五十九話 剣の舞いを見破りて
フランシスはチャンスをうかがう為に、アルセオが後退する隙を狙って構えを変更した。もっと腰を低く、丸盾で上半身を覆えるようにやや猫背。斧はほとんど握っているだけと言った風に体に密着させた。防御偏重、意地でも倒されないと言った構えだ。フランシスはこれを、"石壁の構え"と教わった。
こうなると、アルセオに攻撃の手はない。フランシスはその圧倒的攻撃力が目立ちがちであるが、剛力にものを言わせた重装備の防御力は十分に脅威なのである。先程の攻撃も、鎧と鎖かたびらの隙間を縫うように切ってこそ届いたのだから。
その、ほんのわずかな抜け穴すら盾で封じられてしまえば、フランシスへダメージを与えるのは難しくなる。防御を引き剥がし、その上でダメージを与える手段を、アルセオはほとんど持ち合わせていなかった。
それでも、自分の体力を消耗しすぎない程度に、何度も攻撃を重ねて行く。見ただけでは分からない、分厚い防御の隙間も、何度も接近すれば分かるものである。一撃、二撃と更に重ね、三撃目が防御を貫通する。またしても、フランシスの肌を、刃が滑った。
しかし、フランシスの防御は破られる事を知らないかのように揺るがない。アルセオも、焦らずに何度も軽傷を与え続ける。定点を攻撃し続けるだけの技量があるアルセオにとって、それは楽な事であった。
逆に、フランシスもただ攻撃を受けてばかりではない。軽傷を負う度に防御方を僅かに変え、アルセオの攻撃が苛烈になるほどに受けも的確になっていった。
アルセオはじっくりと自分の体力が削られているような気がして、ぞわりと怖気だった。未知の恐怖がゆっくりとアルセオの思考を覆ってゆく。更に一撃、一撃と重ね、フランシスの防御を何発かは貫通してダメージを与えてはいる。
だが、フランシスがまいる様子が、全く想像できなかったのである。異常な程の自信過剰であるアルセオが、このままでは自分の体力が削りきられる、と思ってしまう程には。
フランシスの防御は、その構えの名の様に、鉄壁という言葉は似合わない。なぜなら、突破口があるからだ。そもそも、凧型盾ならまだしも、フランシスの持つ円盾ではどうやっても全身を守るきる事はできない。鉄壁の防御を持とうとするなら、凧型盾か、塔盾を装備するべきだ。
つまり、それは圧倒的防御力の差で生まれたものではない。フランシス自身の、不屈の肉体と精神から来る物だ。
「くそ……ッ! 生意気なんだよ、平民の癖によォッ!」
アルセオは、一手を焦った。
バネが収縮するように、足を曲げたアルセオ。僅か、まばたき一回にも満たない時間に行われたそれを、フランシスは見逃さなかった。瞬間、バネが開放されるように、アルセオの体が滑る様にフランシスへ向かって飛び出す。
しかし、それを一歩先に読んでいたフランシスは、構えを崩して一歩下がった。開いた間合いの分だけ剣が空を切って、アルセオが体勢を崩した。宙を舞い、一本の矢の様に伸びていた体は、自然と重力に引っ張られ落下をはじめる。
その鳩尾へと、フランシスの鋭い蹴りが炸裂する。爆発音かと聞き間違う程の衝撃音が、アルセオの肉体から響き、強制的に肺から息が吐き出される声がした。
「カッ……ハ――ッ!?」
だが、体に激痛が走っていても、アルセオは追撃を許すことはなかった。あらぬ方向へ吹き飛ばされそうになる体を、地面に手をつき、ほとんど人間離れした動きで体勢を立て直したのである。アルセオはそのままフランシスから距離をとると、片手で腹部を押さえ、嗚咽を漏らしながらフランシスをにらみつけた。
「お、前ェ!」
「なるほどな」
アルセオの上げた怒号にも動じず、フランシスは確認でもするかのように気軽な声で静かに呟いた。
自然な動作で石壁の構えを解いたフランシスは、そのままアルセオへと斧を突きつけるような構えを取る。本来なら剣でやる構えであるが、片手斧に応用できないこともなかった。盾は先ほどと逆に、自分の体に密着させる。
"決闘の構え"と呼ばれるそれは、儀式的な意味合いも含めた、正に真っ向勝負用の構えである。最低限の防御、どう来ても攻撃を返せる、攻撃へと重きを置いた構えである。
アルセオの弱点――直線的攻撃しか行えないこと、そして、射程範囲ギリギリの攻撃を避けられると、体勢が崩れること。フランシスはそれを、見抜く事に成功した。
恐らく、という枕詞はつくが、アルセオが一定範囲から近づくことも離れる事もしなかったのは、その攻撃の射程範囲より近くても遠くても、自分の体勢が崩れてしまうためであろう。フランシスは一度にそこまで思考した。
アルセオの動き始めは見えずとも、予備動作であればフランシスにも捉える事はできる。であれば、フランシスにとって、それに合わせて回避行動を行う事はたやすい。
「"血剣"、見破ったり」
静かにそう言い放ったフランシスの笑みに、アルセオは、嗚咽混じりの絶叫で応えた。




