七十八話 二人の鬼、視線の刃
フランシスが街に乗り出すと、まず敵兵の駐屯場所へと団員を送り、待機させた。街の四隅へ固まったフィルマ達の駐屯部隊は、それぞれが六十五程度となる。合計二百六十程だ。
送ったのは大聖堂に近い方の二つ。少なくともそこを潰せば、いかな合図があろうと、すぐさま駆けつける事はできない。遠い方の二つも、駐屯部隊を潰した後の者達に足止めしてもらう手はずとなっている。
フランシスは、残りの二百五十をつれて、大聖堂へと侵入する役目だ。約、四百四十名の敵と戦う事になる。二倍近い数となれば、やはり少しばかりは緊張はある。フランシスにすら。
大聖堂の扉の前へと立ったフランシスは、白く神聖なそれを、勢い良く開け放った。そこに、遠慮はないように見えた。開いた扉へ、フランシス率いる表口からの侵入部隊が駆け込んだ。
地面が大理石で作られた白亜の聖殿を、土足で踏みにじる男達。響く足音が、聖堂の入り口を満たして行く。しかし、踏み込んだ彼らをあざ笑うかのように、敵の姿はなかった。
まるで、誘い込まれたかのような空気に、見誤ったかと一瞬考えた。だが、一向に敵は現れず、フランシス達百二十五名近くは、ゆっくりと歩き出した。地図を確認しながら、フィルマがいるであろうそこ――神へと祈りを捧げる場所、祭壇の間へと。
複雑怪奇な通路をくぐり抜けて行く。荘厳さに縁取られたそこは、しかし不気味に静まり返り、ただ圧迫感と張り詰めた緊張だけをフランシス達に強いた。
天使の羽らしき彫刻の成された壁を左へ曲がり、絵の飾られた廊下を駆け抜ける。極度の恐怖と緊張、そして焦りの中、フランシスの歩みが止まることはない。地図を見ながら、アルラが示したルートを辿れば、祭壇はもうすぐの筈である。
今、自分は怖いか? フランシスは決して足を止めないままに、走りながら考えた。前の様に手が震えることもなく、やはり、答えが返ってくる様ななかった。
しかし、片手斧を握る手に、よりいっそうの力が加わっている。フランシスにすら分からない部分で、やはり怖がっているのだろう。その顔はひどく強張っていて、いつもとは違う。
祭壇が近づくにつれ、フランシス達の足は速まってゆく。大理石の床に不規則な音を立てて、進む。限りなく神聖なはずのそこが、ひどく空虚で不気味に感じる。フランシスは先を急ぎ、躊躇することなく祭壇の存在する部屋へと踊りこんだ。
光が、その場に差している。色ガラスを通過することで光はさまざまな色へと変わり、床材の大理石へと美しい光景を作り出す。光を取り込むための小窓が真白な光を通して、天使の羽のごとく光を撒き散らしている。
まるで天国の光景の様なそれら。その光景を踏み荒らして、フランシスが前に出る。
煌く光の絵画の上に立つ二人は、お互いにどこか似た者同士であった。
「久しぶり、と言った方がいいかな、フランシス。いや、"黒金剛"」
「そうだな。随分久しい再開になるか、"死神"」
互いに武器を抜かず、久しい旧友にでも会ったかのように声を発す。しかしその間には、険悪な空気が漂っている。フランシスは腰のベルトに吊るした二本の斧に手を掛けながら、その男をジッと見つめた。
黒い髪はフランシスの物よりもやや長く、夜の様な静かな艶が見える。目は何かを悲観しているかのように細められており、まぶたの隙間、髪と同じ色の黒い瞳が見える。声はやや高めで、まるで青年の様にも聞こえた。
一目で質が良いと分かる皮鎧に包まれた体は、しなやかな筋肉が全身に張り巡らされている。ベルトに吊るされた二本の曲剣のどちらも鞘がなく、危うげな刃の光を放つ。
その姿、声、雰囲気に至るまで。そのすべてが、フランシスがかつて恐怖した、フィルマ・ニックルホーンそのままであった。血にこそ塗れておらずとも、今すぐにでも刃を抜き放てる、そんな気配は前と変わらない。
見つめ合う二人の鬼が、暫時、沈黙する。
「変わりないようだな」
フランシスがそういいながら、吊るした二本の斧を抜き放つ。フィルマは、フランシスの手に握られて鈍く光を反射した斧を、剣を抜く事もなく見つめた。
再び、沈黙が場を支配した。祭壇の間の中、無音の視線が交差する。しばし経ってから、薄らと怖気の走る様な微笑を浮かべたフィルマが、そっと曲剣に手を掛けて声を発した。
「いいや。色々と変わる事があったさ」
言うが早いか、フィルマは目に求まらぬ速さで曲剣を引き抜いた。手に握られた二本のそれは、フランシスの方へと向けられている。
「例えるなら、そう。これは、憎悪だ。前、唯殺していただけの頃とは違う、明確な殺意を抱いた」
誰に。フランシスは、掠れた声で問いかけた。フィルマは、その軽薄な笑みを更に深くして、染み込ませる様に、深く息を吐いた。
「ハァー……この世界の全ての物にさ、フランシス。君にも分かるだろう?」
その言葉に対し、彼は一言も発さず、静かに腰を落として二本の斧を構えた。その顔に、慈悲の二文字はない。
フィルマもそれに答える様に僅かに重心を下げ、笑みを消した。構えられた曲剣は、今にも全てを切り裂きそうな威圧感を放っていた。
「――鉄鬼傭兵団が長にして、"黒金剛"、フランシス」
「白蜥蜴傭兵団が長にして、"死神"フィルマ・ニックルホーン」
名乗りがあって、一瞬。殺気の篭った視線が交差し、そうして。
「いざ――ッ!」
どちらとも知れぬ掛け声を始まりとして、二つの集団がぶつかり合った。




