二十八話 戦士の礼儀
喉が裂けんばかりの咆哮がアルドの喉から漏れた。既に相応の時は経っている。膠着状態は、若干アルド有利という形で崩れていた。と言うよりは、フランシスの疲労が、アルドよりも早くピークに達していたと言うべきか。
そもそも、騎乗する上で斧を扱う者は少ない。それは単純に、重心が先に行き過ぎて扱いに困るからだ。突撃槍はその円錐状の形により重心を手元に近づける事で、重い槍を脇に構えやすく設計されている。
反対に、馬上で大きく振る事を考えられていない長柄斧では、あまりにも腕に負担がかかりすぎる。三日月斧とも呼ばれる長柄斧は、斧の刃の上半分が柄から大きく突き出て鋭くなっている為、突きにも対応はしている。
だがフランシスは突き方を知らず、また長柄斧その物も突きに特化した物ではないのだ。騎兵用の長柄斧も存在してはいる。しかし、フランシスは歩兵用の長柄斧が性にあっていた。性に合う武器が必ずしもいいものとは限らないが。
どちらにせよ、フランシスは相当疲労している状態である。長柄斧は本来両手で持ち、地面をしかと踏み、その上で渾身の力で振り回す物である。それを片手で振り回すのだから、当然肩への負担は重篤な物となる。
「カァッ!」
フランシスは辛さのにじみでる顔で、しかし尚自らの体に一喝を入れる。まだ折れるな。まだ崩れてくれるなと。
前を見据えたフランシスだが、起死回生は望めないように見えた。何せ、相手も疲弊しているとはいえ、構えて突進するだけのアルドはフランシス程に筋肉に負担をかけてはいないのだ。それに、普段から乗馬している分だけ、それに特化した筋肉もついている。
こと騎馬戦については、フランシスよりもアルドの方が強いといって良かった。
だがそれでも、フランシスは諦めない。諦められない。それはアルドも同じである。フランシスは自らの戦いに意味をなす為。アルド、大恩あるロベリット領主の為に。二人はまた、お互いに向かって駆け出す。
アルドはとどめを刺しに、フランシスは乾坤一擲の一手を打つべく。
お互いに交差するは一瞬。瞬き一回遅れて、ドサリと馬から落ちる重い音。二頭の馬は、唐突に自らの騎手が居なくなったこと驚き立ちすくんでいる。ゴロリと転がった影は、フランシスとアルドの二人の影であった。
自らが叩き落とされ、鎧が大きくひしゃげたアルドは一瞬、困惑した表情を浮かべた。なぜだ? なぜ自分はおちている? 答えは簡単であった。
騎乗戦では明らかにぶが悪く、そして疲労もピークに達していたフランシスが、鐙から足を外してアルドに飛び掛ったのだ。急激な加重でバランスを崩したアルドを地面に引きずり倒し、そのまま自分も転がって衝撃を消した。
傍から見ていた者には分かるが、アルドにとってはたまったものではない。得意技――槍に捻りを加え、ほんの少し軌道を変える事で敵の守りを貫通する、"盾貫き"を行おうとしたら、馬から引き摺り下ろされたのだ。
歩兵戦は、突撃槍ではあまりに不利だ。しかも、フランシスは本業が歩兵の戦士である。バルデッシュを両手で握りこんだフランシスは、正に戦場の死神と言えよう。
「く、そぉッ!」
負け惜しみのような叫びと共に、アルドは自分の兜を脱いで地面に投げ捨てた。ガンッと硬い音がして、アルドの素顔が明らかになる。落ちたときの衝撃で流れた血が滴る顔は、若い騎士のそれだ。
整えられた頭髪、精悍な顔つき。髪はやや茶髪よりの黒。鋭い目は、フランシスへの殺意を湛えている。未来ある若者ながら、戦士の顔だ。戦いで死を厭わない戦士の顔であった。
故に、フランシスは長柄斧をゆっくりと構え直した。戦士に対し、侮る事は礼儀に反する。アルドは突撃槍を捨て、腰のサーベルを抜き放った。突撃槍が壊れてしまった時の予備ではあったものの、アルドはその扱いがさほど得意ではない。
だが、負けられないのだ。勝たなければ、自らの大恩を裏切る事になる。狭まった思考は、彼にその剣を抜かせるに至った。
勝つ気で挑まなければ、負けるに決まっているのだから。彼に退路はなく、故にフランシスも手心を加える気はない。
「おお、アアァァァッ!」
駆け出して、まずはアルドが一閃。鍛えられた肉体による薙ぎの一閃は並の兵士よりは鋭いが、それだけだ。並より上。剣の腕前はそんなものだ。これが短槍であれば、アルドももう少しましに扱えたのだろうが……。
フランシスはその一撃を柄で持って流すと、石突を跳ね上げて顎を狙った。すんでの所で盾を構えて受けた。流石に力の方向が下から上の石突で打つのに重撃は載らなかったが、それでも十分である。盾が跳ね上がる。上げられた石突を受けただけでこれであるのだから。
手首を返したフランシスの長柄斧が振り下ろされる。明らかに武器の損耗率を度外視したそれ、鎧を砕きうる一撃を転がって避ける。地面に刃が当たると同時、長きに渡る乱暴な扱いに耐えかねたのか、長柄斧の柄がへし折れた。
フランシスはそれにうろたえもせず、腰に掛けてあった二本の片手斧をおもむろに引き抜いた。




