五十八話 血を流し尚笑う鬼
薔薇の花びらが舞うかのごとく、小剣が閃く。
アルセオの基本戦法は、攻撃して離れるを繰り返す一撃離脱だ。初歩的戦法ながら、時折混ぜてくる盾による殴打や、蹴りは強烈かつ避け辛く、フランシスは防戦一方に押し込まれている。
対するフランシスは、アルセオとは正反対の超接近戦型である。相手の懐へ飛び込み、強引に防御を引き剥がし、回避を許さず致命打を叩き込むというのが基本のスタンス。であるために、一撃を入れた後すぐさま攻撃圏内から離脱してしまうアルセオとの相性は、最悪に近いと言えた。
またもや、小剣が閃いた。アルセオは先ほどから、執拗な程に首や左胸など、急所ばかりを狙って突きや薙ぎを繰り出している。フランシスも、その一撃にやられる様な事はないが、自然と防御に比重が傾いてしまう。
一撃、二撃、三撃。アルセオの小剣が空を切る。フランシスもその度に、斧で、盾で、時には防具で受け止め、流す。フランシスは数分たっても、攻略の糸口が見出せないでいた。
アルセオの動きは素早く、どれだけ注意しても攻撃圏に入ったと思った次の瞬間には、一撃と共に後ろへ去ってしまう。フランシスはお世辞にも早いとは言えず、それらの動きを捉えきれないのである。相性は極悪と言って良かった。
舞でも舞うかの様にフランシスの斧から逃げるアルセオは、ニヤリと怖気のする笑みを浮かべている。フランシスは一瞬強く瞑目してから、再び見開く。そして、攻撃を受けながらも動きを観察する。
先ほどからアルセオは、フランシスの動きに合わせて、その動きの範囲を変えて行く。恐らくは事務室か何かだったのであろう部屋は、そう広くはない。とはいっても、男二人が動き回っても手狭ではない程度に、部屋は広い。つまるところ、アルセオが自由に動き回れるだけの余裕はあるという事だ。
ならばなぜ、それ以上離れ、もっと安全を取らないのか。体力を温存したいのかもしれないが、それでも一定の距離よりは離れない。その動きまるで、フランシスを中心に円を描く様である。
フランシスが見る限りでは、攻撃してから離脱のルーチンを三回程繰り返した時、ほんの一瞬、瞬き一度にも満たない時間、足元を見ているのがわかる。何か罠があるわけではない。先ほどからなんどか、フランシスはそれを踏み越えてアルセオを追いかけている。
となれば、アルセオが気にしているのは立ち位置、そしてフランシスとの距離だろう。フランシスは初め、その範囲がフランシスの斧が届かないぎりぎりなのかと思ったが、そうでもないらしい。
その距離感を保つ限り、フランシスが限界まで踏み込み、手を伸ばして振り下ろしても、まだ余裕がある。体力温存の線は、先ほどの論でうちけされている。となれば、距離をとる理由はフランシス側ではなく、アルセオ側に何かあると言うことだ。
フランシスは鋭い一閃に盾を打ちつけるようにして対応すると、再び下がるアルセオを追いかけもせず観察した。何故一定の距離を保ち続ける必要があるのか。動きの仔細を確認するフランシスは、首を狙った刺突を斧を叩き付けて受けつつ、思考を巡らせた。
窓からの奇襲などを警戒しているのだとしたら、そもそも窓を閉じておけばいい。こちらの間合いを気にしている訳でもない。アルセオ側にその距離をとらなければならない理由があるのだとしたら、脅威でもある高速の攻撃にあるような気がして、フランシスはアルセオの動きの特徴へ意識を張り巡らせた。
最も高速な攻撃は、距離をとったアルセオによる突撃からの刺突だ。その瞬発力は、フランシスが初動を見失うほどにある。だが、そんな人間を超越したような速度には、何かしらの制限があるはずだと、フランシスはあたりを付けていた。
例えば、フランシスの剛力は、常軌を逸した腕力の代償に、筋肉の重量による動きの鈍重さが目立つ様になっている。無論、振り切った斧が遅い訳ではなく、全体的な動きの重さの事ではあるが。フランシスがそれを、歴戦の経験や並外れた勘で補って目立たなくしているだけだ。
では、アルセオはどうか。
攻撃が弱いという事はない。急所に当たらずとも、一撃必殺の威力を持っているであろう事は、盾や打ち付けた斧の手応えから何と無く察せられる。受けも、フランシスに負けず劣らずの技量を持っている。
鎧も、鎖かたびらのみとはいえ着込んでいるし、特に軽量化を施した様には見えない。と言うことは、肉体的な代償ではなく、その行動に何らかの制限がかかっているのでは。
そう直結して考えるなら、とフランシスはスッと目を細める。その行動範囲、フランシスから一定距離を保っているのは、その制限のせいではないか。そして、それは突破口になるのでは。フゥッと鋭く息を吐き、フランシスは次の攻撃に備えた。
また、一撃。今度はフランシスの諸々の防御を掻い潜り、小剣の刃が皮膚を薄く裂いた。傷口から、鋭い痛みが断続してフランシスを襲う。しかし逆に、フランシスは不敵な笑みを浮かべてみせた。




