七十一話 不味いエールの約束に乾杯
パートマデットで食糧等の補給を済ませ、人員の募集の後。鉄鬼傭兵団は、やや東方面へと進む。その先には、鉄鬼傭兵団始まりの町、ポート・パティマスが存在している。
懐かしくなったわけではない。多少はそういった所がフランシスにもあったかもしれないが、これは戦力補充の目的があってのことである。ついでに、久しぶりにバラトカに会えれば――。フランシスは頭を横に振った。
それが目的ではないのだ。早く行かなければ。久々に見た港町は、不思議とパンの柔らかな香りが漂っていた。
多くの魚が釣られて市場に出され、それをわれ先にと奪い合う者達。声を張り上げ、近くを行く若者へと装飾品の類を売りつけようとする商人。以前見たときと然程変わらない賑やかさは、外の戦乱の気配を知らないかのような、気楽さに溢れていた。
そんな中、鉄鬼傭兵団は、ここで一時休憩とした。移動に継ぐ移動により、溜まっていた疲れを抜こうとフランシスが提案したのである。大層喜んだ団員らは、自らの給金を手に町へと繰り出した。贅沢を出来るのは、これが最後になるかもしれない。そんな思いが彼らの中にあったのであろう。
フランシスは、黙々と衛兵の詰め所へと向かった。バラトカは路地裏で見ただけであったので、実際にバラトカがどの辺りを巡回しているのかはフランシスにはわからない。ただ、衛兵の詰め所にいけば、所在ぐらいはわかるだろうと思ったのだ。
カコン、カコン。石畳を打って、ブーツが軽やかな音を立てる。フランシスの耳に、吟遊詩人の歌が遠く聞こえている。
それは、栄光を掴まんとして地の底へと潜った英雄の物語。
――あぁ、いざ。最果ての地に、我が名を刻まん。
声高々に叫んだ剛力の英雄は、しかし。潜った洞窟の果ての果て。金銀財宝を手に入れ、全てを得た男は、それ以上を求めた。更に深き深淵の地へと臨み……そして、二度と戻ってくる事は無かった。欲を掻いてはならない、そんな教訓の歌がフランシスの耳へと入る。
何やら、無謀だ、やめろと言われているような。ベルロンドの平和で満足しておけばいいのに、世界の平和を祈るが故に戦いへと臨む自分のようだと。そう、馬鹿にされている様な気がして。フランシスは僅かばかり嫌になった。
さっさとその場を歩き去ったフランシスの背に、歌が届く事はない。その後に紡がれた、平和賛歌の歌声は。
「失敗すれば――戦争になると思う」
場末の酒場。フランシスは、薄汚れた天井を何気なしに見上げながら呟いた。
世界から隔絶された、そんな感覚を覚えるそこは。ごろつきと日雇いの労働者と、日々に疲れた者達が入り浸っていて、お世辞にも上品とはいいがたい。飛んできたジョッキを手の甲で弾きながら、フランシスは尚も続ける。その会話を気にする者はいない。
「その時、この町がどうなるかは、わからない。王国軍でも、どうにもできない数が来る可能性も、ないとは言えない」
それを隣り合った席で聞くのは、衛兵バラトカ。正確には、衛兵長バラトカ。早風団の一件の貢献が認められ、昇格したという話を、フランシスは聞いた。
しかし、昇格したとはいえ、一衛兵長にすぎないバラトカには荷が重い話である。日の犯罪検挙数と給料の上下で一喜一憂する身としては、世界の命運など雲の上の話であったのだ。
「何故それを、俺に?」
そんな言葉をこぼしながら、バラトカは安物の麦酒を呷った。嚥下したぬるい麦酒は、妙にくどい味をしていた。少なくとも、うまいと言える類のものではない。
フランシスも同じものを呷った。そして酷い味の麦酒だと呻きながら、さあな、とはき捨てた。フランシス自身にすら、何故バラトカに伝えたのか分からない。ただ、そんな衝動に駆られただけだ。枯れたような赤髪をぐしゃぐしゃとかき回して、バラトカはため息を吐く。
「もしかしたら……誰かに、伝えたかっただけかも知れん。何にせよ、そう深い意味はない……と、思う。すまんな、つき合わせて」
「そうか。……まぁ、誰だってそんな時がある。気にしなくていい」
もう一度すまんな、と呟いて、フランシスはジョッキの奥底に残った濁った麦酒を飲み干した。本当にまずいなと、思わず漏れた。バラトカはそうだろう、と笑った。これが、仕事終わりにはうまいんだな、と続けた。
暗がりのバーで、フランシスは再び酒を二つ注文した。今度は、もう少し高い、うまいエールだった。再び、ジョッキで運ばれてきた麦酒の片方を、ずい、とバラトカに差し出した。
バラトカは暫時、受け取るか迷っていたが、麦酒を受け取った。先ほどの物より少しばかり澄んだそれは、明らかにバラトカが普段飲む物ではない。
「俺に、何かあったら。……彼らを頼みたい。図々しい願いだとは、分かっているが……」
そんなフランシスの様子に、バラトカは敢えて何も問わず、できる限りでな、と返した。
杯を交し合った二人は、乾杯の掛け声と同時に、ジョッキを叩き合わせた。なみなみと注がれたエールが揺れて、二人の約束を確固たる物だと祝福しているようでもあった。




