表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウォーアクス戦記  作者: 秋月
二章 王国首都パートマデット
23/87

二十二話 一人の老兵の末路

 フランシスは今、自分が何処にいるのか、よく分かってはいない。


 曇天、バラバラと降り始めた雨に、血煙と耳鳴りが混じる。無心に振り回される斧と、狂ったように走る馬が戦場を駆ける。その常軌を逸した鬼気に、黒に赤の混じった集団は戸惑う。自分達は何を相手にしている? と。


 黒かったであろう髪は紅が混じり、右目には顔の傷から血でも入ったか、歪に赤く染まっている。だと言うのに痛がる様な素振りもなくその目を見開き、暴れ回るフランシスは、悪鬼からしても悪鬼だ。


 既に十数人は死んでいる。負傷で倒れた数は、恐らく二十を優に越すであろう。そこに騎兵も歩兵も関係は無く、唯平等に死の前に跪く。フランシスですらも。死相の浮かぶ顔は、その体が限界を超えていることを伝えていた。


 遠くで、ケンドリックも槍を振るっている。老兵ウォルスも、その剣と盾でもってフランシスを支援する。フランシスを信じるが故に、彼の命に従えなかった者達だ。しかし、それすらも今のフランシスの目には写っていなかった。




 ウォルスは静かに思う。フランシス団長が戦えるのは、後僅かであろうと。死相の浮かんだ顔、流された血、武器の消耗具合――幾ら鬼になっても、それらに嘘は吐けない。


 となれば、倒れる時に誰かがいてやる必要がある筈だ。ウォルスは影ながら団長を支えてきて、団長はここで死ぬべきではない、と評価する。フランシス団長は、もっと強く、もっと高みへ。そして、もっと偉大な事を成し遂げる人物だと。


「ケンドリック」


 ウォルスは見慣れた赤髪の青年に話しかけた。傭兵団の最初期陣の一人であり、若手の中では最も実力者である、ケンドリックである。槍使いの青年は、ウォルスと背中合わせで戦いながら反応した。


「団長が倒れたら、お前が運べ」


 ハッ、と老兵が剣を振るえば、鮮血が敵の指と共に舞った。ケンドリックはしかめっ面をしながらも、右斜め上から左斜め下に下ろすように構えを取った。我流ながら、その構えは攻防に優れた構えである。ウォルスが実地で教えてくれた物である。


 ケンドリックはその構えで何度も助けられてきた。恩人の言葉を拒絶する気は無かったが、ウォルスの声から感じた死への覚悟だけは見逃せなった。


「できれば、帰って来てください」


 懇願するような言葉に、ウォルスは応えなかった。




 フランシスは自分が忌々しい人殺しになっているのを感じた。


 生暖かい血の匂い。冷たい雨の感覚。斧の先の重たい肉と刃の感触。自分の魂が流れていく喪失感。鬼の道はかくも苦しい物であるが、それ自体をフランシスは嫌悪していない。嫌うのは、それに伴う殺人だ。


「鬼め」


 誰かが呟く。もはや正気の宿らぬ目で、フランシスは声の主を視界に認めた。一瞬だけ、戦友の姿が重なる。目を向けた先にいたのは、金属鎧を纏った騎兵だ。


 フランシスと同じく銃騎兵。騎士が持つような突撃槍(ランス)が銀色の光を照り返し、フランシスは目を細めた。何時ぞやの、重装偵察兵だった。刃毀れの多くなった長柄斧を振るって血脂を払い落とすと、口から熱い息を吐き出した。


「重装偵察兵、"盾貫き"アルド・リッド。いざ……!」

「……鉄鬼傭兵団、団長。フランシス――参る」


 交わす言葉は少なく、されどお互いを討つべき敵と知っていた。


 二人は同時に馬を駆り、駆け出した。距離は訳三十歩。馬の速度はお互いに同じである為、中央地点で相打つ事になる。咆哮、鉄を打つ音。一合目はフランシスの長柄斧を重装騎兵アルドのランスが受け止めて、またお互いに駆け去る。


 瞬き一度、また振り返って駆け出す。馬の猛々しい足音が響き、再度二人の戦士が交差する。単調な様に思える戦いは、しかしほんの僅か、慎重な調整が互いの命運を分ける、恐ろしく細かな戦いだ。互いに一瞬の気も抜けない時間だ。


 二合三合――四合目。フランシスの攻勢が緩んでいく。それは、気を引き歯を噛みしめても間から抜け落ちていく命の光のせいだ。雨に奪われていく体温がその証拠。いまやフランシスは氷の様に冷たくなっている。


 それでも尚打ち合いが続けられるのは死を間際にした執念か、本物の戦鬼であるが故か。


 五、六、七、八――九合目。突撃槍の攻撃が命中、フランシスの肩当てがもろくも吹き飛ぶ。骨にもダメージが入り、もはや長柄斧を持っていることすらままならない。


 それでも、再び交差。十合目。フランシスは馬の操作を誤った。グラリと揺れた馬にフランシスは必死に掴まろうとする。


 瞬間、肩を貫く激痛と衝撃。その痛みで、とうとうフランシスは斧を手放した。騎兵アルドの突撃槍は彼の肩を貫いていた。フランシスは馬を落ち行く最中、拳を突き出した。決死の一撃は確かに自らを貫いた騎兵のこめかみを強かに打った。


 地面へと転がったフランシスを、素早くケンドリックが拾い上げる。その後ろを、ウォルスが剣を構えて居直った。


「いけ、ケンドリック。団長は頼んだ」


 その声に、ケンドリックは迷わず馬を駆けさせた。曇天の中、血飛沫が舞う。一人の団長、一人の有望な青年の代わりに――喉に傷を負った老兵は散った。


 赤髪の青年は悲しくなった。それでも、目に涙を湛えて馬を駆り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ