三十二話 遥かに見ゆる黄金
「捨て子」
「ええ。生まれは確かにパートマデット首都付近の村だったのですが。食うに困ったのか、私は村の中央の辺りに捨てられていたんだそうです」
誰が産み、捨てた子なのか分からない。そんな子供の面倒を見ようとする村人などいない。皆、殆どが自分の事で精一杯であり、そんな余裕などないのだ。ましてや、男の子。育てば育つ程、大飯食らいになっていく。
自らの家族ならまだしも、育つまで負担しかない男児を拾おうするものはいない。定住する者であれば。
「私は旅人に拾われました。育ての親であり、私の師でもあります」
名は最後まで教えてくれませんでした、とノールは話す。旅人に拾われた子は千差万別の扱いを受ける。手厚く保護してもらうか、馬車馬の如く働かされるか。はたまた、無理矢理に水商売を受けさせる外道もいる程だ。
ノールの場合は幸運だったと言えよう。少なくとも食事や衣服に制約はあっても不自由はなく、暖かい寝床もあったようだ。何よりも、生きる術を教えてもらえるという事がどれだけ幸運だったのか、ノールは痛い程わかっている様子だった。
背中に長弓を背負い貫頭衣(大きめの布に頭を通す穴を開けた物)に身を包んだ旅人は、ノールに狩りの術を教えてくれたという。
「幸にも、私にはその才能があった様です」
成長に比例する様に弓の腕は上がり、並の弓兵など話にならない程の名弓主に育ったノールは、遠くの物を見据えるうちに目が良くなった。とはいっても、その頃はまだ"目が良い"という程度であり、"鷹の目"と言う程ではなかったらしい。
「頃合を見計らった様に、旅人は私をある民族の下まで連れて行きました」
その民族は海沿いに住み、魚を主食にして暮らしていた。恐ろしく目のいい者達であり、船で沖まで出て、なんと海に飛び込んで獲って来ていたのだと、ノールは感慨深げに言う。嘘か真か、海に飛び込むとき目を見開いて魚を見、それに銛を突き刺すという漁をするのだというのだから、フランシスには驚きの連続であった。
ノールはそこで一年暮らしたと語る。弦を作る事を教わりながら、海水の中で目を見開く漁を学ぶという小器用な事ができたのは、ノールの元来の器用さからだろう、とフランシスは思った。
「そうこうして気がつけば、その民族の村の中でも、"鷹の目"と呼ばれるようになっておりましたな」
しかしノールは続けて言った。
「私は、師の方が"鷹の目"らしいと思うのですが、ね」
師であり父である旅人は、一年後のある日、病で倒れた。十分老齢であったのもあり、免疫力は落ちていた。腕の良い薬師に頼んでありとあらゆる薬を作ってもらったが、それでも症状を和らげる事しかできなかったという。
そんな、死の淵を彷徨う老人は、ノールの瞼に手を当てて、最後に語った。随分昔の話をしながら、ノールは瞳を閉じた。
「もうじき俺の束縛から、お前は自由になる。その時こそお前は、真なる"鷹の目"となる」
その言葉をノールに授け、旅人は自らの鏃を一本託した。青い装飾のついた美しい鏃であり、それがノールヘの最後の贈り物だったと言う。しっかりと握り締めたノールを見ながら、旅人は息を引き取ったという。
「そうして、私は名実共に"鷹の目"と相成った次第です」
フランシスは聞き終わった事を示す様に頷いた。自分よりよっぽど、濃密な人生を歩んできたのだな、と再認識していたのだ。その顔に刻まれた皺は、そっくりそのまま人生経験を写しているのだろうな、と改めて感じた。
「純粋な技量による二つ名は、何とも名誉なものだな」
どこか他人事の様に呟いたフランシスに、おや、とノールが声を漏らした。何か心当たりがある様だった。
その口が開くより先に、アルラが呆れ声を上げた。
「自分の評判ぐらい知っておかないか? 団長にも、二つ名は存在するぞ」
ピクリ、と眉毛を動かしたフランシス。意図せずとは言え、フランシスは普通ではない。無論、それを意味する二つ名も存在する。だが、己の価値など知ろうともしないフランシスにその名は届かなかった。その背に向けられる敬意と畏れが届いてはいなかった。
後ろから聞こえる声に、無言で続きを促したフランシスに、その名は告げられた。
「"黒金剛"だ」
フランシスの黒い髪、そして決して曲がらないその強さを讃えたその言葉。
何年も何年も、唯戦い続けただけに過ぎないと。そう思っているフランシスは、恥ずかしさ半分、誇らしさ半分の気持ちで、馬の歩みを進めた。
そんな昔話から、三日経った日の事だ。ノールは街の端が見えたと報告した。百を超えた軍勢の行軍ともなれば、その移動速度は反比例するように遅い。となれば、前の様に早く動く訳にもいかず、フランシスは苛立ちの様な物を感じた。
だが、二日もたてば視力は常人のそれに過ぎないフランシスの目にも、その町の形は見えて来るものだ。
遥か先から流れてくる畑の薫りを心で感じながら、フランシスは歩を進める。見えてきたのは無論、ベルロンド小国の端っこであった。




