三十六話 死の灰に木を植える
もう随分日も暮れ、夕焼けはとうに砂山向こうに消えかけている。それでも老人は、そこに点々と木を植え続けている。フランシスもそれに習い、深く地面を掘り、土を埋め、そこに水をかけていた。老人はそれより少し離れた場所で、手慣れた様子で次々と苗を植えている。
少女は老人ではなく、フランシスの傍らにいる。フランシスの植え方を言葉少なに修正しながら、自らも木を植える。木の本数はそう多くはないが、一本に結構時間がかかる。砂漠特有の局所的豪雨に押し流されてしまわない様、深く深く埋める必要がある。そして、水を汲んできてそっと掛けるというのが、これまた時間を要するのだ。
並大抵の覚悟では、三日とかからずやめてしまうこと間違いなし。フランシスの出す評価はそれである。若干の汗を垂らしながら、それでも木を植える。
「大変な、仕事だな」
フランシスは傍らの少女に対して、特に語りかけるでもなく、独り言の様にそれを呟いた。一般人が、こうして毎日続けるにはあまりに厳しい作業だ。フランシスには、とても老人と少女だけでできるような仕事には思えなかった。
少女はフランシスの言葉に答えるでもなく、しかし木を植える手を止めたまま暫く固まっていた。数分して、ふとした様に手を動かし始めた。
「……うん。おじいちゃんと二人でやってるけど、大変」
そうしながら、少女はフランシスの独り言に返す。フランシスがそうか、と返し、それからは暫く黙々と木を植えていた。単調な作業。もう砂漠は暗く、十分に暖かな服を用意して着たフランシスの肌は冷え切っている。
そんな強烈な寒さを、少女も老人も物ともせず作業を続けていた。そんな彼らに、フランシスは強いな、と笑みをこぼした。
「……おじさんは、なんで手伝ってるの?」
少女がふと、顔を上げて問う。何時もは二人でやっている作業に、見慣れない気配と影が混じっていれば気になるというもの。少女は先ほどから、ちらちらとフランシスを見やって気にしていた。
フランシスは暫く答えなかった。だが、ふう、と汗をぬぐいながら暗い天空を見やる。少女も釣られて星を見た。砂漠の空気が乾いていて、かつ寒いせいか。冬の夜空の様に、星は美しく煌いて見える。老人も、そんな二人をみておもむろに空を仰いだ
「なんでだろうな」
フランシスはポツリと呟いた。右肩も完全に直りきっていないのに、自分は何故こうしているのか分からなかった。それが事実である。本当に衝動的に、彼らの仕事を手伝っている。金は貰えない。戦いの経験が得られる訳でもない。
だったら自分は、何をしているのだろうか。不可解だった。
「わからないの?」
「ああ」
手は止まり、彼らは一旦の休憩を言葉を交わさない内に取り始める。フランシスは胡坐をかき、少女はそれから少し離れたところにチョコンと座り込んだ。ちょっとした沈黙が降りる。
「なんとなく、やるか、と思った。ただ、それだけなんだが……」
はじめた理由はそれだ。だが、続ける理由が分からない。途中でやめて帰り、寝ても良かった。だが、なんとなくそうしたくなかった。フランシスの一連の行動は、完全に理由の無い"何となく"である。
ふう、とため息をついた拍子に、フランシスは少女が自分をじっと見つめている事に気付いた。
「いるよ。たまに、そういう人」
そうなのか。うん、そう。
二人の会話はあくまでも静かだ。快活さはなく、お互いへの嫌悪もない。唯あるのは、お互いがそこにいるという認識だけだ。
「仕事がない人だったり、家族が死んだばっかりの人だったり。色々」
貴方はどっち? 言外にそう問いかけた少女の言葉に、フランシスは背を伸ばしながらもったいぶる事もなく答えた。自分の過去を答えるのに慣れているせいか。海の底に沈んだ砂の様な悲しみが、表に出ることはない。極々平素な声だった。
「仕事はあるし、家族は随分昔に皆いなくなってる」
「ふぅん。じゃあ、人を殺した事があるんだね」
フランシスは驚いた様に改めて少女を見た。もしかしたらこの少女は死神なのかもしれない、と思ったからだ。茶色の肩まで伸びた髪は、若さから来る光沢がある。そんな髪と同じく栗色の瞳は星の光を反射して、キラキラと煌き、とても不吉の象徴には見えなかった。
その少女に好奇心は見えず、問い詰める様な顔でもなかった。そして、人殺しを怖がる様な声でもなかった。
「ああ。……怖くないのか?」
「死んだらその時はその時、っておじいちゃんがよくいってる。人間、死ぬ時は死ぬから、怖がっててもしょうがないって」
死を身近に感じる戦士だからこそ、少女の言葉をうまく飲み込めないでいたフランシスだが、それでも何とか飲み込むと、サッと立ち上がってまた植木鉢を拾い上げた。荷車に乗っていたのはそれで最後だった。
砂を深く掘る。二人、いや。近付いて来た老人も含め、三人で掘れば声を上げる間もない。そこに苗を深く埋めて、砂をかける。
掛ける水を、とフランシスが振り返った時には、少女が既に木桶に水を張って持ってきていた。埋めている間に持ってきたらしかった。
少女がゆっくりと水を掛ける。生命の無かった死の灰に、命の再誕を願って。
死の灰に水を捧げる。それはまるで、太陽の神に許しを乞うようにも見えたが、フランシスは錯覚だと切り捨てた。




