六十七話 戦術家の昔話
「私は……。最初に会ったあの日、ある種の家出をしていたんだ」
アルラはどこか困ったような顔のまま、自分のことを語り始めた。こんな時に何を、と思わない訳ではなかったが、アルラにも何か事情があるのだと、フランシスはそのまま聞く事にした。最初に会ったあの日、というと。懐かしき、港町ポート・パティマスにいたころの話だろう。まだ鉄鬼傭兵団の名もついていなかった頃である。
随分懐かしくなる話だが、あの時、アルラが宿に乗り込んで来たのはまだ鮮烈な記憶として残っている。
「まぁ……分かりやすかったと思うが、私は貴族の家の出だ。アルラも偽名でな」
「ぎ、偽名だったのか……」
フランシス達と最初に出会った時着ていた、いかにも高貴、高級と言った灰色のローブ。あれは、平民や平民上がりの商人、またはその娘が着る類の物ではない。装飾は少なく質素とは言っても、相当の高級品であるのだろう。始めから只者ではないとは知っていた。
偽名も、恐らくはそうなんだろうとはフランシスも思っていた。さすがに、これだけ高貴な出を匂わせる格好で、貴族の証である苗字がない筈がないと。傭兵等の一部には、箔をつける為、苗字を名乗るものもいるが、その反対はない。
ケンドリックは気付いていなかった様で驚愕しているが、フランシスもノールも前から気付いていた。と言うよりは、少し考えれば分かる事ではあるのだが。
「私の本当の名は、セレネ・F・ヘーレイオスという。……あぁ、面倒だから、これからもアルラと呼んでくれ」
フランシスはその名前に――正確には、ヘーレイオスの名に聞き覚えがあった。
侯爵位に位置するその家は、戦術家、戦略家の名門だ。幾多の名戦術家を産出してきており、フランシスも一度それらの指揮する部隊に出会い、隊が撤退を余儀なくされる事があった。
その血を継ぐ者となれば、アルラの尋常ではない戦術の才覚も頷けると言うものである。フランシスは納得したが、しかしそれ以上に疑問も抱いた。
「なるほど。しかし、何ゆえ出奔など? 良ければ、お聞きしたく」
同じ疑問を抱いていたらしいノールが、その疑問を口に出した。少なくとも不自由はなく、女性蔑視の傾向も顕著では無かった筈だ。となれば、何があったのかという疑問に辿りつくのはそう難しい事ではなかった。
アルラは何かを振り切るように、数度頭を振った後、おもむろに口を開いた。
「まぁ、私は女だから、ヘーレイオス家の分家の率いる部隊、その戦術家の補佐になった。女の身ゆえというのは歯痒かったが、仕方のない事と諦めたさ。せめて、補佐の仕事をしっかりとこなそうと思った」
しかし、と続けたアルラは、その後自分が配属された部隊がどんな物であったかを淡々と語った。
分家の男は、正直にいって、傲慢かつ無能な男であったという。早速とばかりに配属された部隊でも、数少ない女性部隊員にやりたい放題であったらしい。そんな奴の配下にいるのははらわたが煮えくり返る様な思いであったが、それでも何とか我慢していたのだと言う。
そうして訪れた初陣、盗賊討伐は大敗。こちらの提案も聞かずに、分家の男は伏兵も確認せず突撃。従うしかなかった隊は突撃を敢行し、部隊は横合いからきた伏兵に攻撃され半壊。撤退の指揮はアルラが無理矢理制御した為にそれ以上の被害は無かったが、結果四十の兵を失うという大損害であった。
しかし、戦場より屋敷へと戻って来た貴族の男が真っ先に放った言葉は、お前のせいだぞ、だったそうだ。そこで、アルラのそう長くない堪忍袋の緒が切れたらしい。
「自分の責任ぐらい、わからないでどうする!」
そう叱り付けると同時、鋭い蹴りを男に炸裂させた。どこに当てたかは、言うまでもないだろう。男が悶絶している内に、アルラはさっさと逃げ出してしまったらしい。アルラにしては、珍しく短慮な行いであった。本人も、もう少し上手くやれた筈だと頭を横に振っていた。
誰にでも感情の昂ぶりというものは存在し、それ故の失敗もある。フランシスは過ぎた事だと言って、続きを促した。
屋敷を飛び出たアルラは、残っていた手持ち金で、乗合馬車にのり、その町から逃走。いくつかの町を経由してポート・パティマスに付いたという。
「ともかく、当座の生活を何とかしなければと思ったとき、フランシス達が戦術家を求めているという話を聞いたんだ」
無論アルラはその貴族によって指名手配されていたが、手配書はまだポート・パティマスの所まで届いていなかった。ポート・パティマスをすぐに離れると聞いて、こんな幸運があるかと、鉄鬼傭兵団の参謀はこうして仲間に加わる事となったのである。
「まぁ、そうした紆余曲折があって、今私はここにいる」
昔話を話終え、アルラはもう一度顔を上げた。その瞳には、ケンドリック、ノール、そしてフランシスの顔が映っている。
「どちらにせよ、ここ以外に居場所も無ければ……あんがい、ここは居心地がいい。さんざ声を荒げた身だが、団長が行くというのであれば、参謀が行かない訳にもいくまい?」
それは暗に、色々いったが、フランシスが断固として行くと言うのであれば私も行こう、という意思表示であった。フランシスは、素直じゃないな、と笑った。
どちらにせよ、無謀な戦いには変わりない。それでも、戦うしかない。気を引き締めた四人は、改めて今後の予定について話し合った。




