六十二話 迷い断ち切り
結局、どうすればよかったのか分からないまま、フランシスはフューレの元を離れた。彼女自身も引き止める様な事はなかったが、フランシスにもそれが良い事ではないのはわかっていた。
ただ、街の復興はまだ遠く、盗賊も蔓延っている。鉄鬼傭兵団の仕事はまだ山ほどにあり、歩みを止める訳にはいかなかった。彼は彼なりに悩んで、苦悩の末、そこを離れたのである。言い訳に過ぎないのもフランシスにはわかっていて、何も考えないように彼は仕事に没頭した。
二月経って、街の復興度は二割程度と言うべきか。辛うじて衛兵隊の再組織も完了し、治安も若干の安定を見せ始めている。とはいっても、まだまだ引ったくりやスリ、強盗の類は減らず、街の混乱は後一年は続くだろうとフランシスは考えた。
そうして次の手伝いは、と思考を巡らせた時、にわかに周囲がざわりとしたのを感じ、フランシスは顔を上げる。目の前の人だかりは何か、と首を傾げ、その中心の怒声に気づく。
「くそっ! どけ! どけよ!」
男の声だ。そして、刃物で風を切る音や、人ごみが慌てて動く音もする。その更に後ろから、女らしき悲鳴の声も。どうやら、また賊らしい、とフランシスは考えた。
はたして、人ごみを割って出てきたのは、いかにも破落戸といった風貌の男。手に短剣を握り締め、もう片手に盗んだものであろう鞄もあった。人殺しをしかねない形相で、遮二無二短剣を振り回しながらフランシスの方へまっすぐ向かって来ていた。
「どけよ!」
進行経路にいることが明らかでありながら、欠片も動こうとしないフランシスに、男が短剣を振りかざしてどくように脅す。しかし、フランシスはそれを冷たく見据えるばかりで、やはり動こうとはしなかった。
焦れた男がとうとうその短剣を振り下ろそうとしたが、その前にフランシスの足払いが決まる。極自然な動作でうつ伏せに転がされた男は、そのまま短剣を握っていた腕をひねりあげられ、悲鳴を上げた。フランシスは手を伸ばし、盗んだ物であろう鞄を、駆け寄ってきた女性に向かって差し出した。
「す、すいません! ありがとうございます、助かりました!」
深々と頭を下げた女に対し、フランシスは頭を上げてくれるよういいながら、その女性を軽く一瞥する。その女性は、白を基調とした涼しげな衣装よりも、髪飾りとしてつけているその聖印の方が強く主張していた。これは、教会に身を置いている者の特徴であった。
「まぁ、困ったときはお互い様だろう。気にするな」
「そういってもらえると助かります。……あ! そういえば、子供を見かけなかったでしょうか?」
衛兵がごろつきの男を捕縛して連行し、人ごみが安堵したような雰囲気でゆっくりと解散して行く中、女性がフランシスに向かって容姿を説明した。肩に届く程度の長さの栗毛色の髪をしていて、パッチリとした綺麗な目の少女だという。
フランシスが知る限りでは、一人該当する少女がいる。ただ、今しがた彼女の元を去ったばかりであった。
「もしかして、だが……。その少女、フューレといったりはしないか」
シスターは驚いた様な顔をしてから、そうです、その子です、と肯定した。
「フューレなら先ほど見たが」
「本当ですか!? あの子、昨日から帰っていなくて!」
その言葉に、今度はフランシスが驚いた。顔を正面から見つめる事はなかったが、まさか帰っていないとは思わなかったのである。シスターはそのまま場所を問い詰めようとしたが、フランシスがまずはシスターが何処の人間なのか問い、孤児院のものだと言う返答を受けた。
「それで、一体何処に? 迎えに行かなければ!」
「あ、すまない、それなんだが……」
フランシスは自分が迎えにいきたいのだが、いってもよいか、という旨を伝えた。シスターははい? と首をかしげた。
何度か仲間へも話している事だが、フランシスは故郷が滅ぼされたという過去がある。
その頃の事は、今でも思い出すのは簡単であった。街に向かいながらも、呆然としていて。あまりに唐突に一人にされ、頼れる人間もおらず、孤独さに苛まれながら日々を過ごしていたことを。まるで、昨日の事の様に思い出せる。
一人になって。否、本当に一人になってからわかる事だ。独りの寂しさ、息苦しさと言うものは。久しく忘れていたそれ、孤独感。幼きフューレも恐らく、同じ境遇にいるのだろう。フランシスは己の迷いと、弱さに、大きくため息を吐いた。
何がしてやれるかは分からないが、だからと言って逃げていい訳ではない。フランシスにとって、それは過去からの逃亡であり、少女を見殺しにするのと大して変わりはしなかった。先程は逃げた。どうすればいいか分からないという免罪符で。
だからこそフランシスは、先の話で踏ん切りがついたのである。今度こそ、逃げないと。
「俺は一度逃げた。最低な事をした。二度目の逃げは許されない。俺は、あの子に向き合わなければ」
フランシスが苦渋の表情でそう言うと、シスターはしばらく悩んだ様子で沈黙していたが、しばらく後、ゆっくりと口を開いた。
「分かりました。他でもない、鉄鬼傭兵団の団長さんですし。でも、絶対に連れて来てくださいね」
彼は、このときばかりは、神に感謝する事を忘れなかった。軽く頭を下げてシスターへ礼を言うと、フランシスは走り出した。




