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ウォーアクス戦記  作者: 秋月
三章 黄金の稲穂と砂塵の中で
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三十三話 山吹色に染まる決意

 ゆっくりと歩を進めたフランシス達を迎えるのは、ぶわりと分厚い黄金のカーペットだ。踏み荒らす事は許されず、到底そんな気も起きない。余りにも広大な畑――金色の稲穂の間、傭兵団にとっては狭い道を、フランシス達は圧倒されながら進む。


 広大な自然の美は、ありとあらゆる人間を畏怖させる力があるという。芸術と言うものが分からないフランシスすら、時間が許す限りこの美を眺めていたいと思った程だ。


 ケンドリック等は顕著な例で、凄まじく圧倒的なそれをキョロキョロと見回し、その姿に言葉も出ない様子で目を輝かせていた。ノールがクスリと笑い、フランシスも自然な様子のまま、口の端が吊り上がった。


 アルラは、一目見ても無関心に広い農耕地帯を眺めているようにも見えるが、そうではない。付き合って二ヶ月は優にたっているのだから、フランシスにもアルラの感情の機微は分かるようになっていた。


 だからこそフランシスはもっと笑みを深くしていた。その薄灰色のローブと藍色の瞳に隠された心の深奥、そこが見事な自然を見れたという歓喜に溢れている事に。


 正確には、この雄大な黄金の穂波は人間の手によって作られているのだから、本当の意味での自然とは呼べない。


 それでも、人間にとっての自然とは正にこの姿なのだ。見るものを圧巻し、その見事さに息を飲ませ、触れることすら可能なのだ。それ以上に考え込む必要はないのかもしれない、とフランシスは呆然と考えていた。


「……すごいな」

「あぁ」


 アルラの感嘆したような声に、フランシスも何気無く答える。後ろから伝わるぬくもりは、まるきり年相応の少女の物である。そう考えると、こんな少女が戦を――人をいかに効率的に殺すかを考えなければならない世は狂っていると言える。フランシスは右目を閉じた。左目を閉じる必要は無かった。


 もう戦争が終わり行く世だ。戦いに駆り出しているのは自分である事も重々承知している。言い訳をするつもりもなく、またフランシスは目を開いた。


 その視界には黄金の稲穂の遠く向こう、灰色の城壁が見えた。気持ち大きく息を吐いて歩みを止めない者達を歓迎するように、さらさらと風に乗って揺れた小金色の世界を進む。


 ベルロンドは、貴族議会制で成り立つ、小国のひとつである。広大な農耕地帯を持つそこは、長きにわたる戦乱を自らの国へ閉じこもる事で乗り越えた数少ない国である。


 最近国境を開き、漸く外の国へ作物の輸出を再開しはじめ、好景気の真っ只中にいる。次々と富を得る者が加速的に増え、全盛期に入ったと言える。


 たが、それによる弊害も無論存在する。野盗の類だ。商人が腹を肥やしていると言う事は、それを狙う賊の増加と比例関係にある。どちらか一方が急激に増えれば、その害は計り知れない程となる。


 明らかに良い武装をしたフランシス達は襲われなかったが、無力な――それも、足の遅い――商人だったなら、ほぼ間違いなく襲われていた。そう断じられる程度には、現在ベルロンドは無法地帯と化している。


 対策をとろうにも、ベルロンドは議員議会制。それも、頭の固い伯爵以上で構成される議院での会議であるため、基本的に堂々巡りな話し合いになり、対応が遅れてしまう難点がある。多くの者で意見を出し合う関係上、最善、次善策は取りやすいが、その決断が遅いのだ。


 しかも昨今は、南部の砂漠化が激しく、北からは盗賊、南からは砂漠。内部でもそういった益を狙った狼藉が絶えないとなれば、どれから対応するべきなのかで紛糾し、議会はにっちもさっちもいかない状況下にある。


 遥かに見ゆる壁の中には、強く渦まく闇が身を潜めている。そう考えると、フランシスの気も重くなるというものだったが――。


 不意に彼は、小金色の大地を見渡すようなそぶりで――自らの後ろに続いて行く、長い隊列を見た。


 皆、フランシスに付いて来てくれた者達だ。さまざまな理由があっても、確かに彼の後ろに続く足跡だ。それは、決して彼が歩んできた道のりを上書きする物ではない。きっと、その傍に寄り添ってくれる物だ。


 ただ振り向いて、そのまま感慨深げに隊列を見つめるフランシスに、ケンドリックは問いかけた。


「どうかしました?」

「いや。……随分、大きくなったものだな、と思ってな」


 始めは十人強の、しょぼくれた義兵団に過ぎなかった。対"早風団"の小戦場を超えて逞しくなった者を含めても、やはり十人程度。


 王都での活動をへて七十人まで膨れ上がり。また、戦場に飛び込んで。


 ウォルスも、何名も、死んだ。フランシスは天を仰いだ。彼らはちゃんと、名を失えただろうか? 地獄より這い登って、その身を清めながら、こちらを眺めているのだろうか? フランシスは揺れ動く雲に、誰かの顔を見た気がした。


「……元気、してますよ。きっと」


 ケンドリックがそんな心中を推し量ったように、自らも天を見上げて呟いた。赤髪の青年は、既に死を乗りこえている。深い悲しみを湛えながら、その瞳が揺れる事はない。


「そう……だな。そうだと、いい」


 静かに決意を胸に抱けば、天空より風が吹き降ろしてきた様な、そんな錯覚をフランシスは覚えた。


 碧眼が遠くの町を見据えた。穂波がうねっている。まだ少し道はあるものの、小国ベルロンドへ到着したフランシス一行であった。

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