七十六話 勝ち取る物
一週間はフランシスが思うよりも早く過ぎた。今は、七日目の深夜である。
縦横無尽に武器を振るう。模擬用の長柄斧が空を裂き、風を巻き込んでゴウンと鳴る。馬鹿げた怪力で振り回されるそれは、お世辞にも華麗とはいえない。それは、ただ単純に人を殺すために洗練された力であるからだ。不意にフランシスの腕から力が抜け、長柄斧が下ろされた。
そうして、フランシスは自分の手を見つめた。その手は、明らかに震えている。
怖いのか? 彼は己に問い掛けるように、手を見つめ続けた。無論、答えが返ってくる筈もない。ただ、震え続けるだけだ。
ふう、と大きく息を吐いて、長柄斧を握り直した。ギシリと音が鳴ってしまうほどに力を入れて震えをごまかした。空に向けて、振る。
心を研ぎ澄まして、フランシスは目の前の空間に向けて踏み込む。その空間には、無論何もいない。致命の一撃が風を薙ぐばかりだ。フランシスは何か考える様にしながら、再び踏み込んだ。ズン、と重低音が鳴り、追従するように風が唸った。
振り切られた斧、それらのすべてが命を簡単に奪い去る一撃である。どんな攻撃も一撃必殺の気合で放つのがフランシスである。しかし、その刃は、普段よりもずっと衰えている。刃は震え、一閃は酷くおぼつかない。
さっきからずっとその調子であり、諦めたようにしてフランシスはまた大きくため息をついて座りこんだ。
明日が決戦だというのに、どうしてこんな状態なのだろう。はぁ、と白い息を、自分の手に向けて放った。震え、怯えている暇などないというのに。どうしてこの手は、肝心な時に動いてくれないのだろう? フランシスは歯をかみ締めた。
「お前は怖いんだ。いったい何が怖い?」
フランシスは、自分に言い聞かせる様にして呟いた。それは、自分の中の何かに問う様でもある。
フィルマ・ニックルホーンと相対することか? 否。フランシスにとって、戦いは恐れる物ではない。では死か? それも、否。死は確かにフランシスにも恐ろしいものである。しかし、それすらも、フランシスは打ち砕きえる物であると考えている。では、何か。
フランシスの中に、その答えはある。恐らくそれは、フィルマ・ニックルホーンにも答えられるものだ。
それは、"居場所の喪失"に他ならない。
「……皮肉だな」
例えば、一般的な村人や市民らであれば、その居場所は自らの家庭にある。それらの為に働き、汗を流すのだ。その汗が、結果的に国家の為にも流れている。
では、フランシスやフィルマ、かつて倒したメルディゴ達にとって。つまり、帰属する場所のない根無し草にとって。それも、戦いの日々を送り、様々な感覚のおかしくなった者達の居場所とは、どこか? それは、戦場に他ならないのだ。
戦争を嫌悪するフランシスにとっての居場所ですら、戦場にある。
どれだけ戦いを嫌い、それらの終結を迎えさせようと行動しても、結局彼の居場所は、最初の位置からかけらも変わらないのだ。当事者であるフランシスをして、皮肉と言わざるを得ない。
「そうか。……戦場が消えてしまう事が、怖かったんだな」
ぼそりと落ちた独り言が、雪に紛れて消える。自分の居場所が、どこにもなくなってしまう事が怖かった。それが、自分の憎悪する物である事に、フランシスは酷く驚愕していたのだ。
振返ればそこに、仲間達がいた。死んでいった戦友達がいた。守った命が立っていた。それが居場所なのだと、フランシスは思っていた。しかし、それが空虚なものであったのだろうか。それらを例えば、自らが戦場に立つ理由としてしか見ていなかったのだとしたら。それは。
大きく息を吸って、フランシスは思考を中断した。そうして、再び斧を振る。
それは何時もと違い、技術もへったくれもないような、ただの振り回しだ。ごうんごうんと轟音を伴って振り回された長柄斧に、フランシスの培ってきた様々な力は乗っていない。ただ、愚直なばかりの振り回しだ。
何かを振り切るようにして、力任せに斧をふる。
今まで進んできた道は、紛れもなくフランシス自身の道だ。故に、それを断ずることも、彼自身でなければできない。フランシスは、平和を理想として戦い続けた日々の全てをまやかしだとは思いたくなかった。
歩んで来た道に、後悔だけはしたくなかった。何もかもを振り払う為に、フランシスは長柄斧を天高く振り上げた。
「オオォ――ッ!」
――今までを投げすてて、これからを考えるために、頭を空にする必要があった。
認めたくはなくとも、自らの居場所をその手で打ち砕く事は、フランシスをしても恐ろしい。だが、居場所は、勝ち取る事のできるものだ。いつだって戦ってきたフランシスにとって、それらはそう難しいことd
フランシスは、己の勝ち取るべき居場所を見据えて、斧を振り下ろした。辺りの雪を吹き飛ばし、地面を抉り、轟音を響かせた模擬用の長柄斧の刃に、ピキリとひびが入った。あまりにも乱暴に加えられた力に耐えかねたのだ。
「俺は……平和を、未来永劫続く日常を、掴み取って見せる」
それしかないんだ、と呟いたフランシスは、くるりと踵を返した。




