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ウォーアクス戦記  作者: 秋月
三章 黄金の稲穂と砂塵の中で
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四十七話 お互いに眠りは縁遠く

 ――赤目団襲撃より、時間は三刻程であろうか。


 暗闇の中、二つの影があった。妙に血生臭い部屋の中、震える体を抑え付ける様にして跪く影がひとつ、何か椅子ではない物に座り込む影がひとつ。


「報告はどうした」


 トン、トン、トン、トン。一定のリズムで、不機嫌な靴音が響く。座っている影が、踵を鳴らしているのだ。跪く影は、しばらく沈黙していた。


「報告は、どうしたと、言っているんだッ!」

「……ッ! ……かッ、影踏みの三番隊が……全滅、いたしました」


 ギシリィッ、と凄まじい歯軋りの音がして、跪く男の頭部が奇妙に跳ね上がった。座っていた男の爪先が、跪いていた男の顎を捉えたのだ。大きく吹き飛んだ男に対して、追撃するような叫び声が轟いた。


「僕は仕留めろと言ったはずだがなァッ! えェ? なぁ、ヴェグスッ」


 男は駆け寄り、ヴェグスの顎を掴んで再び持ち上げた。その細いシルエットに似合わないほどの剛健さでもって持ち上げられたヴェグスは、顎が砕けるかと思う程の強烈な握力を感じて抵抗した。


 ジタバタとしばらく宙を泳いだ足が、不意に地面を捉える。男がヴェグスを手放したのである。咄嗟にバランスを取れたヴェグスは、しばらくたたらを踏んだ後、またふらふらと跪いた。


「あ、アルセオ様、そ、それが……だ、団長のフランシス共々、団員が予想をはるかに超える技量でッ」

「言い訳は見苦しいよ、ヴェグス。……まぁ、君は優秀だから、生かしておいてやるよ」


 先ほどまで業火の如く渦を巻いていた殺気が、不意に収まる。出されていた刃が鞘にしまわれたかのように、場の緊張感が一気に失われ、静寂を取り戻した部屋にはヴェグスの荒い息が響いた。


「次失敗したら、今度こそその腹裂くから」


 にこやかに――かつ、残酷に語りかけたアルセオは、ヴェグスに己のなすべきことをせよ、とだけ伝え、興味を失ったように窓の外を見た。ヴェグスは音もなく去り、暗い部屋には一人しかいなくなった。


 アルセオはしばらく窓を見つめていたが、不意に立ち上がると、椅子代わりにしていたものを無造作に足蹴にした。


 ぐちゃり、と物言わぬ肉塊が――元ロベリット領主の死骸が音を立てる。それすらも不快だと言うかの様にアルセオは尚も骸を蹴りつけ続けた。


「どいつもこいつも役にたたない! クソ共がッ!」


 意味もなく蹴りつけられた死骸は、もはや原型をとどめてはいない。無念の表情さえも歪み、その顔は見るに堪えないほどである。もとは端正だったであろう顔に、蠅が一匹止まっていた。


 しばらく死骸を蹴り続けたアルセオは、ふと攻撃をやめた。ぐちゃり、と死体が転がった。


「まぁ、まぁいい。後二月もすれば、煩わされることもない……」


 そう呟いて、アルセオは邪悪な笑みを浮かべてその部屋を去った。残ったのは、腐敗と崩壊の進んだ肉塊ばかりであった。死骸の半ば崩れた瞳孔が、恨めしげに天井を見つめていた。


 恐ろしい災いが、フランシス達に降りかかろうとしていた。




 赤目団襲撃より、更に一週間が経過する。フランシス達は討伐や護衛の仕事をこなしながら、赤目団なる者の尻尾を掴むべく奔走していた。襲撃におびえることなく前へと進み続ける様は、正に鬼気迫るものであったという。


 その中でフランシスはというと、一週間の間、一晩も眠らず働き続けた影響か、目にくまが酷くこびりついていた。その状態で動くのだから、出会いがしらに少女らしい悲鳴を上げるアルラがいたのも仕方ないことである。


「だ、団長か……!? とうとう鬼でも出たかと思ったぞ!」

「……すまん」


 今にも倒れそうな顔で謝罪を告げたフランシスは、不意に羽ペンを取り落とした。ペンに付いていたインクが地面に染みて、フランシスはそれを呆然と見ていた。アルラはため息と共に布巾を手に取るとすばやくインクをふき取った。


「随分ふらふらしているが、最後に寝たのは何時だ、団長?」


 アルラは布巾をそこら辺へと投げ捨て、フランシスの方へ向き直った。申し訳なさ気に頭を掻く団長の目のくまをみて、しばらく不眠であったのだろう、と言うことをアルラは悟っていた。


 まったく、と吐き捨てるようにアルラはフランシスの隣に座り込んだ。


「頼むから寝てくれ。団員が落ち着かないし、何より私の寿命が縮むから」

「しかしだな……」


 何をそんなに意固地になっているんだ、とアルラはフランシスを小突いた。そよ風のような拳ではフランシスを揺らがせる事はできないが、そもそも攻撃を目的とはしていない。自分の存在をはっきりと誇示する為であった。


 フランシスはその拳のおかげで、アルラの方を振り向いた。その顔は酷く暗く、今にも倒れそうにも見える。


「一体、何をそんなに悩んでいるんだ」

「……いや……何でもない。すまない、眠る。しばらく任せていいか」


 フランシスはそういって、アルラに背を向けた。アルラものその背に何を言う訳でもなく、寝床に入るまでを見届けた。


「やれやれ。頼ってくれる分にはいいが……」


 せめて、潰れるのだけはやめてくれよ、とアルラは虚空に呟いて、また机に向き直った。いくらでも頼ってくれていいのだから、一人で背負い込むのはやめてくれ。そんな呟きを、フランシスが聞くことはなかった。

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