二十一話 雲行きは敗色濃厚
ゆっくりと、重い足取りの影が四百、ゆらりと近付く。ある種幽鬼の様な不気味さを感じるそれは、黒を基調とした鎧を身にまとっているからに他ならない。
黄昏より這いいでし、生を引きずり込まんと欲す鬼もかくや。その姿は、とても一領主の私兵とは思えない。だが、V字に隊列を組んだその中心より突き出た旗は、確かにロベリット領主の家紋を掲げている。
蓬と、艶のある赤い実を描いた旗は翻り、あまりにも場違いで。ある意味、それすらも謎の恐怖を醸し出していると言ってもよかった。
そこに対し、堂々と陣を構えた銅傭兵団、白薔薇団が向かい会う。その数、約百五十。四百四十に相対するには、心もとないと言える数であった。だが、その気迫を見る物はそうとも言い切れない。
片や六十足らずで百を踏破せしめんと誇る、女団長イェルサが率いる銅団。片や、圧倒的な魅力でもってして、百の兵を百二十へ届かせるジェイル団長率いる白薔薇団。
相手にとって不足無しと笑う彼、彼女らに対するのであれば、それは悪鬼に対して悪鬼をぶつけるようなもの。同じく悪鬼である彼らが怯むはずも無し。戦を食い物とし、血を啜り生きながらえるのが傭兵なれば、恐れる筈も無かった。
黒い集団、ロベリット領主軍、静止。大よそ、三百歩程の距離を持って離れて向かいあった。
何用か、等と声高々に問いかける者は誰一人として存在しない。あるのは張り詰めた空気、今にも抜かんとされた刃――即ち戦場の空気。そこは刃を帯びた風が吹くかの様で、支配するは戦神ハヴォ。
ゆっくりと上げられる互いの指揮官の手刀は、それぞれに行動を分かりやすくする為。振り下ろされた手刀は――。
「騎兵隊、進撃。順次、歩兵隊も進撃せよ」
「食い止めな! 踏ん張り所だよ!」
お互いの号令が交じりあい、一瞬。怒号と土煙が戦神の声の代わりと上げられた。
一斉に武器を構え、行進を行う。一歩一歩力強く、我先に敵を屠らんとする者達は相対的に距離を縮め、互いに約、百五十歩目。前列の血飛沫を皮切りに、次々と倒れていく敵か味方かも分からない血塗れ。振り上げられる斧、槍、剣、メイス、フレイル、。交わる刃、刃、刃。
戦場が唸る。
「おかしいね」
「うん?」
イェルサが先端が血塗れの槍を立てつつ呟いた。抜けて来た何名かを切り裂いたためだ。その横で、後方で指揮を取っていたジェイルが確認するように声を上げる。
「数がおかしいんだよ。分からないかい?」
「んー。……ん? ……確かに。数が少なすぎる」
イェルサとジェイルが、同時に声を出す。先陣を切った筈の騎兵達が減っている、と。それは、こちらの攻撃で被害が出た為ではない。そうなった場合であっても、馬はその場で直立する様に訓練されている為だ。
その馬が見えない、と言うことは、騎兵隊が何処かへ消えてしまった、という考えにしか思い浮かぶ事はない。
「……まさか――ッ!?」
一瞬考えこんだジェイルは、即座に結論に辿りついた様だった。馬がいない。騎兵がいない。"一体、どこにまわした"。
「イェルサ、不味いよ! 下手を打つと、こっちが壊滅する!」
「伝令! 強襲隊に連絡を――!」
――作戦が、読まれていた。
慌てて作戦中断の伝令を出すも既に遅く、フランシス、及びラスベルの強襲隊は、V字の戦列を横合いから食い破らんと駆けはじめていた。
混乱がフランシスを支配する。おかしい。あちらで引き付けている筈の騎兵の殆どがこちらに来てしまっている。それでも、両手に振るう斧を止めず、かつ混乱した部隊の指揮を執る。
騎兵は、馬に乗ることで鎧や武器の重量を無視し、歩兵よりも圧倒的に高い機動力、攻撃力を誇る。対歩兵に優れ、偵察、伝令、警戒など後方支援にも派生でき、尚且つ"騎士"を名乗る者達が好んで扱った事から、戦の花形でもあった。
フランシスは重騎兵の分類に入り、重い鎧を着て重い武器を振るう事で、高い攻撃、防御力を兼ね備えている。他の軽騎兵達と共に、歩兵戦列を横断して戦い、かく乱するのが目的であった。
しかし、対騎兵となれば話は別だ。同じ物を相手も持っているのだから、戦闘における優位性は無いに等しい。まして、敵方よりもこちらの数が少ないとなれば、尚の事。くそ、とフランシスは口の中で悪態を転がした。
長柄斧を振るって歩兵、そして敵騎兵に応戦するフランシスの顔色は冴えない。こうしている間にも味方が命を散らしている事を考えれば、フランシスには一刻の猶予も無かった。
「くっ! 各分隊、適宜応戦しつつ密集! この場から撤退する事を第一に考えろ!」
大声で指令を上げるフランシスは、そのまま歩兵の首を一つ刈り取る。血が刎ね、肉が舞う。
「おい、鉄鬼の! このままじゃ持たんぞ!」
ラスベルがいつの間にか合流し、隣で戦槌を振り回しながら言葉を吐く。フランシスはそんな事は百も承知だと、覚悟を決める。
「撤退だ! 繰り返す、即時撤退せよ!」
そう声を荒げたフランシスは、しかしその言葉とは逆に陣に向かって背を向ける形をとった。陣へ撤退しようとする者達が、口々に隊長! と呼びかけた。
「先に行け! ――殿は、俺が勤める!」
フランシスは振り返らず、斧の血脂を払った。
蒼穹が鼠色に染まっていく。敗色濃厚な戦に、雨が降ろうとしていた。




