七十三話 狩人の道
イグルーの中で、アルラは地図を広げ、凍ってしまったインクを火にかざして溶かし、そのインクがまた凍らないうちにと素早くペンを地図の上へ走らせた。
様々な地形が描かれた地図に丸と線が追加され、円には現在地点、線には経路と書かれている。やや西北西へと延びた後、北へと向かう線は、聖エンパイアの名前へと繋がっている。このまま街道に出るかと考えていたフランシスは、山の間を進むような経路に首を傾げた。
「街道には出ないのか?」
「あまり長く居られないとなると、通らなければならない関所は邪魔に過ぎる。どう考えても通過できない上、戦闘も下手を打てば起こりうる」
致命的だ、とアルラは呟き、山脈を迂回する道に×マークも記した。三人で、その地図を覗き込みながら、それ以外の案も幾つか提示する。
だが、山脈の間を抜けて行く案以上の名案は浮かばない。体力の消耗や寒さの問題を加算しても、最も早く、かつ戦闘の可能性もほぼないのは、アルラの案以外なかった。しかし、この三百を超える大人数で山脈を――その間とはいえ――突破するのは、あまりにもきびしい。
やれない事はない。だが、安全かと問われれば、首を傾げざるを得ない。フランシスは目を瞑って、その案をさまざまな面から見定めた。ハイリスク、ハイリターン。人の命と、戦乱の世を、天秤にかける。
そこに、アルラが不意に口を開いた。それは、息抜きをかねた雑談であったのだろう。
「それにしても、イグルーがあって良かった。恐らくは、かつて北方に存在していたとされる狩猟民族の物と思うが、こうして地図を広げられる場所を確保出来た事は幸運だった」
そうだな、とフランシスが頷く。彼としても、この悪天候と地面の状態の悪さで、休める場所も見当たらなかった中、宿泊できる場所が見つかったのは行幸であった。休める場所があるだけで、随分違うものだな、と呟く。そこで、ん? とフランシスは首を傾げた。
昔の人間の事はわからない。だが何故、山の間――それも、山と道の境にある様なこの針葉樹林の近くを、宿泊可能な場所にした? 臨時の休憩所とするなら、道の方で十分である。そこまで思考して、フランシスはハッとノールの方へ振り向いた。
同じことを考えていたであろうノールは、フランシスの視線に気付き、頷く。その様子に、アルラが不思議そうに小首を傾げた。
「団長殿。体も温まりました故、私は少しばかり探索に赴きます」
「俺も手伝おう。突破口の探索は一人ではつらいだろう」
かたじけない、と呟いたノールと共に、フランシスはイグルーを飛び出した。後には、地図を前に首を傾げたアルラだけが残された。
途中で雑談していたケンドリックを引きつれ、幹部三人は周辺の探索に勤しんだ。雪の積もった針葉樹林は薄ら寒かったが、それらを気にせず、一心不乱に何かを探して回る。
十分に休憩の取れた者達が訝しげにそれを見、次にノールの声でその探索に加わる。団の四分の一程があっという間に集まり、雪で飾り付けられた針葉樹林はあっという間に人で溢れ返り、何かを慎重に探している様であった。
そんな中、ケンドリックが何名かの者達と大声を上げた。
「見つけました! 見つけました! ノールさん、団長、こちらです!」
声に反応したフランシスが、雪を蹴り飛ばす様にして駆け出した。巨体が高速で迫って来る様は、正面から見れば相当な迫力があるだろう。ノールは上っていた枝から飛び降り、フランシスと併走した。
二人がケンドリックの元へと到着すると、そこには確かに"道"が存在していた。
明確な石畳などではないそれは、しかし確かに枝を短くなっている様な、人間が通りやすい様に加工された、自然の中の人工の道である。雪は踏み固められた跡があり、枝は本来の長さより短い。何らかの加工が施されていると見て良かった。
ノールがやはりか、と呟いた。ノールが育ての親である旅人に教わった山や森の事の中に、それは含まれていた。言うなれば、"猟師の道"である。
猟師は獲物を探さなければならない。その為には当たり前のように、森を闊歩する必要がある。だが、人間の足は自由に森を歩き回れる様にできていない。となれば、人間が有史からやって来た様に、環境を変えて行く他なかった。
枝を切り、そこにある薬品を塗りつけると、切った枝がそれ以上長くならないのだという。そして周りの草を、獣が不審がらない程度に刈り取れば、狩人の為の道ができる。
狩猟民族がここで過ごしていたのは、ここで狩りを行っていたからであろう。生肉は寒冷地帯でも早く傷む。あまり遠くだと、その分肉で腹を痛めたり、死にかける事もあったのだろう。だから、森に近いこの場所を選んだのだ。
アルラは気づかなかったようだが、それも仕方ない。歩く事が困難な森の、それも狩人の知識だ。その為、あまり文献には記されなかったのである。
少しばかり細いが、その道を中心に進めば何とかならない事もない。馬車はどうするかという話だが、荷車だけを引かせて、馬車は迂回路を遠回りしてもらう事とした。馬車と御者、その中身だけであれば衣類や食料のみであり、関所は越えられると判断した。
それらは予備であり、食料と衣類は荷車に載せられる分で十分である。不測の事態には対応できないが、これで行くしかない。
こうして、突破口を発見したフランシス達は、昼を過ぎるまでに休憩と準備を終わらせ、鉄鬼傭兵団は歩き始めた。その先に、教国は佇んでいる。




