五十七話 相成れぬ刃
「……待ってはいなかったよ、フランシス」
優男然とした男は、椅子に座ったままフランシスを見ながら、手を左右に広げた。極平素な振る舞いであったが、その手に剣と盾があること、死骸が部屋にあることを含めると、異常極まりない光景であった。
フランシスは構えを解かず、じっと男を見ていた。高級そうな白い衣装に身を包んだ男は、どこか高慢な雰囲気を持っている。自分の周りを全て見下しているかのような、そんな印象。気のせいと言われればそれまでなのだが、フランシスはこの手の人間が得意とは言えなかった。
金と言うにはやや薄い、プラチナブロンドの髪。長めな髪は、その財力を表すかのようである。釣り目気味な目には侮蔑の色が宿り、それはフランシスへと向けられている。その手に持った剣には、いくらかの血が付いたままであった。
どう見ても、只人ではない。フランシスは警戒を更に深くしながら、その男へ向けて声を発した。
「お前が……アルセオ・リベリオか」
「お前、貴族に対しての礼儀がなってないな。……あぁ、そうだよ。僕が名高き、リベリオ男爵家長男、アルセオだ」
そうニヒルに笑って見せた男、アルセオは、おもむろに立ち上がり机の前へ回った。その手には剣と盾がそれぞれ持たれたままで、まるで転がっている死体など見えないかの様に立ち振る舞う。それがフランシスには不快だった。
唐突にアルセオが笑みを消し、死骸を蹴り付けた。無数のハエが一斉に飛び立ち、騒音を伴って扉の外へ出て行く。死骸は蛆がたかっており、死んでからどれだけ時間がたったのかを物語っている。フランシスは衝動的に前へ踏み出しそうになり、無理矢理にそれをおしとどめた。
「この間、腹いせ交じりに捕まえてきたんだけど、存外早く死んじゃってね」
フランシスは、人の死をこうもあっさり踏み潰す存在に出会ったのは、これが初めて――ではない。アルセオの様に腹いせに、快感を得る為に、やり場のない怒りを向ける為に、そして自分の優越感を満たす為に。そんな輩には、フランシスはごまんと会ってきたのである。
時には、敵として。時には、味方として。拳を強く握り締めて、作戦行動中だと耐えなければならない事もあった。
人の死を、命を、何だと思っているのだろうか。自然、フランシスの斧を握り締めた手に力がこもり始める。目はきつくアルセオを睨み続けている。だが、まだ殴り掛かるような事はしなかった。
「アルセオ・リベリオ……貴様は、盗賊団の頭領か。不明瞭な言葉は肯定とみなす」
フランシスの怒気をこもった言葉を聞いても、アルセオは動じる事もなく、ゆっくりとその剣を構えた。そして、その口を開く。
「短気な野蛮人め。ああ、確かにこの場を取り仕切っているのはこの僕だ」
この場を取り仕切っているのは、という言葉に、フランシスは一瞬疑問符を浮かべた。しかし、その気に掛かる言い方を言及しようとしたその刹那、フランシスは殺気を感じて飛びのいた。開いた空間を、横薙ぎに振り払われた剣が通過する。
フランシスも咄嗟の事ながら負けじと踏み込み、片手斧を薙いだが、それは盾で受け流された。フランシスの重撃を受け流せるのは、フランシスと同程度の技量か、もしくは剛力を持つ場合のみだ。
お互いに一歩飛び退き、睨み合った。アルセオの目にはギラギラとした光が宿り、殺意がその全身から迸っている。ニヤリと笑ったその顔は、自分の負けを考えていないかのようである。
これ以上話す気はないのだろうと判断したフランシスは、静かな怒気を口から吐き出し、名乗りを上げる。
「……鉄鬼傭兵団が長、"黒金剛"、フランシス」
「ふん。"血剣"アルセオ・リベリオ。いざッ」
言うが早いか、一足飛びにアルセオが飛び出す。首を狙って突き出された小剣を辛うじて丸盾で受けたフランシスは、追撃を許さず蹴りを放った。しかし、それは逆に盾で受けられ、再びアルセオが後ろへ下がった。
先制を取られたのは、フランシスが油断していたというだけではない。アルセオが、尋常ではない速さの持ち主である事も一因であった。フランシスは無言のまま、ほんのわずかに冷や汗をかいた。
アルセオの初動――小剣による突き。極初歩的な動作でありながら、フランシスにはその初動が見えなかった。飛んでくる太矢すら見切るフランシスに、見えない。となれば、単純に考えても、ボウガンの矢を凌ぐ速度で動いたという事である。信じられない速さであった。
小剣はその名の通り短い。とはいっても、それは騎乗用の長剣と比べればの話であるが。それでも、短槍の届かない距離を埋める程の長さはない。鎧の類を鎖かたびらしか装備していない事を考慮しても、一度の踏み込みの距離も尋常ではない。
事実、蹴りこそ出せたものの、フランシスが斧を振るう程の余裕すらなかった。
だが、勝たなければ。アルセオが傭兵団にとって唯一の突破口であり、足元に転がる名も知らぬ誰かの仇でもあるのだから。フランシスは喉の奥から声を張り上げた。




