四十五話 深き夜、消えし者より声返らず
「――なッ!?」
渾身の力で突き入れた刺突剣の切っ先を掴まれ、刺客は激しく混乱した。確かに、刺突に特化した刺突剣の刃はそう鋭くない。だがそれでも、無い訳ではないのだ。事実、フランシスの手からは血が流れ出ている。
自傷行為の如く見えること、それ以外にも困惑はある。かの刺客が、仮にも暗殺者として鍛え上げてきた刺突剣の腕前は相当なものがある。その力量を存分に発揮して繰り出された刺突が、こうもあっさりと掴まれる等と想定していなかったのだ。
そして、その混乱から覚めた瞬間、刺客は後頭部に矢を突き立てられて即死する事となる。
フランシスが、刺客のその身を盾に使ってもう一人の矢を受けたのである。となれば、残りは矢を射ていた三人目のみである。フランシスは二人目の刺客であった死骸を盾に弓撃ちの刺客へと急接近した。あわてて刺突剣に持ち替えた弓使いであったが、少し遅かった。
豪腕を振りかぶり、フランシスが死骸を投げつけた。静音性、隠密性を第一に考えた布鎧だ。最低限打撃を減らす程度の効果しかないそれは、その代わり軽く、見られても厚手の服にしか見えない。だが、フランシスにとっては投げやすい装備でしかなかった。
とっさに受け止める体勢を作った最後の刺客であったが、それは愚策であった。受け止め、その死骸を投げ捨てた瞬間、その鳩尾に鋭い一蹴りが飛んだ。無論、フランシスである。蹴りの為に新調した鉄でつま先の補強された靴が刺客の鳩尾に深くめり込む。
カッ、と一瞬、喉が詰まったような声がしたが、それはフランシスによる打撲音ですぐさまかき消される。再度の蹴りで蹴倒された刺客が最後に目にしたのは、切っ先を握って大きく持ち手側を振りかぶったフランシスの姿であった。
殺撃――とフランシスが呼んでいる業である。剣身を握りこみ、柄頭で殴る。単純な技ながら、これが確実に当てられる相手に対して、凄まじい威力を発揮するのである。
剣というのは元来より、様々な研究がなされている。そして、振りやすい形に特化した結果、切先より柄、つまり持ち手に重心が寄っている。つまり、柄の方が重いのである。そんな部位を、遠心力まで付けて殴りつけられた側はたまったものではない。
めきり。
顔面に柄頭がめり込み、刺客はとうとうその命の灯火を消した。
フランシスはまだ警戒は残しながら、内心ホッと息を吐いた。慣れない剣は、いささか力みすぎてしまう。自らの手でやった事だが、柄頭が顔面から抜けず、フランシスはそのまま剣を手放した。
昔取った杵柄、フランシスは剣術もほんの齧りだけは知っていた。まだ戦争が起こっていた頃、隊長に教わった物である。フランシスと同等に強かった隊長であったが、既にその魂は天へと上っている。戦場では日常茶飯事な疫病による衰弱死であった。最後までニカリと笑っていたのがフランシスの脳裏に焼きついている。
フランシスは最低限の警戒を済ませると、考えるよりも先に天幕へと足が向いていた。駆け込んだのは、団長及び参謀――アルラとフランシスの天幕である。アルラは戦闘能力のない戦術家であるから、フランシスも急ぎ確認したかったのである。
掻き分けた天幕の中、アルラはまだ悠長に寝ていた。
ホッとしたフランシスは、何時もの様に手を叩いてアルラの覚醒を促す。それを何度か繰り返して、アルラはようやく起きた。
「う……。なんだ、団長……。まだ夜じゃないか……」
「アルラ、敵襲だ。起きろ。一か所でまとまるぞ」
困惑し硬直したアルラを、フランシスは猫の子のように摘み上げた。そして、肩に乗せて米俵の如く担いだ。フランシスには余裕がなかった。説明している時間も。寝巻姿のアルラを担ぎ上げて、フランシスは団員の天幕に乗り込んだ。
中は騒然とこそしていたが、あまり血しぶきなどは見えない。フランシスが何事があったか問うと、やはり刺客らしかった。火を放とうとしているところを転がし、簀巻きにしたらしい。猿轡までされて簀巻きにされていたのは、フランシスを襲った黒塗りの三人、その仲間である様だ。同じく黒装束であり、同じ弓、同じ剣、そして同じブローチ。こんな特徴的な姿をそうそう忘れはしない。
男性陣の無事を確認できたフランシスは、女性用の天幕へ向かおうとした。その時、三人同じ様に縛られた暗殺者が転がってくるまでは。その後女性団員が入ってきて、何とか捕縛はできた事を知る。よかった、とフランシスは一息つけた。
そして、即座に被害を確認した。何人死んだ? フランシスのそんな言葉で、一気に雰囲気は重くなる。
「男からは三です。見張りのやつらがやられてました」
ケンドリックが沈黙を破って、フランシスへと報告する。その間、アルラは女達に被害数を聞いていた。フランシスは重々しく目を瞑って報告を聞く構えを取った。
「女からは四だ。同じく見張りと、交戦時にそれぞれ二人だと」
被害が出てしまった。放置という、己の判断ミスか? フランシスは右の手のひらを額に当てた。ぬくもりを感じない手のひらだった。
「少し不便だとは思うが、今日は男と女どちらも一箇所にいてくれ。見張りは常に三人一組で頼む」
アルラがそういっているのが、その時のフランシスには酷く遠くで起こっている事の様に感じられた。それでも、フランシスはフラリと立ち上がった。自分のやるべき事をしなければ、その一心で。その顔は、ある種幽鬼の様であったという。




