フィルマがその軌道上に刃を置いて逸らす。
しかし、フランシスは刃同士が接触する瞬間、もう一歩力強く踏み込んだ。予想外の力の加わりに、フィルマが加減を間違う。そうして、ほんのわずか。ほんのわずかだけ、フランシスの斧がフィルマの鎧を打った。
「お前こそ、何故戦う」
フランシスは、反撃の蹴りと斬撃を受け止めながら問い返した。彼に口を開く余裕はあまりなかったが、それでも彼としては問わなければならなかった。
どうしてフィルマは、こんなに戦うのだろうか。始めから、ずっと疑問ではあったのだ。何故戦うのか。フィルマの動きは、迷いある人間のそれではない。しかし、フィルマがいったような、世界への憎悪を募らせた人間の、力任せのそれでもない。
であれば、フィルマは何故戦っているのか。目を細めたフランシスに向かって、フィルマは言葉の変わりに刃を突き出した。すんでのところでフランシスの斧に弾かれ、それらが鎧の隙間に突き立てられる事はなかった。
「どうしてか。どうしてだろうな。家族を奪い去った世界が、憎い。友人を消し去った世界を、壊してやりたい。だが、それだけじゃないような気もする」
フランシスの猛攻が終わり、今度はフィルマによる刃の乱舞が放たれる番である。二振りの曲剣から放たれる無数の斬撃、刺突は、いつぞやのメルディゴよりも密度が高い。荒れ狂う様な力の暴風と、狂い咲く死華。少なくとも、フランシスが傭兵として戦った誰よりも実力も才能もあるのだろう。
防戦一方に押し込まれながらも、フランシスも負けてはいない。何撃目かわからない程に打ち込まれ、無数の刀傷を体に刻み込まれながらも、致命傷だけは絶対に受けない。かつ、一瞬にも満たないような隙間を縫って、反撃も行う。
少なくとも戦士として、世界でもトップクラスに入る二人の死合いだ。残像すら追えぬ攻撃も幾つか混じっている様なその斬撃を放つフィルマ、それを掻い潜り、あまつさえ反撃すら入れるフランシス。
一進一退、どちらも一手も迷わない。迷えば死ぬ。目の前の敵を見て、互いが直感的に感じているからだ。
「あぁ、フランシス。一つだけわかっている事がある」
言うが早いか、フィルマは無数の斬撃を一瞬停止させ、電光石火の速度で左手の曲剣をフランシスの首へと突き出した。ただ殺す、その為だけに全力を注がれた刺突だ。不意打ちかつ、目にも止まらぬ速さで突き出されたそれを前に、フランシスは一瞬距離を見誤った。
「――お前のような偽善者が嫌いだ、ということがな」
口だけでそう呟いたフィルマを最後に、フランシスの命が終わる――直前、突き立てられようとした刃に矢が直撃した。
強い衝撃に、フィルマは驚いて飛び退いた。矢が飛んできた方向を見やれば、そこには一人の老人が立っていた。左腕だけが一回り大きく、目は見開かれている。弓を放った直後のその出で立ちは、正に神弓射ち――"鷹の目"と呼ばれるにふさわしかった。
「団長殿。いささか遅くなりましたが、はせ参じましたぞ」
「助かる」
裏口に回してあった百二十の兵達と、その指揮を執るよう指示した、ノールであった。




