七十話 怯え
その後、フランシスとイェルサは当たり障りのない会話をして、別れた。別れ際に健闘を祈りあったが、互いに意味は違ったのであろう。
フランシスはイェルサの、そして銅傭兵団の変わらぬ健闘を祈り。イェルサは、フランシスの闘いがせめて無意味にならない事を祈ったのである。互いの祈りが通じるかは、それこそ神のみぞしるというもの。どちらかが死のうが、二人は戦士である。親しい死には、比較的慣れていた。
手持ち無沙汰に、ぶらりぶらりとフランシスは町中をさまよい歩いた。胸の中で何時もよりも激しく渦巻く戦いへの不安を、どうにかできないかと模索しているかの様であった。結局、不安は不安のまま、フランシスは仮設の天幕へと戻った。
そこではケンドリックが手持ち無沙汰に模擬槍を振って鍛練を行っていた。ノールもアルラも、文字や数字の読解が可能なため、一人それができないケンドリックにはそれ以外にやることが無かったのである。
戻ってきた団長に、ケンドリックは鍛練を中止し、頭を軽く下げて挨拶した。フランシスはそれを見て、まばたき三回分ほど考えた末に、木製の模擬斧を手に取った。
「ケンドリック。俺で良ければ、鍛練に付き合おう」
「え。いいんですか? 是非!」
元気そうにして槍を構え直したケンドリックと、片手斧を大上段に構えたフランシス。丸盾は、顔の前よりやや下へと構えている。
その構えは天誅の構えと言い、一撃受けて返すと言う、単純かつ明解なカウンター特化の構えである。
互いの間隙に一瞬、静寂が走ってから。シッ、と鋭く息を吐いてケンドリックは槍を突き出した。狙いは足や腹、フランシスの防御が――僅かとはいえ――薄くなっている部分である。天誅の構えは、顔、心臓の辺りの防御を強くするカウンターの構え故に、自然と下半身回りの防御は薄くなる。
だがフランシスは、突きこまれた模擬槍をひょいとかわすと、その槍の柄を脇で挟み込んだ。がっちりと抑えられたそれは、並大抵の力ではねのけられるものではない。それが分かっているケンドリックは、一瞬、逡巡するように顔を歪めた。
瞬間、音もなくケンドリックが半歩下がり、石突を跳ね上げた。下から顎を刈り取るようにして放たれた石突は、正に拘束された時の最適解である。短槍だからこそできる芸当だ。穂先よりもずっと軽い石突は、フランシスの顎を刈り取る――前に、フランシスが下から来たそれを足で押さえつけた。
それと同時、ズン、と強く踏み込んだフランシス。電光石火、ケンドリックが槍を手放して防御するよりも早く、腰だめから振りぬかれた木製の模擬斧がケンドリックの眼前へと迫り、とまった。
「もう少しばかりすばやく引き戻すべきだな。それと、石突で攻撃するならフェイントを入れるか、動きに緩急ををつけた方がいい」
「……あっさりいいますけど、俺の突き込みをこうもあっさりと封じ込めたのは団長だけですよ」
そういいながら、ケンドリックはフランシスから開放された槍を訝しげに見た。無論そこに何が付いている訳でもなく、傷がついている訳でもない。しかし、フランシスの剛力で挟まれたともなれば、下手すれば折れている。
フランシスが加減を間違える事はないだろうと思ってはいても、そこは気になってしまうケンドリックであった。しかし、不意にケンドリックが頭を上げ、フランシスの顔を見た。
「所で、どうかしたんですか? 団長。顔、青いですよ」
そんな声に、反射的に顔に手を当てたフランシス。無論、触れただけで何がわかる訳でもない。顔から手を離しながら、そうか? と聞いたフランシスに、ケンドリックがええ、と返答している。
青年の目から見たフランシスの顔は、何時もとは違い、覇気の薄い顔であった。昔の事を思い出しているフランシスは何時もそんな顔である。しかし、今回ばかりは少し違ったのだ。
普段回想する時は、優しく目を瞑り、懐かしむような顔色をしている。たまに悲しそうな顔もする。思い出したように、軽く笑ったりもするのだ。
だが、今回は、完全に青ざめた顔をしていた。フランシスの健康的な肌色で分かりづらいが、フランシスの顔色が悪い事は顕著に現れている。たとえばそれは、化け物から逃げてきた人間の顔。憔悴しきっているその顔は、まるで過去からの亡霊に怯えているようでもあったのである。
「……そうだな。死への恐怖を、少しばかり思い出した。そんな感じだ」
大きく息が吐き出され、フランシスは空を見上げた。雲一つ視界内に存在しない、快晴を絵に描いたかのごとき蒼穹が広がっていた。
「団長でもあるんですね、そういう事が」
「何時だってそうだ。俺は、一時たりとも死が怖くないと思ったことはない」
フランシスのそんな、素直な一言に、ケンドリックは何かを考えるように目をふせた。しかしその目は、直ぐにフランシスに向き直って、水と汗拭き用の布持ってきますねと言って走り去った。
次なる戦いを、自分は生き残る事ができるのか。彼は目を瞑って考える。そうでなくとも、自分に付き合ってくれる者達だけは死なせる訳にはいかない。ハァ、とため息ひとつ吐いて、フランシスは脳裏にへばりついた化け物の残像を吹き消した。
フランシスの中で既に、戦いは始まっている。しかし、勝てる見込みは――未だ、なかった。
2017/9/06 サブタイトルを変更しました




