六十話 焼失、燃える暁
怒り狂ったアルセオの攻撃を、捌く、捌く、捌く。
袈裟懸け切りを盾で弾き、横薙ぎの一撃を斧の刃で逸らし、何度も何度も打ち付けられる盾を避け、受ける。冷静さを失った力任せの乱打を受け続けるのは、フランシスにとって苦ではない。全てが致命の一撃になりうるとはいえ、フランシスと力勝負を行うことそのものが間違いだ。
冷ややかな目を向け続けるフランシスが傷を負う事は一切ない。逆に、振りかぶられた斧により、アルセオの肌に次々と傷がついてゆく。冷静さを失うというのは、合理的行動を取れなくなると言う事と同義である。
己のプライドが傷つけられた事が原因であろうが、自分の利点を潰すような戦い方となれば、フランシスにも攻撃の機会程度いくらでもある。
狂ったように打ち付けられる刃に、先程の技量は感じられない。ただ、目の前の相手を潰すという殺意と、自分の必殺の剣というプライドを砕かれた憎悪ばかりが満ちている。無論、それだけでフランシスは倒せない。
むしろ、そういった手合いに対して強いのがフランシスという男である。無数の経験、弛まぬ鍛錬、そして揺るがぬ決意の下に培われた実力は、到底、憎悪と殺意に駆られたアルセオではかなわないのである。
怒号とともに、アルセオがまたも上段から一閃。致命の一撃を振りかざす。
しかし、フランシスはその一撃にも慌てる事無く、裏拳の要領で振りかざされた盾が小剣を弾き飛ばした。強く横にそれた剣に引っ張られるかのように、アルセオの防御が剥がれる。
フランシスはがら空きの腹部へと、全力で斧を叩き込んだ。腰の捻りと、己が豪腕を最大に行使した、必殺の一撃である。下手をすれば胴体と下半身が永遠の別れを告げかねない。無論、そんな状態になれば即死である。
しかし、アルセオの鎖かたびらの質が良かったのか、凄惨な光景になるような事態にはならなかった。その代わり、フランシスの渾身の一撃を受けた胃から、無理矢理に胃液が排出され、ツンと刺すような臭いが部屋に充満したが。
満身創痍と言った様子でえずくアルセオを、フランシスは容赦なく足蹴にした。無抵抗な体は遠慮の無い蹴りで倒れ、自らの吐き出した吐瀉物の中に崩れ落ちた。
「が……ぐ、ぇ……」
反抗するような気力もなく、アルセオは腹を抑えてのた打ち回る。その姿に、フランシスが入室した時の、ある種の優雅さは欠片も存在しない。
フランシスは、もがき苦しむアルセオの前に座り込み、その隻眼で見つめた。胃の中の物を吐き出しながらも、恨めしげな目でフランシスを睨み付けた。だが、すぐに自分を見つめるぞっとするほどに冷めた瞳に、アルセオはしり込みする事となる。
「お、お前……僕にこんなこと、うぇ、していいと思ってるのか!?」
「誰が誰に行おうと、罪は罪だ」
じっと、フランシスの碧い隻眼が、アルセオを射抜く。その瞳は断罪の色を含み、斧を握る拳がギシリと音を立てた。雰囲気はまさに、断頭台にいる二人と言った具合だろうか。
「お前に爵位があるからと言って、人を殺していい事にはならない。お前が強くても、罪を犯していいわけじゃあない」
フランシスは、淡々と事実を説明するように述べて行く。語られるそれは、フランシスの持論であるが、世間一般の価値観とそう乖離したものではない。
「一体、何人戯れに殺した? 十か? 百か? 千か?」
「ぃ……ッ!?」
言い募りながら、フランシスはアルセオの喉を踏みつけた。体重を余りかけず、完全に潰してしまう事のないよう、しかし遠慮も容赦もなくぐりぐりと踏みつけた。息ができず、アルセオは体ごと捻って逃げ出そうとするが、絶妙な力で抑えられ、それはかなわない。
もとより、渾身の一撃を受け、散々胃の中を吐き出し、弱りきったアルセオに、フランシスの拘束を抜け出すような力は残っていなかった。
「ぁ……ぅ……。た、すけ……!」
縋るような声色で、必死に声を絞り出したアルセオ。その願いを、しかしフランシスは、頭を左右に振って否定した。顔色は無機質で、全く何も感じていないような。そんな顔のままであった。
「残念ながら、お前は罪を犯し過ぎた。俺は、そこまでお人よしじゃない」
首に掛けた足に、よりいっそうの力を加え、フランシスが声を発した。その声に許しは微塵も感じられず、アルセオは絶望したようにああ、とうめいた。
いざ斧を振り下ろさんとしたフランシスは、ふと、笑い声を耳にした。不気味な程に響いたその声の発生源は、自らの足元――つまり、アルセオからだった。喉に押し付けた足を気にせず、アルセオは狂った様に笑い出した。
「ハ、ハハ、ハハハッ! ヒヒ、フフヒヒヘハハハハッ! お前なんて、僕らの団長が一ひねりだ! ここで僕を倒しても、白蜥蜴団は終わらない! 不滅の団に栄光を! 不滅の我らに栄光を! アハ、ハ、ハハハハ――ッ!」
目の焦点は合っておらず、言葉も脈絡がない。唐突に笑い出したアルセオに困惑を隠せないながらも、とどめをさそうと斧を振り上げたフランシス。しかし、なんの前兆もなく、アルセオが倒れていた部分の床が崩落しとどめを刺す事はできなかった。
そして、抜け落ちた床の穴から、一気に噴出す熱気。階下は炎が轟々と燃えさかり、家を焼き崩さんとしていた。それを見たフランシスは、慌てて部屋についていた窓を突き破りながら、遺骸を回収できなかった名も知らぬ誰かへと侘びた。
そうして着地し、外へ逃げ出していた仲間達と共に、燃え盛るリベリオ邸を呆然と眺めていた。夜明け、暁のぼんやりとした光の中、アルセオの狂った様な笑いだけが延々と響いていた。
お読みいただき、ありがとうございました。三章はここで終章となります。
次章が最終章になります。どうぞ、もう少しばかり、お付き合いいただければと思います。




