詳細設定話 ※ネタバレを含む
飛ばしても問題ないです。島の地理と神様のお話です。
※地図の位置は実際の位置とやや異なります。その為、ざっくりとしたイメージとしてごらんください。
世界全体の呼び名はテッラム。恐らく、作中では出てこないと思われる。
国は何個か存在し、幾つかの街や村を支配下に置いている。細かな街や村、極小さな島は本編では描写しないが、地図に写っていないものが幾つもある。
イル・ステシュ帝国
……一強国。様々な戦歴を持つが、そのほとんどにおいて勝利を納めており、暦の名を八十年冠す事を許されている程である。
昨今は軍縮を推し進め、段々とその軍力は少なくなっているが、それでも国力は衰えない。地図上では右上に位置する大陸にあり、その殆どを支配下においている。先日のパジャハ・ンディガナとの戦争で領土をさらに広げた。
名の通り帝政であり、勘違いされる事も多いが、皇帝はいたって常識的な思考の持ち主であるため、でたらめに戦争を仕掛けるような事はない。
パジャハ・ンディガナ王国
……イル・ステシュ帝国と同じ大陸の南部に首都を構える国。国名は初代国王パジッラ・ディガナの名をもじっている。
何かとイル・ステシュ帝国と比べられ、弱い国に思われがちであるが、海軍は抜きんでて強い。また、右下の未開の大陸を開拓しており、様々な遺跡や痕跡を発見している功績がある。
その為、一部では"拓く国"とも呼ばれている。
ポート・パティマス
……パートマデット王国最大の貿易街。最大の港町である。様々な貿易を一手に請負い、港を追加で拡張していくうちに町の一部が大きく海にはみ出した形となった。昨今は耐久性に疑問が持たれ、増強工事が行われてもいる。
フランシスが始めに船で渡って来たのはこの町。露店でも賑わっており、貿易で多くの利益を生んでもいるが、やはり海が近い為、海の幸が新鮮で美味い事でも有名。
パートマデット王国
……商業国家。国の財産という観点から見れば、一強であるイル・ステシュ帝国に迫る国力の豊富さである。左側の大陸でもっとも国力の高い国であり、多くの町を所有している。
所有する軍その物は弱小ながら、周囲の国の支援を受けられる為ほかの国にも負けず劣らない。それどころか、長期戦ともなれば食糧供給に余裕がある為、周囲の支援すら出来るほどである。
ロベリット
……エンパイア教国が所有する都市。かなりの大きさを持つ。また、貧困の消滅を掲げ、スラムの子達を学ばせたり、職業訓練をこなしていたりと様々な取り組みを行っている都市である。
王都襲撃未遂事件より、ロベリットへの不審は高まっていたが、帰って来た使者の報告は「行方不明」。逃げたのか、何かに殺されたのか。益々行動理由がわからなくなり、この事件に関する会議は紛糾している。
聖エンパイア教国
……宗教国家。三柱の神への信仰で成り立っている。その為王が支配するのではなく、最高司祭が政治を執り行う。極北の冬国であり、軍事力は帝国に次いで高かった。現在軍縮につき、軍港を貿易港へと変える作業を行っているという話がある。
今回の騒動に巻き込まれ、そういった不祥事についての対応力や警戒力を上げはじめている。
ベルロンド国
……小国。王はおらず、貴族を議員とした議会制で政治を執り行う。その為、何かと判断が遅れがちである事が多い。農耕地帯が広く、国力は相当のもの。南端の国である為、今まで国境封鎖で持ちこたえていたが、戦乱の終息に伴い国境を開放。
その反動で自然と禁止されていた農作物の輸出が盛んになり、その景気を使って儲けようとする商人が参入し、現在好景気の真っ只中となっている。
但し、駆け込む商人を狙う賊や、内部の益を狙う暴徒も増加しており、悩みの種となっている。
また、南より砂漠がじわじわと広がっており、そういった様々な問題をどうするべきかの議会も紛糾しており、にっちもさっちもいかない状況にある。
ジョグナ
……伝承のみが残る謎の遺跡。塔だとされているが、その正体は砂漠の先へと隠されている。本作では恐らく、名前以外出る事はない。
三日月諸島
……地図左下に位置する島群。三日月型の島を中心として小さめの島が四方に広がっている。未だ未開拓の地ではあるものの、人間が存在する事は確認されている。
ただし、あまり文化的ではない蛮族が蔓延っているとされ、現状は放置の状態にある。そのうち作者がスピンオフを書くつもりでもある場所である。
"宗教感"
いくつかの神の共存する多神教。複数の神が居るとした上で、自らの主神を定め、これを崇めるとする宗教感である。家族ぐるみで一神を崇拝する者も居れば、家族全員それぞれバラバラの神を崇める事もある。その為、家庭内宗教戦争が起こることもままあるが、殆どは自警団や衛兵に抑えられた上で其々の神官に諭され、矛を納める事が多い。
神に名はなく、其々の役割で名が呼ばれる。これは太古の昔、戦で名を無くした者が神となるとされたせいであるが、細かな引用もとは不明。
また、天上に神がいるという考え方の為、主に火葬でもって葬られる。残った灰は地へ返すのが主流である。
"戦神"
名の通り、戦を司る。これは単純な戦いから、賭け事やその他の勝負事も含めての"戦"であるため、賭博神、勝負神の側面も持つ。
その姿は剣を持った筋骨隆々な男性が主である。その為戦にあって剣とは戦の基本であるとされている。だが、戦神の数少ない取り決めに"一つの手段に囚われてはならない"と言うものがあるため、斧や槍、弓や盾も戦場で用いられることは当たり前である。
"知恵の神"
知恵、知識を司る学問の神である。男女や生まれによる優劣を否定し、全ては当人の努力によって決まるという考えが強く、平等の神でもある。その為、罪を見定める審問官に任命されることが多い。
その姿は主に本や杖を持った老齢な人間で表される。その姿は定まらず、老翁であったり、老婆であったりと信者其々のイメージ像を持っている。"常に考え続けよ。誰よりも己たれ"という言葉は、信仰を越えて尚浸透している。
"秤神"
世間一般では生き物の生き死にを決定する神とされている。生きとし生ける者全てはこの神の手の上にいるのだという考えが信者たちの中にあり、なにかと独善的な考えに走りやすい。故に、他の二柱と比べると信仰度はおちる。
信者の考えとは裏腹に、詳細な文献では死した者の全てを一度"地獄"に落とし、その果てを見届ける役割しか持たないと記されている。その為、秤は生き死にの価値を決めるためではなく、落ちる命がすり替えられたりしていないかを確認するための物であるとされている。
その姿は秤を持ち、ヴェールを被った女性の姿で描かれる。一部にはそれを二面の(二つの顔を持つ)姿で表され、上下それぞれへ向いている。これは"地獄"へ落ちた魂を見る顔と、"地獄"より天へと上り名も無き神へと昇華する魂を見る顔を表しているのだという。
"太陽の神"
一部で信仰されている、名を持つ神。ただし、太陽の神という役割の名もあるため、マグナ・アルゥラは俗称であることはハッキリしている。
豊穣神と生きる者の監視の役割をもち、天空より地を眺め、あまねく者を見通す光の瞳をもって全ての生きとし生ける者を見つめているという。その光に人と植物を育たせる力があるとされ、正しいものほどその加護を受けやすいという。
その為、太陽の神の信徒は品行方正を常に意識している。
"名も無き神"
全ての神は名を持たないが、役割を持たぬ天上の民と化した死者の魂を便宜上こう呼ぶ。一度"地獄"に落とされた魂であり、自らの力で天上へと登りし者達である。
その姿は死者の姿が丸写しで描かれている事が多い。
俗に言う天国の民であるが、何か役割があると言うわけではなく、強いて言うのなら次の命を授かるときの為に自らの心身を洗い清める事が役目であるとされている。
その為、"清神"とも呼ばれるが、俗称である。
"時間関係"
テッラムでの一日は二十四時間換算となり、一時間=一刻として換算する。午前、午後共に十二刻存在し、内二刻は午前午後と共通している。午前は前刻、午後は後刻と表記する。正午は午前と午後の二つ分あり、午前寄りの正午は前正刻、午後寄りの正午は後正刻と表記する。
また、六週間で一月であり、一月、二月、三月と続く。自転周期は地球と変わりないため、八月が年末となる。年末の行事等は、各国、各街、各村で様々であり、全世界でこれと言ったものはない。ただし、基本的に、年はじめを質素に祝うのが農家や商人等であり、豪華に祝うのが貴族である。
二月中旬から三月が春。四月、五月、六月の中旬までが夏。六月の中旬から七月が秋。八月、一月、二月中旬までが冬となっている。
そして、物語の舞台年号は帝暦八十二年であるが、累計は暦を数えるようになってから千二十八年経過している。その為、正しく世界史を語る時は、全世界暦1028年、帝暦八十二年の○月、という表記をする。
この設定は、恐らく作中で語られる事はない。
以上で現状の設定話を終了します。なにか質問などがございましたら適宜追加するかもしれません。
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